ごめんね、ありがとう。 (‾産まれることができなかった赤ちゃんから届いたメッセージ‾/326(ナカムラミツル)

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人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索-/バジリコ

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人は生まれ変われる。 前世と胎内記憶から学ぶ生きる意味/ポプラ社

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急に本の紹介からですみません。今日は川崎の中学1年生の上村遼太君の命日で、この日を忘れたことはありませんでした。去年3月1日の日曜日に献花を詩に雨の中、主人に車を出してもらって河川敷に息子と下の娘と一緒に行きました。あまりにも徳の高かったであろう遼太君。4月の10日前後にはなぜか自然に出てきた涙が止まらず、気がつけば49日のあたりでした。

たくさん、子供が殺されたり、自殺したり事故に会って命を落としている中で、どうしても遼太君だけが印象に残りすぎていて(もちろん…姓名判断もし、名前の画数も悪い、などいろいろな視点から見てきました)これらの本以外にも生まれ変わりの本を買いあさりました。

東京大学救急救命の部長をされている矢作直樹先生、池川クリニックの池川明先生、坂本政道さんなど人格者である方々が死後の世界や生まれ変わりを肯定されていることに、少し癒されました。
だからと言って殺しあってもよい、自殺してもよい、というわけではないんです。今ある生に感謝し、なぜ自分がこの世に生まれ、生きている(生かされているのか)を理解し、みんなと調和を取り、楽しく一生懸命生きなければいけないんですね。
胎児だったころや前世の記憶を持っている子供たちが多くなりました。
いつか生まれ変わった遼太君に会いたい、できれば幸せに育てたいと思う毎日でした。そうできる日を夢見ながら今であった子供たちに感謝しながら(もちろん、我が子の幸せも含め)愛を育んで保育していきたいです。

今、遼太君は幸せになっているのかな。。。お父さん、お母さんが悲しんでいる姿を見て悲しんでいないかな。。。早く生まれ変わってくれないかな(これは本当にエゴかもしれませんね)なんて、命日の今日に思いをはせていてブログに書くことにしました。
最近、働きながら「働」がずっと心に響いていて、思い出したことがあります。それは小学校4年生で習ったということ、実は和製漢語であり、日本人が作った感じだったということ。

意外に知らない結構間違いやすい漢字

を参照にしていただければ、と思います。(リンク先は漫画で描かれていてとても面白かったです。)

さて、この日本人が作った感じ「働」に心に響いたこと

”日本人は人のために働くことを既に知っていて、それが自分の向上のためということも知っている  天国と地獄の話と同じこと 愛をもってすべてに接すれば、愛が返ってくるのと同じこと 欲を欲のままに行動するのではなく、愛に変えて行動すること それが 働”

そんなメッセージが心(というか、私は頭の中の後ろから聞こえるのですが)に響いてきたので書かせてもらいました。

今までブログを更新できなかったのは自分の心の向上のないまま書くことは許されないだろうなあと感じていて、しばらく休ませてもらいました。何かを書こうとすると、すぐに消去になり、何時間もここにいることでほかのことができないのは明らかに”今ブログを書くべき時ではない”という結論に達しました。


自分を無の境地になりながら相手のために一生懸命動く「働」の意味を働きながら言葉としてメッセージが来たので「これは書いてもよい、本物の言葉だ」とうけとり、新たにブログとして残します。

天国と地獄の話はもったいないばあさん、天国と地獄の話を参考にしていただければ、と思います。

もったいないばあさんの てんごくと じごくの はなし (講談社の創作絵本)/真珠 まりこ

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≪思いやり≫の心を吹き込めて働くことで、神様から次のステップに進めるのですね。
テーマを精神世界、スピリチュアルにしていいものかどうか、少し悩んだのですが、ブログ、というよりはこっちの方がしっくりきたのでスピリチュアルの方にしますね。

大変ご無沙汰しております。ニーナです。久々のブログ更新です。読んでいただき、ありがとうございます。また、自分自身が皆さんのブログに訪問できないほど、忙しすぎて本当に申し訳ありません。

現在勤めている保育園、非常に心の向上にはもってこいの場所でした。前の園では園長のパワハラ攻撃で辞職した形ですが、マクロの目を持つとこの保育園に出会うために、あえて神様は前園長を使い、自ら去る選択をさせてくれたのでは、と思います。

今の園がすべての保育士の先生が心が出来ているわけではありません。それこそ女性成社会だと思うような悪質な蔭口や嫌がらせは日常茶飯事ですし私自身もそれに巻き込まれてます。そんな中、現園長との他愛のない会話の中で「すべて起こりえることは悪い事のように見えて、実は自分の心の向上なのだ、ラッキー」と、おかげ、感謝を持った心に切り替える、と教えていただきました。また、この保育園立て直しの応援のために沖縄から駆け付けてくれた若い園長もまた、同じ考え方をしていました。

ただ、園長同士での心のぶつかり合いはとても多いのは避けられませんが。同族嫌悪とでもいいましょうか。
でも、やはり心を開いて対話することで、私たち魂の根本こそが(愛を学ぶ、感謝を学ぶ)につながります。沖縄の先生も、場所が場所だけに(ユタなど)その自然の豊かな中で園長をされているわけですから、その人間性、魂の美しさ、威厳さなどが本当に体全体から伝わってきます。

そのような先生と出会えたこと、一緒に仕事が出来た奇跡。子供たちとの出会いの奇跡。園長にも教えていただいたのですが、「人から蔭口悪口を言われようと、その人のために仕事に来ているわけではなく、子供たちのために自分はいるのだ、それがお給料につながっていると思うと苦にならない」をあえて実行してみました。園長という立場は本当に中間管理職であり、上からも言われ、下からも突き上げられ、保護者にも役所にも言われ、など、本当に心が折れそうなほど大変な立場なのだということがわかりました。福祉六法などの法律も保育所保育指針も時代によって法律ややり方が変わっていきますので日々勉強しなければなりませんし。

子供たちの日々の幸せな成長を促し、未来へ送り出していく。言葉では簡単ですが、人間社会の中で複雑に絡み合い、いかに消化していくかは並大抵ではありません。しかし、それを実行することで、子供たちの笑顔と豊かな感性が、自分への幸せにつながっていくことを知りました。

また、沖縄からの園長先生に聞いたラッキーな話なのですが

[悪霊を寄せ付けない言葉]を教えていただきました。
その魔法の言葉とは・・・





嬉しい、楽しい、大好き!
だそうです。゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

本当にこんな話が聞けて、私はラッキー!!ついている!!と思えるようになりました。そのluckyをおすそ分けできれば、と思い、今回ブログに書かせていただきました。でも、確かに船井幸雄さんの漫画でも同じこと言ってましたね。(自分はついている!!)と思うこと、って。
(o^-')b
このたび、占い師の仕事のお誘いがブログのメールでいただきました。本当にうれしい御誘いで、心からありがたかったです。

都会の隅で子供たちの発育発達での反抗記や、思春期の悩み、いちばん小さい子のイヤイヤ気にかなり振り回されながら、スピリチュアル保育士として奮闘中です。また、人間性レベルも向上する段階なのでと、大変もったいなかったのですが、お断りさせていただきました。

算命学に出会い、5年が経ちましたが、学べば学ぶほど、社会経験の中で自分を鍛え、無償の愛、奉仕の心を学ばなければ自分が持ってきた魂の学びを落としてしまい、運勢も最悪になることに気づくようになりました。


もっとも、今の保育園でもそうなのですが、やはり、自分の感情を抑え、若い先輩保育士から教えを乞う、学ばせていただく、など、謙虚な気持ちを持って仕事に向かわなければ、一揆に敵にまわるだろうという雰囲気です。いえ、神様はすべて出会った人にあり、自分を映す鏡なのだ、ということが現実を持ってわかるようになりました。

*☆*:;;;:*☆*:;;;:

ちなみに、私が持ってきた星すべてがあまりにもよく、そろいすぎてて、実は怠けたがるのです。ところが怠けてしまうと、主人にそれが向かってしまい、運勢や命ですら持っていかれてしまうとのこと。

すごいですね。運勢が良すぎて、それ以上に自分自身を向上するために感謝と奉仕の気持ちで働き続けなければならないなんて^^;だから現実社会での仕事をやめるわけにいかないんですね。

そして、それを自慢のように(自分はするつもりはなくても)言動を行ってしまうと途端に天罰が来るかのように人間関係で、特に自分がつぶれるように仕向けられてしまうのです。
つまり、自分の出したエネルギーが何倍にもなって跳ね返ってくるのですね。難しい星です。

言葉、行動のエネルギーは周りにいる人を通じて自分が出しているのだと感じることができるようになれば、自分自身の心というハンドルで、人生のドライブを大いに楽しめるのでしょうね。まさに人生はバイクツーリングのようなもの。ただ、そこで自分がラッキーな道のりに乗れたと思いこみ、自分の運転を過信したら(これは慢心な気持ちですね)いつどこで落とし穴やカーブでハンドルを切りそこなう、何かが飛び出してくる、など、大事故につながりますね。

運勢が悪い時はじたばたせず、ゆっくりと回りを観察し自分の心と対面する運転、良い時には飛ばし過ぎず、過信せず…。うん。


ちなみに、私が1ヶ月間の求職中のときは

[原田 真裕美さん]の「自分のまわりにいいことがいっぱい起こる本」

マーフィー「成功生活」88の方法

船井幸雄さん、赤池キョウコさん漫画の「ツキを呼ぶコツ」「スピリチュアルな世界 」

はずっとバイブルで、何度も読み返しました。そして絶対にできないことはない、というゆるぎない意識づくりをしていました。すると人間関係もお金の面でも本当に神様からの助けがあるのですね。まさに感謝の多い時間でした。今回のことも、本当になんの偶然なのか、私を見つけてくれるとは…という気持ちです。


(幸せ)という状態は自分自身の心の在り方だと思います。今日の日に感謝。ありがとう。すべての時間に感謝。

明日もまた、よろしくお願いします。笑顔の一日にします。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
















今回の保育の仕事で、とても人間性レベルの低い人たちが上司となった出会いは、私自身が精神を追いやられたあげくにその保育園を強制退職させられるという大きな出来事は結局はとても大きな感謝の心の学びにつながりました。
 今現在、新しい保育園、それこそ都会のど真ん中に近いところに就職でき、フリーの保育士で新たに働かせていただいてますが、やはり精神が安定して仕事ができるので今までありえない凡ミスをしてた自分がウソのようです。(手前味噌ですみません)さらにフリーと言うことで、その年齢だけでなく、すべての年齢の子供たち一人一人を把握し、その子にあった対応をする、重要な位置に居させてもらえるようになりました。

パワハラ園長のいたその保育園の母体の会社は別のフランチャイズの会社ですが、オーナーになった人たちとはかなりもめているようです。もちろん、フランチャイズ協会にはいれる会社ではないそうです。そのような会社が介護や保育園事業に手を出しても、会社もその努める人たちと同じエネルギーで成り立っているわけですから、決して人間性レベルの高い人たちが集まるわけではない、それに自ら巻き込まれるようにいってしまった自分は追いやられて当然なのだと理解できました。雰囲気がとても合わないのです。女性の職場とは言え、誰かしらの悪口も毎日飛び交い、噂話、不満話、全部聞く方も言霊となって帰ってきますが、そんなことは知る由もない人たちばかりでした。

そうして、保育士として就職活動をしていた時に沢山の方々、前回の保育園事業部の上司、施設長、保育士紹介斡旋会社の方、そして、何より自分が無職で身も心もズタズタだった時に、二人の娘がすぐにバイトを始めてくれ、生活費をほぼバイト代から入れてくれ、何とかしのげるようになったなど、感謝の魔法ですべてがうまく回るようになったのです。


思いの魔法は現実を作り上げていきます。これは本当に体験を通してなのですが、自分自身、ゆるぎないポジティブな気持ち、と同時にあの最悪な保育園でも、自分が学ぶために必要なものだったのだ、学びとなったのだという心により、より自分自身の人間の向上をしようと行動し、言動に気を使うようになると、本当に見えない天使たち、神様、もしくは守護霊様などのガイドが助けてくれるようになります♪

まだまだ学びの段階ですが、酸いも甘いも噛み分ける体験を通し、年齢を重ねるごとに魂がエレガンスさを増すようにしていきたいですね。
連日のように、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待でどこかの保育士が逮捕されています。
この間は、保育士資格証の偽造事件があったとか。

保育士の人間性の向上がないと言うけど、誰でも簡単に取れるシステム、研修のなさ、命を預かっていると言う上でのお給料の安さと、その事についての保育士の自覚のなさ。


更にそれに輪をかけるように、保育士市場がものすごい売り手になっている現状があります。。保育士の免許を持っているだけで引く手あまたのと、それを何度も利用しようとする紹介医者のいい加減さとか、母体になった本社が実はものすごいもうけ主義だけを追求し、子ども達の事や保護者達の事が置き去りにされている現実があります。保育士同士の悪口のオンパレードも凄かったですね。一度園長にターゲットにされると、自分から辞める、と言わせようとされました。そう言う事を教える会社だったのです。

ただでさえ、保育士の人間関係は複雑すぎて私自身も園長と主任のパワハラにより、どんどん精神を破壊され、仕事のミスが相次ぎました。
前の保育園ではありえないほどのミス。ヒヤリハットほどではなかったのだけど。

とにかく精神を追いやられる、と言う経験をさせていただき、保育士としての自分、正社員としての自分が分からなくなり、どんどん追い詰められていきました。

今回の事件も、前回の偽造事件もただの設け主義や、保育士免許があればすぐに仕事になる、などという安易な発想で起きたことではないでしょうか。役所は民間にマル投げ出し、状態を調べようともしない。

だからこそ、保育士のフラストレーションの解消もできず、一保育士によって事件が起こり「だから保育士は・・・」などと言われる。



*☆*:;;;:*☆*:;;;:

上の娘が「私が看護師になったら、保育園開こう」と力強い言葉を出してくれました。あんなに多動気味で、周囲からのいじめにあったり、少し通ってた女子校での陰湿ないびり、追い打ちもあり・・・。ずいぶん成長してくれたと、苦しみの体験から自分を学んだと感じます。

それはそれでありがたい話として受け止めます。小さな託児所でもいい。スピリチュアルな意味も含め「損して得取れ」「与えたものが受け取る」を心のシラバスにしていきたいですね。

ちなみに、尊敬している経営コンサルタントの船井幸雄サンの会社は保育事業も始めています。ただ、人を蹴倒してぼろもうけするような保育園は危険だともおっしゃっております。これからどんどん、よい人間と悪い人間の二極化が起こるでしょう。
与えたものがかえる、同じ波動は引き寄せ会い、違う波動は避けてしまう。その法則を常に思い、自分にあった保育園を(今は生活を支えるためだけど)探して頑張っていこうと思います。
今は心の整理をする充電期間と思って・・・。







もし、仕事の上で上司がパワハラをする人なら、その上司は自分の能力のなさを棚に上げ、あなたを厳しくしかりつけることで優位に立とうとし、あなたを「自分は仕事ができない人間なんだ」と少しずつマインドコントロールさせていきます。[もう、皆さんご存じとは思いますが]

このマインドコントロールはとても恐ろしく、今まで優秀であった人ほど、または人付き合いの上手な人、いわゆる、いい人ほど陥れられていきます。

イジメもそう。「いじめられる方が悪い」を常套句にし、心を破壊、自殺に追い込んで行く「殺人」です。

私自身、父親からの虐待や学校でのいじめにより、自分を「この世にいなくてもいい人間」と思い込まされてきました。

いわゆる、「鎖に繋がれた、サーカスの子像」です。

マインドコントロールによって殺人事件もたくさん残ってます。

イジメやパワハラをしている上司の方、学生さん、因果応報は必ずあなたの人生に帰ってきます。

「自分さえよければ」という地球人的な考えで動くのはやめましょう。

企業はまだまだその傾向が強いですが、成功している企業はやはり「愛」の方針によって運営されている企業ですね。働く職員もとても大切にしている。厳しさの中に手を差し伸べてくれる愛がある。
ちなみに、私の以前の保育園も本当に上司の方、施設長始め、先輩職員の人間性レベルがとても高い事に気付きました。やめてからそのような事に気付き、とても後悔していたのですが、自分の人間性レベルの低さも含め、謝罪の手紙を書いて送ったところ、夜も遅いのに元上司の部長さんがわざわざ心配の電話をかけてきてくださいました。その温かな声に思わず泣きながら今までの状況を話すと、社訓である「派閥は作らない、新聞休憩の意味」など人間性の向上を高めるためのものであった事を改めて教えてくださいました。また、保育の仕事も何年もしてたから心が向上された人が上司になるわけではない、という事も。

イベントも多く、その割にはお給料も安い厳しい保育園だったのですが、そこには職員を大切に守り育てて成長させていこうと言う愛がありました。
時間も凄く拘束されましたが、子供たちの未来のため、弾いてはその保護者のために愛ある保育をしてた、と思います。
成長させてくれようとする人(一緒に学んでいこうね、という気持ちの人)のお叱りの言葉と、陥れようとする上司の言葉は同じ言葉遣いでも大きく差がある事に気付きました。

私は心を破壊させられる、精神をおかしくさせられそうになった事を改めて気づくことができ、そこで「同じ波動は引き寄せ会う、違う波動は離れていく」宇宙の法則を改めて知ることができました。



この苦しみの体験もまた、マクロの目で見れば私にとって「必要、必然、ベスト」なのかもしれません。

そして、沢山の経験を積んで、人間性を高めている人ほど「実もなれば、頭もたれる稲穂かな」となり、神様の恩恵を頂いている人の人相になっていかれるのですね。
愛の宣教師、マザーテレサが各国を訪問した時に「偽善者!」などの場等を浴びせい、石やつぶてなどを投げつけてきた人たちがいたと聞きます。

その人々たちはなんと会社経営だったりお金持ちとか。

心の奥では神様の愛を知っているから、後ろめたさとかあるのかもしれませんね。・・・











新しい園で、一時保育を担当しながら、なおかつフリーの保育士となりました。担任と違って、周りの動きを読み、次に担任がどう動きやすいのかを把握してヘルプすると言う仕事です。

周囲の状況、客観的に見る力を養わないといけないなあと感じました。



*☆*:;;;:*☆*:;;;:
スピリチュアルだの、精神世界の追求だのと言うものはとかく独りよがりになりやすい。

自分自身がそうならないためにも心を鍛えていく必要性がありそうですね。