さよならヘッドマークを付け会津路を快走する「お座トロ展望列車」、
お座敷車両のAT103です。2016年5月29日撮影。
会津鉄道の開業と共にデビューし活躍してきたAT100形、
その最後の生き残りのAT103号は定期運行を終え、
6月5日のラストランを残すのみとなりました。
イベント列車限定フリーきっぷで「さよならAT-103号」に乗ろう!
http://www.aizutetsudo.jp/info/?p=1593
会津鉄道[湯野上温泉駅]にて。
5月29日は「お座トロ展望列車」として最後の定期運行、
会津田島駅への最後の下り便へ乗車です。
特製ヘッドマークに加え、
「開業当初から今日まで29年間・ありがとう」とのサボも。
鉄道ジャーナル・1996年7月号より抜粋。
ローカル線軽快気動車の流れ、としてまとめられた年表なのですが、
新潟鉄工所(現・新潟トランシス)が製造した軽快気動車(NDC)の中でも、
AT-100形は初期に製造された車両だという事が分かります。
国鉄の民営化、赤字路線の廃止や第三セクターへの転換など、
急速に変わり行くローカル線事情。
富士重工と新潟鉄工所のそれぞれで、
コストを抑えた新たな軽快気動車(NDC)の製造が模索されました。
その第一世代として会津鉄道のAT-100形もその名を連ねています。
富士重工は鉄道車両部門から撤退。
気動車製造部門は新潟鉄工所と事業統合、
新潟トランシスとして各ローカル線向け気動車の製造を担う事となるのもまた、
時代の流れですなぁ。
会津鉄道開業当時の写真より。
会津若松駅では国鉄からJR東日本所属となった車両たちと並びます。
磐越西線ではED77やDD51牽引の50系客車が活躍。
そんな時代の29年前でした。
会津鉄道[湯野上温泉]-[塔のへつり]間より。
随一の景観スポット、阿賀川を渡る鉄橋上のお座トロ展望列車。
他の車両より少し短い16m級のAT-100形。
俯瞰で見るとその差が良くわかります。
大面積の窓から眺めは良く、短い車両ながら車内は開放感溢れます。
湯野上温泉駅の駅舎内にもさよなら運転のポスターが。
会津鉄道の設立は1986年11月。
それから1年に満たない期間に、
国鉄会津線→JR東日本・会津線と民営化を経た後、
1987年7月16日より会津鉄道・会津線となり現在へ。
野岩鉄道もそうでしたが、
僅かな期間で新たな鉄道を走らせるという事業、
関係者にとってはさぞかし大変な苦労があったと思われます。
そのような最中に生まれたAT-100形。
29年という時の流れを否応なく感じてしましますね(;´∀`)