まずは災害地のかたがたにお見舞い申し上げます。
今年は一月から随分地震の多い年だと感じています。
たぶんブログをはじめてからいろんな世界(人の)を知るようになって、投稿することを気になりながら書けないでいたせいか余計にそう感じているのかもしれない…そんなことも思ったりしていますが…
やはり多いと思います。
いつも、私の頭の中で、小さな地震は起きているので、地震かと思うと自分が揺れていることが多く、対外の地震のときは周りを確認して、それから地震に気づき、
パニックになります。
今回もちょうど、新潟地震のときぐらいに、我が家の私用の地震バロメーターのグッズが、揺れていました。
こちらで震度、3以上でゆれるものを吊るしてあります。
それら全部が今回もあのときのように跳ね上がるように大きく揺れていました。
そのような時は、必ずと言っていいほど震度5とかマグニチュード7点いくつ以上の地震がどこかに起こっています。(今までの私の統計です…笑わないでくださいね)
最近息子は、大きな大変な発作が減りだいぶ平静?が続くようになりましたが完全に昼と夜が逆になっています。
そのときも完全に息子は熟睡でした。
その息子を起こすのに、私の今の体と、声ではとても動いてくれません…
今回もそうでした。
ちゃまは、だいぶ前から就職の決まった会社に研修に行っているのでほとんど毎日いないのです。
その日を覚悟はしてきたものの、毎日一日中いないということはとても不安でいました。
なので、頼る者は息子しかいないのですが、あんな大きなゆれに気づくこともない何度起こそうと声をかけても、寝言のように「大丈夫」しか答えない息子を頼る事はできない…いつもわかっているのに、いろんなことがあるたび愕然とする…
それでも必死で起こそうとする私…息子の部屋は、倒れて落ちれきたら重かったり大きかったりで、怪我をするようなものがたくさんあります。
それでなお、起こそうとするのですが…薬が変なときに効いてしまっているらしくぜんぜん起きることができません…引き起こそうとしても巨体になりすぎてしまった息子の体は、私の力ではどうにもなりません…
とっさのことですので、仕方なく玄関と、ベランダに続くドアの一枚だけでも開けなくてはと、あせる気持ちに体はほとんどついてないのですが、それでも気力を振り絞って何とか開けました。
玄関ドアーには、ストッパーをかけないと自動で閉まってしまうので、少し体を傾けたとき、頭が下がってしまい、少し落ち着いていた首がまたガクッと音を立てました。
その激痛と、地震の揺れと、一人?の不安が一瞬にしてパニックを起こして…
心臓はバクバク…頭はのぼせ上がる?(うまく表現ができません)腰はまた抜けたようになり動けなくなり、不安は最高潮になってしまい過呼吸を起こしてしまいました。
何とかそれも自分で処理をして…
揺れと恐怖の中で…自由の利かなくなった体を恨めしく気丈に振舞ったつもりがいつの間にか固まったまま涙していました。
一人の時の不安をいつも気にしてはいたものの…また現実に味わってしまい、この先の不安がまた大きくなってしまいました。
(この性格はうつ病のなせる業(わざ)だそうです。)
あの日も撮れなくてももとと、朝気になる雲を撮ったのですが…
パソコン取り込むことができなくて、その前に携帯で探しきることができなくて…
そんな時いつも助けてくれたちゃまもいないので…
今回も写真を載せることができません…
(前の携帯が壊れて新しくしてから自分でできなくなりました。メモリーが容量はあっても、とても形が小さくて、以前は横から抜くことができたのに、今は携帯の中から取り出さなくてはならなくなって、指先の利かないに私には一人でメモリーを出すことはできなくなってしまいました。便利も不便をとても感じます。)
私がパソコンを使えるのは、主人息子ちゃま3人揃って居てくれたおかげで使いこなせて?いたのをつくづく痛感しています。
主人ですか?主人は今ちゃまの卒業を迎えていろいろ出費があり…
朝早く夜はやっと、日付が変わらないうちに帰ってくる…そんな生活を続けているので毎日疲れきっていて…私と会話することもほとんどありません…
なのでたまにパソコンの事を聞くと、あんなに温厚な主人が眉間にしわを寄せます。
それでも教えてくれますが…
そんなことが数度あってから…少し余裕ができるまで、聞くことをやめました。
最近は特に静かな静かな家の中です。それがいっそう不安を駆り立てるのですが…
少しでも心が平らになるように毎日絵を、描いたり直したりしています。
それを楽しみとするようにしています。
なが~い愚痴?になってしまいました。
でもね常日頃、心を強く健康に戻そうと、いろんな努力は続けています。
ただ散歩したりすると、おぼつかなくなってしまった足の付け根に以前のようにひとつずつではなく一度に3っつも最高両足付け根に6っつのリンパ腺が腫れ熱を持ち痛みのピークには全部破裂します。まるで娘に戻ったかの出■量です。
そしてすぐにヘルペスが出て…膝が外れたり諸々の症状にいかに体力がなくなってしまったか…このごろはそのことでもまともに向かうと落ち込んでしまい、体がすぐ悲鳴を上げ故障してしまうので…残念で居ます。が、回数こそ減っても挑戦し続けています。
おかげさまでちゃまも就職できます。それもテレビで宣伝している会社で、ちゃまの専門学校を出た甲斐がありそうな会社です。(今のところ)
そして今日は卒業式…ディズニーランドの近くのホテルで、卒業式と謝恩会もするそうで、朝早くから出かけていきました。
わが娘ながら…ここまでのことを走馬灯のように思い出して…良くぞ卒業できたかと
感無量です。
卒業を迎えた数日前のちゃまの言葉、「これからはいろんなかたがたにお礼をしていく」でした。
そして「私を病院で検査が受けられるようになるようにする…」でした。
ちゃまは、私が催促したわけでも頼んだわけでもないのに…
入学したときから今日までお世話になった方や見守ってくださった方々への感謝は忘れずに居てくれました。
親らしい事を何もしてやれずそれどころか心配ばかりかけてきたのに…
家の中では一番自立していて…自分にかかることは、自分でバイトして学業と両立でしたので、わずかな収入でそれでも自分の全てをまかない、そして家のことをしてきてくれました。また周りの人へいつも感謝をし、感謝のいろいろな行動をしてきました。
その成長が、近年にして何よりも、うれしいことです。ヾ(@°▽°@)ノ
親ばかちゃんりんですが…今朝出掛けていく娘はきれいでした。
きっと心が反映していたのですね…
私も見習わなくちゃ…そう思いました。
つらつらと久しぶりなので、また長くなってしまいました。
最後までお付き合いありがとうございました。m(_ _ )m
起承転結は相変わらずメチャクチャで…ブラインドタッチにたよって書いてますので誤字脱字も多いと思いますが、なにぶん目があまりよく見えません…ご容赦を…
これ以上長くならないうちに、指を止めます。
あ、気力が残っていたら…お絵かきのほうに絵を載せたいと思っています。