質問のもつ暴力性を肝に銘じて | 一皮むける“自分軸”の確立法

質問のもつ暴力性を肝に銘じて

おはようございます。

自分大好きサポーターの“やまま”こと山口雅史です。


一皮むける“自分軸”の確立法



なんだろう。

今朝は、質問のことが、とても気になった。


私はコーチだから、

質問は基本的な技術の一つ。


コーチングを始めた頃は、

効果的な質問についてよく考えていた。


最近は、気になっているところが少し違う。


“質問のもつ暴力的な側面”


言葉は厳しいかもしれないけど、

質問を使うプロとしては、

このぐらいに捉えておいてちょどいい。


質問をするということは、

相手に“ある方向や事柄について考える、感じる”ことを強いる。


そして、質問するという行為は、そのこと自体、

“答えを出す”ことを無言のうちに強いている。


これが暴力的という言葉に託されている意味合いだ。



今朝感じたのは、

「それは、そうなんだけど・・・・」

といった、ちょっとした質問サイドに寄り添う、弁護的な気持ち。


質問すること自体は、悪いことではない。


だって、受け手としては、

その問をもとに考えを思いめぐらしたり、

新しい自分の考えに出会ったり、

自分を知ったりすることが、できるのだから。


もし質問に問題があるとすると、

受け手に「答えなくちゃいけない」という衝動を

起こさせてしまうところなのではないか、と思う。


この点は、とても重要な気がする。


だから、私は、質問の使い手であるコーチとして、


“答えを求める”という気持ちを極力しずめ、

“問をあずける”という気持ちを大切にしたい。


もともとコーチングの質問は、

自分が何かを知るためのものではなく、

相手のためのものなのだ。


答えようかどうしようか? 

今答えようか、後でか?

どんなふうに答えようか?


これは、質問を受けた相手が、自分で選んでいくべきもの。


そのことを充分に理解し、

受け手が自分で選べるような、質問の提供をしていきたい。


今日も、最後までお読みくださり、

ありがとうございます。