あめたまのブログ
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

2012シーズン アルビレックス新潟論 Part2

2回目のテーマは「本間勲」


我らがキャプテン新潟の象徴本間勲について書く。


世界にはたくさんチームの象徴のような選手がいてローマで言えばトッティ、バルセロナで言えばシャビ、チェルシーで言えばランパードなどがあげられる。
チームスタイルを作る時、監督の好みで作り出すところもあれば、そのチームの伝統で作るところや、サポーターの好みに応じて作るところなど様々な方法がある。チームに象徴的な選手がいればその選手に合わせたサッカーを構築する。先ほどあげたトッティであれば、どんな監督になっても彼の特徴に合わせたサッカーを構築してきた。シャビもそうランパードもそう、サポーターの信頼が厚い象徴がいればいるほど彼ら中心にチームを作る。



本間は新潟出身で地元の誇りであり、象徴である。本間のポジションは中盤のセンターであり、4-4ー2であればボランチ、4-3-3であればアンカーなどを努めてきた。本間は高校生の頃はウイングの選手であり、いまでもプレーにはテクニックのある一面を垣間見れる。堅実なプレーが信条であり、はでなパスはないが正確なショートパスは彼の特徴の1つである。また、上背はあまりなくフィジカルコンタクトに強くはないが、正確なポジショニングと読みで巧さのある守備をする。


チームは象徴に合わせたサッカーを構築すると書いた。新潟にとって本間もそのようなプレーヤーである。いまから本間にゴール前まで行ってシュートを打つスタイルに変更しろ、ピッチを走り回れ、パスを回してゲームメイクをするんだと言っても彼はそういうプレーヤーではないので現実的ではないだろう。普通、選手の特徴に合わせたサッカーを構築する。彼に合わせたサッカーとはハードワークするサッカーである。と言っても彼自身がハードワークするのではない。つまり周りの選手がハードワークをしても、本間の読みやポジショニングの良さで埋め合わせをできるということである。酒井高徳が新潟にいた頃は酒井がオーバーラップする度に本間が開いたスペースを埋めているし、いまのキム・ジンスとの関係も似たようなものである。また、前の選手も本間がカバーしてくれるから前からハードワークできる。


本間は気が利くプレーヤーであるので、カバーリングとボール回しの時に顔を出す動きが特徴的。新潟のサッカーは伝統的にサイドバックが攻撃的にオーバーラップでき、前線もハードワーク出来る選手が多いのも本間という象徴がいることと無関係ではないだろう。しかしデメリットもある。チェルシーでいうランパードは、ゴール前へ飛び出す動きが持ち味でありシーズン2桁得点できるほどの得点力がある。その一方彼の相方には常に守備的な選手がおり、ランパードが上がった後でも1人で守れる選手であるミケルやエッシェン、マケレレがいた。また、前線に飛び出すスペースが必要なため、2トップではなく1トップが必要である。つまりランパードがいることによって1トップ且つランパード+守備的な選手という図式が必須である。今季ランパードがチェルシーを退団する噂がある。チームの象徴であり精神的支柱である彼を放出することは絶対にしてはいけないと思うが、彼がいることで輝けない選手もいることも確か。相性と補完性の問題である。


チームの象徴がいることによるチームスタイルの固着。新潟で言えば、極端な例だと攻め上がれないけどフィジカルが強い守備は負けないボランチの獲得はしないだろうし、かといって運動量のないボランチの獲得もないだろう。守備はうまいけどオーバーラップができないサイドバックも獲得しない。チームの象徴がいることは悪いことではない。しかし、象徴が故に戦術的や選手獲得の幅を知らず知らずの内に狭めている面もあることは否めないだろう。

2012シーズン アルビレックス新潟論 Part1

これから数回テーマを決めて今シーズンのアルビレックス新潟について書こうと思います。基本的に3日坊主なんで続くかわからないけど、とりあえずやってみようと思います。


そこで今回のテーマは「なぜ黒崎体制は失敗したか。また、監督を育てるコンセプトはあったのか?」です。

ご存知の通りアルビレックス新潟は今シーズン初めてのシーズン途中の監督交代を行いました。個人的には議事録に書いてあった通り「勝っていければ、連勝できれば」という、流れに乗れない序盤戦で、段々と自分たちのサッカーを失っていき、結果的に監督交代まで行ったと感じています。つまりどこかできっかけがあれば、どこかでシュートが入っていればもしかしたら違ったストーリーを描いていたかも知れません。


黒崎アルビが失敗した理由はいくつかあると思いますが、今回は「監督の能力」にポイントを絞って話しを進めていきたいと思います。まずはじめに黒崎監督がどんなタイプの監督だったかという話からです。一口に監督といっても様々なタイプがいると思います。戦術家、モチベーター、リーダー、情熱家などなど。黒崎監督は戦術家ではなかったと思います。選手のコメントを見る限り「監督のために」や「監督のサッカーを・・・」といった言葉が多く見られました。それだけ監督への信頼は大きかったと思います。監督交代の際も本間が「自分たちの責任」といってました。つまり選手達は黒崎監督に付いて行くという気持ちになっていました。
 また、黒崎アルビのサッカーを見る限り非常に試合中の修正力は低いですし、戦術も選手の能力任せな部分も多く、戦術的には優れてはいなかったと思います。試合後のコメントも攻撃が良くなければ「攻撃のバリエーションを増やす練習を・・・」と言い、守備が良くなければ「ラインの高さをもっと・・・、局面の1対1を強く・・・」と言い戦術的な深みのある発言はあまりなかったと記憶してます。
 ここから考えるに黒崎監督はリーダータイプの監督だったと考えます。つまりいい兄貴分で選手に付いて行きたいと思わせるタイプの監督です。選手からの信頼は厚かったと思います。酒井高徳がリーグ戦初ゴールを決めた直後に黒崎監督の元にダッシュで抱きつきに行ったのは象徴的です。このタイプの監督は戦術に優れていないことがありますが、そこはコーチとの関係性で補完します。マンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督にはいつも優れたコーチがいました。黒崎監督には昨年まで森保一コーチがいました。森安コーチは新潟のコーチから広島の監督になり広島を優勝に導きました。このことからも森安さんは非常に高い能力を持っていたことの証明になるのではないでしょうか。広島では兄貴肌でいい監督だという評価がありますが、昨年までの新潟の戦術を支えていたことを考えると戦術家としての一面も優れていると思います。話はずれましたが、黒崎監督のようなタイプには戦術面での補完性の高いコーチが必要になります。それで中京大学で監督をしていた西ケ谷さんにコーチを依頼しました。西ヶ谷さんのことを詳しく知りませんが、推測するに新潟の戦術面を強くすることを期待しての起用だったと思います。監督交代の際、ヘッドコーチがそのまま指揮をとることがサッカー界では多いですが、監督交代の時にヘッドコーチまでそのまま辞任したことを考えれば、戦術面で十分な仕事を出来なかったのだろうなと推測します。


黒崎監督が戦略(道標をしめすこと)を担当するなら、西ケ谷ヘッドコーチはその戦術(志した道標を進むための方法)を担当していたのだと思います。「黒崎体制がなぜ失敗したのか」の答えの1つは「監督とコーチのセットで力を出し切れなかったから」だと考えます。


続いて「監督を育てるコンセプトはあったのか」についてです。


議事録に監督に育成についてこう書いてあります。「反町さんもそうですし、鈴木さんもそうですし、黒崎さんもそうですし、指導者の育成は我々が育てるということではなく、真剣勝負の場を提供することだと思います。監督としてだけではなく、コーチとしても、選手としても同様だと思います」
その他色々とあってぼやかしていますが、なぜ新潟は監督の育成をしているかは明言されていません。監督を育成するということは、もう一つ意味合いがあると思います。それは際立った実績のある監督は取らないということです。柳下監督は様々な経験のある監督ですが、シーズン途中でなければ就任はしなかったと思います。なぜならお金がかかるから。柏のネルシーニョ監督はいい監督ですが高給です。新潟にはまず絶対に来ません。いい選手もお金がかかりますが、いい監督もお金がかかります。では、お金をかけずにいい選手やいい監督を獲得するにはどうすればいいのか。それはいい選手を高給になる前に獲得すればいいのです。いい選手やいい監督は高給ですが、高給になる前は安かったはずです。モウリーニョはポルトの監督の時からいい監督でしたが、給料は今の数十分の一のはずです。つまり高くなる前のいい選手や監督を獲得できれば、コストパフォーマンスの高い仕事をできます。新潟はお金がありません。その中でいかに成績を残すかというと育成と安くていい選手を獲得することが必要です。マルシオ・リシャルデスは浦和に行って沢山の給料をもらっています。この額は新潟には払えませんが、マルシオ・リシャルデスは新潟にいた時は今より安く雇えていました。他の選手や監督も同じです。鈴木監督はいまでは日本人最高年俸らしいですが、新潟にいた時はそんなことではなかったと思います。


つまり「監督を育てるコンセプトはあったのか」の答えは「あった。ただし、安くていい監督を雇いたいから」です。議事録には監督の育成の流れで選手の育成も書いてあります。安くていい監督を獲得する方法論も安くていい選手を獲得する方法論も根っこでは同じです。

アルビレックス新潟vsセレッソ大阪 雑感

試合は新潟が負けました。1-0の敗戦でしたが、両チームとも負けるような内容でもなく、かと言って勝てるような内容の試合ではなかったと思います。そんな中でセレッソが1点とって勝ったということは、今後何かしらの意味を持ってくると思います。


新潟としては負けるようでもなく勝てるようでもない試合を今節落としてしまったことは、いまに始まったことではありません。新潟は守備は平均して70点くらいの出来を付けれるチームだが、攻撃は40点くらいのチームです。得点力不足は数字にも現れていて、新潟の総得点は佐藤寿人の特典より低いです。得点力不足の理由は、はっきりいってタレント力不足だと思います。去年二桁得点のブルーノ・ロペスがいるじゃないか、という方もいると思いますが、今年の彼と去年の彼は違います。もちろん彼だけの責任ではありません。チーム全体の責任です。サイドでの崩しも見られないし、サイドバックは追い越す動きもない。ボランチは上がれない。分厚い攻めができない。チームとして云々というところもありますが、結局タレントがいないのです。これは選手を揃えられなかったフロントに大きな責任があると思います。もっと言えば、開幕前に戦力を揃え切れなかった、そして結果的に監督解任してしまったところまで根深くフロントに大きな非があると思います。


フロントのことをいってもしょうがないので、いまの持ち札でいかに残留をするか、これが当たり前ですが当面の重要課題だと思います。守備は柳下監督になってゾーンで人につく意識が高くなったと思いますが、もっとボールを奪う守備をしていかなければと思います。いまは相手のミス待ちでボールを奪うという感じですが、やっぱりもっとアグレッシブさをもった守備をしていかないとなのかなと感じます。そもそもいまの守備は追い込んで数的有意を作るのではなく、とにかく1対1をつくって相手の邪魔をするという印象を強く受けます。だからボールを奪うところが不鮮明で、カウンターにも繋げにくいです。それにマークの受け渡しが曖昧なところがあるのも目につきます。広島戦の佐藤寿人のゴールや、セレッソ戦も曖昧なところがありました。誰が誰につくかがはっきりし過ぎだから、時々混乱が起こるのだと思います。とくにセンターバックに入り込んでくる選手に対してのマークの受け渡しが良くないと思います。そもそもマークを受け渡すという意識、カバーする意識がマンマークの意識によりかき消されてるのかも知れませんが・・・


攻撃は仕掛けることが足りないと思います。1対1になっても味方をさがすことが多々ありますが、仕掛けることが崩しの第一歩ですので、無理をしてチャレンジする所が点をとるには必要になってくるのかなと思います。一番気になるのはサイドバックの攻撃意識です。ここ数試合サイドをえぐる攻撃がほぼないです。サイドバックはもっとオーバーラップして前へ行かないと怖さが出てこないと思います。特に村上は去年のような上がりを今年はできていません。前には藤田征也がいるから上がりにくいのかも知れませんが、藤田自体も攻撃の良さはあまり出てないですから、二人のコンビネーションで崩す意識をもっとつくらないと行けないと思います。逆サイドもそうです。


確かに今のサッカーは整備されていて、落ち着いていますが、怖さはありません。だから勝ち切れない、点の取れないサッカーになっているのだと思います。攻撃の緩急もありませんし、縦にも横にも広がらない中途半端なサッカーです。もう一回自分たちの長所を洗い出して、攻めの姿勢を強く持って欲しいです。

アルビレックス新潟×名古屋グランパス ~差は明確~

先日、2011年Jリーグ最終節が行われました。アルビレックス新潟は優勝の可能性のあった名古屋をホームにむかえ、試合を行いましたが、残念ながら玉田のFKの一点が決勝点となり敗れました。


ゲームは終始名古屋が支配していて、新潟としては力の差を見せつけられた。所詮優勝争いと残留争いをしているチームの差と言ってしまえばそれまでだが、名古屋は数年前までは新潟とそれほど変わらない順位だったこともある。試合に敗れはしたが差を埋めるためにはどうすればいいのか、どこが成長すればいいのかというヒントも沢山体感した試合でもあったと思う。どこら辺に差があるのかはまず横に置いといて、最初に試合展開の方から述べてみよう。



新潟はいつもどおり4-4-1-1。名古屋は4-4-1-1のように見えた。
新潟は試合序盤、速い出足から幾つかカウンターを見せていた。名古屋のSBの裏をついてチャンスもあったし、ロペスのスピードを生かしたプレーをしようとしていた。同様にピンチもあったわけだが、それでも試合を通して一番点が入りそうな予感がしてた時間は立ち上がりの10分だった。ここで1点とれていれば、もう少し違う展開になっていたかもしれない。もちろん名古屋は強いので、たった1点のリードをうまく使い試合を支配しながら戦う力は新潟にはなかったし、あっさりと逆転される可能性の方が高かったと思う。むしろ0-0の時間が長いほうが良かったかもしれないが、1番点がとれそうな雰囲気だったのがこの時間帯だった。
新潟は中盤で奪ってカウンターと言う形がしたかったと思うが、なかなか出来なかった。名古屋の選手1人1人の能力が高く、ボールを上手く奪えないこともあるし、審判の笛が邪魔したこともあった。3対1の場面でもボールを奪えないこともあった。これが能力の差だと思う。
新潟の守備の仕方としては、ブルーノ・ロペスが闘莉王にぴったりついてたのが印象的だったかな。名古屋は上述の通り能力が高く、パスを繋げるチームであるが、ケネディというターゲットマンもいて、長いボールも使えるチームだ。CBの闘莉王は長いボールを正確に出せるので、ここを押さえたい狙いもありロペスにマークさせていたのだう。実際闘莉王が長いボールを蹴ることはあんまりなかったし(中盤で回せるので長いボールを蹴る必要がなかったからかもしれないが・・・)、ロペスはよくやったと思う。しかし増川から2回くらい良いボールが出てたから、これは想定外だったかもしれない。
ロングボール対策は以上のとおりだったが、地上戦では完全に差を見せつけられた。名古屋の選手は能力が高くてすごい繋げる。SB起点に中盤へボールを回し、WGに渡し、フィニッシュへ。普通のビルドアップの仕方なんだけど、名古屋の選手は能力が高くて、有機的に動き絡み合い、悠々とフィニッシュまでいった。右に行ったと思ったらサイドチェンジして、左から仕掛けてクロス上げて中に3~4人いたり、新潟は結構苦労してた。瀬戸際で守ってたし、ポストに助けられたりと運はあった。名古屋のビルドアップの構築の巧さ、能力の高さ、というのは完全に新潟の守備を上回っていたと思う。しかし、新潟も体張ってたし、精一杯頑張ってたし、むしろいい守備をしてた、名古屋がすごかっただけだと思う。
試合はこんな感じで進むんだけど、新潟の攻撃はサイドを意識した攻めが多かったかな。個人的にはもっとボランチを使ってつなげると思ってたけど、ダニルソンが怖いからか真ん中は避けてたような気がする。あと試合後のコメントに「新潟のカウンターを研究され、なかなかカウンターを仕掛けられなかった」と言っていたが、あの程度のカウンターでは通じないということだと思う。もっと精度を高めて、速く正確にカウンターをすることが大事だと思う。
そんなこんなでFK一発にやられ先制を許す新潟。その後菊地とヨンチョルを下げて、アンデルソンと小林慶行を入れる。意図としては慶行さんをいれることで、つないでサイドを使ったり、一回中で起点を作りたいというところだったと思う。これはとてもよかったと思う、意図として。そしてアンデルソンはトップ下に入った。これは攻めないといけないと言うメッセージと、守備の部分でバランスを取りたいという所があったのかなと感じた。前半はミシェウが相手ボランチを観る場面が多かったが、ミシェウとダニルソンの体格差があったので、いいタイミングで守備をしてもフィジカルで押し切られてしまう場面もあった。そこにミシェウでは身が重いので、アンデルソンに見させるというところだったのかなと思った。あと相手の裏を突くことが有効だったと思うので、ミシェウとアンデルソンの2ヶ所からロペスへのパスコースを作りたい意図もあったのかもしれない。
逆に名古屋は金崎夢生、永井といった攻撃のカードを切ってきた。トドメを刺しにきた交代だったと思うが、新潟はよく守ってたと思う。後半間が空いてきて、中盤にスペースが出来てたが、よく一対一の対応でも粘れてたと思う。


試合は負けてしまった。全体的に選手の能力の差、ミスの数だったり意思統一だったり、そういったところに差があったと思う。
しかし、これは新潟の選手の能力が決して低いというわけではない。能力は伸びる。今は相対的に名古屋のほうが高かったけど、新潟だってそこまでいけると信じている。柏も外国人の能力の高さもあるが、日本人選手たちの能力が日々のポジション争いで高めあって今の結果につながっている。
試合後に菊地が言っていたが「技術を上げること」が大事だと思う。一朝一夕にはいかないが、監督も選手もこうゆうことをコメントに言っているのはよく見るので、結果にそのうちつながってくると思う。


今年は残念な結果に終わったが、シーズンを通じてやろうとしていることはぶれていなかったし、能力を高めようというコメントも口から常に出ていた。やっていることは間違っていないと思う。
新潟はお金が無いチームだ。プレミアリーグでは資金力と順位は相関関係があるとデータが出ていて、それは全くそのとおりだと思う。お金があるチームが能力の高い選手を集められるのは当然のことで、能力の高さはそのまま試合の結果に現れるからだ。結局サッカーは個人の能力に依存する部分が大きいので、だからこそ個人の能力は大事だ。
強くなるにはいい選手を外から取ってくればいい。単純だが新潟はお金がなくてできない。しかしレアンドロ・ドミンゲスやジョルジワグネルといったお金がかかるが能力の高い選手を雇えないが、安くて能力の高いブラジル人を探すことでうまくやってきた。これはコストパフォーマンスから考えて、お金が無いチームは費用対効果をあげる一つの工夫だと思う。それプラス強くなるために選手の能力を高めるには、育成が上げられると思う。今、新潟はこの育成に力を注いでいると思う。実際ロンドン五輪代表の鈴木大輔、酒井高徳、チョ・ヨンチョルといった選手達は試合に使われる中で成長して行っているし、他の選手も能力が伸びている。フロントが黒崎監督を選んだのも、こういった若手を強することが大事で、そのための能力が長けているからだと判断したからだろう。


名古屋との差は選手の能力の差。能力は育成で高める。こういうところがしっかりしていれば、結果はついてくると思う。これは今年来年とかのスパンの問題ではない。何年何十年のスパンでこれを考えられるチームが強いのだと思う。


前進あるのみ?

3歩進んで2歩下がる。
そんな人生簡単にはいくわけないじゃないですか。



目に見える成長なんて言うものは、実はあるようでなく、他人は成長を人に押し売りする。お前は成長すべきだ、と。


成長は確かに大事。じゃあ成長してないと生きていけないのか?世の中成長しているものだらけなのか?


特にサッカーの世界では、学んで成長することが生き残る術であると思う。それは戦術面でもそうだし、集客でも、お客さんのレベルでも、フロントのレベルでも、成長しなければ厳しいサッカー界は生き残れない。生き残ること、即ち成長である。



Jリーグが終わりに近付くにつれ、サポーターは来年のことを考える。ありがたいことに、私が応援するアルビレックス新潟は、フロント、監督、選手、スタッフの頑張りにより来季もJ1で戦えることが確定した。開幕当初の目標はACL出場権獲得であったが、残留争いを強いられ厳しいシーズンであった。



最近、サポーターからこんな声が聞こえることが多い。まるでこのチームは成長していないではないか。なにも学んでいないではないか、と。



確かに終了間際の失点癖は治る兆候はないし、戦術的に成長して大人のサッカーをできるようになったと思わない。うん。確かに成長してないし、失敗から学んでないように思える。



そこで聞こえる声は【監督解任】



効果はある?ない?



それはわからない。だってサッカーは先の見えないスポーツだから。先が見えないから面白い。



でもこれだけは言える。監督を変えても、来年は変わるかもしれないけど、ここでブレたら数年後数十年後はもっとブレるよ。



海外サッカーで長期政権の監督の率いるチームが安定して強いのには訳があると思う。それはコンセプトがブレないからだ。常に成長することは難しいかもしれないけど、ブレないことは成長すること以上に基盤となる力になる。



例えばバルセロナは株組織から一貫してアヤックススタイルを貫くコンセプトをもっている。クラブとしてブレないコンセプトがあるから強い。



方法は色々ある。監督を変えないこと。クラブとしてコンセプトを持つこと。アルビレックスに関しては後者だと思う。たぶんね。



監督を変える、変えないは目先のこと。もっと本質的なところを考えた方が強くなる近道だと、私は思う。



クラブが私達のコンセプトはこれだと、サポーターに説明し、クラブに携わる者すべてが同じベクトルに進めるよう、灯台の光が行く道を導くように道標を示すことが、強くなる一歩目なのではないかと考える。そうすれば一歩目にブレなければ、2歩進んで3歩下がっても、その内なんとかなるだろう。


1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>