強風の中、歩いてきましょう。
頭を使いすぎる性質なので、なんだかかみ合わないときはウォーキングが一番効果的。
一つの世界にどっぷりつかって、盲目にならないように。
ちゃんと生きていけるのかな。
二十代の子ならだれでも不安に思うことだろうけど。
この先、味方は増やそうと思わない限り、減っていく一方だ。
親はどんどん年をとる。それぞれの選択肢で道は別れる。
帰る場所を持ちたいという気持ちと、ずっと縛られることなくふらふらしていたいという気持ち。
矛盾してるけど混在する。だからややこしい。
ループするとりとめのない考えはとまらないので、いつまでも考え続けていられる。
だけど、そこに日常が割り込んできて、強制終了。
そうやって、何とか循環させて生きていくのだろう。
騙し騙し、でも。それがいいのかも。
中学生の時に習った、夢路よりって曲の歌詞。
日々の緊張からふっと解かれて、明かりのついた家に戻る。
そんなイメージを勝手に持っていて、とても好きだった。
酒に溺れて妻子も別居状態のフォスターが、死ぬ間際にかいた曲・だったっけ。
頭がおかしくなって、どんどんダメになっていっても。
最後に人が求めるのは帰る場所なのだろうか。
フォスターの目に、夕暮れ時の街の明るさはどう映ったのか。
現実での孤独を託すような、きれいな歌詞と旋律が、寂寥感を一層掻き立てているかのように思う。
何かにすがるのは性分ではないけど、晩年の人間の在り方。それを考えては祈らずにいられない。