治療家をやっていたら避けて通れないことのひとつだと思う。
まったく否定してやっていくことも可能。
そのほうが安全かも。
やたら『気』とか言ってると、
ちょっとアレな人のイメージがあるからね。
(登戸の美容鍼灸の達人、しろくま先生は気が見えるそうだ。真剣にうらやましい。)
なびぞうは『気はある派』です。つか、治療で使ってます。
(ふふ、患者さんに『気を使う』って当り前か(^◇^))
はいはい、どうぞつっこんでください。
そうですね、気は見えませんし、測定もできません。
エビデンスもしっかりしたものはないですし~。
ええとですね。
なびぞうにとって『気』は
『愛』や『誠意』と同じようなものなのです。
まったく否定して生きて行くことも可能。
目に見えない。証明も測定もできない。
もともと愛をたっぷり持っている人もいれば、
そうでない人もいる。
ある時突然愛を知って、愛を与えれるようになる人もいれば、
愛なんか信じないって人もいる。いろいろですね。
気もそんなかんじなのです。
愛だって証明できないのに、この世に存在してるってことになってるし、
さらに言うと、生きて行く上でとても大切なものっていう設定じゃない。
目に見えなくて、証明もできないのに。
気とどこがちがうんだろ?
謎だわ。
ちなみに。
なびぞうは愛の存在も信じています(・∀・)。