牧師の家に行った時もそうだったのだが、子どもを連れて外出するときは、ベビーカーを利用することが多い。

ベビーカーででかけると、駅やデパートなどでは、エスカレーターや階段での移動ができないため、エレベーターを使うことになる。

これが結構面倒くさい。

 

子どもが生まれるまでは、エレベーターなんて全然使わなかったから、例えばこれまでに何度も何度も利用してきた地元の駅ビルでも

「どこにエレベーターがあるか知らない」

という状態。

だから、エレベーターの場所を探すところから始めねばならない。

 

エレベーターが見つかっても、週末などは満員であることも多く、何台か見送らねばならないこともしばしば。

これまで気がつかなかったことだけれど、エレベーターによっては

「車いすやベビーカー優先 ゆずりあってご利用ください」

みたいに書いてあることも珍しくない。だけれど、実際はゆずりあうことなく誰でも遠慮なしに利用しているので、エレベーター前に、ベビーカー渋滞が発生するようなこともある。

また、ビルによっては、増築を繰り返したのか?目的のフロアにたどり着くにはエレベーターを乗り継がねばならないような、ヘンテコな構造の建物もあったりする。

僕自身も子どもができるまでは気がつかなかったことなのだけれど、そういう意味では、子育てしやすい環境とはなかなか言えないのではないかなあ、と感じている。

 

 

さて、ベビーカーを混雑している電車の中に持ち込んでこられると

「迷惑だなっ」

って腹を立てる人もいるようだし、そういうヒトの気持ちも理解できないわけではない。

他方、持ち込んでいる側の立場では、わざわざ混雑している電車に好き好んで突入しているはずもないわけで、やむにやまれぬ理由があるはずだ。

場合によっては、荷物をベビーカーに乗せ、子どもを抱っこしているお母さん方もいる。

たぶん、抱っこしていないと子供が泣き出してしまうとか、そういう事情があるのだろう。

子どもを連れていると、おむつやら着替えやらで、荷物が増える。結構な量。

それを子供を抱えひとりで運ぶ…、まして女性であるお母さん方には、さぞや重労働であろう。赤ちゃんって、意外と重いしね(ベビーはヘビー)。

なので、僕は最近では、子供連れのお母さんがいたら(お父さんでも)、座席を譲ったり、ベビーカーでの電車の乗り降りを手伝ったりするようにしている。

そういう場面は、以外にも実はあまり遭遇しないのだけれど、混雑している電車の中で、子どもを抱っこしながら汗をかいて大荷物をひとりで運んでいる人たちも時々はいて、そういう人たちにはやさしくした方がいいと思うようになった。

我が妻がそういう状況にあったとしたらやはり、周りの人にはやさしくしてほしいし。

 

 

なんだか、今日はまともなことを書いてしまった気がする。

ただ、ベビーカーって近所を散歩するだけならともかく、電車に乗ったり買い物したりする場合は、見た目ほど楽じゃない。そういうことを、自分自身がベビーカーユーザーになってみて初めて知った。

なにせ少子化ですから。

子育て中の人にも、やさしくできる世の中であってほしいものですなあ。

 

やはり今日は、まとも…。

 

 

 

 

 

 

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新築探訪③

テーマ:

牧師宅を出たのは、夕方の5時ころであったろうか。

昼の1時ころから飲み始めたので、4時間ほどの滞在時間であったろう。

わが娘は、その間ずっとぐずり気味であった。

牧師んちのお子さんと、タイチくんとことのお子さんと、同学年でゼロ歳児。

三人で一緒に過ごしたのだが、わが娘だけがぐずぐずぐず。

 

自宅へ戻ってきたのが、夕方の6時過ぎだったか。

家に到着した瞬間、娘は笑顔。

ほっとしたような表情。

娘は娘なりに、緊張していたのであろう。家に戻ってきて、その緊張が一気に緩んだに違いない。

 

と、またわが娘について書いたが、牧師はこの手の「子どもネタ」に対し、批判的である。

「いつから子育てブログになったのか!?タイトルを改めるべきではないのか!」

と。

このブログを始めたころ、僕はまだ33歳。

いま、41歳。

7年半の月日が流れた。

そりゃあ書く内容が変わって当然だ。

体重は変わらんが、生活は変わった。

書き始めたころは「スリランカに行く前」であったが、いまは「スリランカから帰国してはや5年」という状況で、その間、結婚もして子供も授かった。

このブログの読者は激減し、いまだに読んでくれている諸賢の何人かからも

「ヤスシ並みにツマラナイ」

と、僕の人権を無視したようなひどい言われよう。ヤスシと同列に扱われるくらいなら、死んだ方がマシ。

 

チクショウめ。

こうなったらやけくそだ。

あと2年半で、連載を始めてまる10年を迎える。

まあいい区切りだろう。

10年を迎えた時点で、このブログの終了を予告する。

その頃、わが娘は2歳10か月かあ…。

おっと。

また娘のことを書いてしまった。

ヤレヤレ。

すっかり僕も父親目線のマイホームパパになってしまったようだ。

 

マイホームパパで思い出した。

僕も牧師も名実ともに、マイホームパパである。

戸建て住宅を所有しているし、子どももいるので。

が、我が家は「建て売り住宅」であるのに対し、牧師宅は「注文住宅」である。

マイホームの質が違う。

建て売りは、当然だけれど「建っている家を買う」のだけれど、注文住宅は「自分の希望を設計に反映できる」わけである。

そういう意味で、牧師宅は牧師の趣味を色濃く反映した、とてもいい家であった。

スキー場へのアクセスを考えた土地選び。

スキー板や道具が収納できるスペースも完備。

屋根裏に牧師の個人活動スペースもあるし、漫画コーナーまであった。

建て売り族の僕からすると、単純に

「いいなあ」

と思ってしまう。

その「いいなあ」という感情はやがて嫉妬心になり、巡り巡って

「牧師の家など燃やしてしまおう」

という結論に達したわけである。

 

 

さて、今回の牧師宅訪問。

牧師夫妻にはすっかり世話になってしまった。

準備や片付け、僕は何もしなかった。

それはつまり、牧師夫婦がそういうことをしてくれたことを意味する。

牧師はそれでも全然かまわないが、子育てでお疲れであろう奥方様には手間をかけさせてしまった。

が、また遊びに行きたいし、たまには泊めてもらいたいと思っている。

よろしく。

 

 

 

 

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新築探訪②

テーマ:

牧師邸でのパーティ、というか飲み会というか、食事会には、そこそこの人数が集まった。

スリランカ協力隊OBを中心に、家主や乳児も含め、総勢13名。

僕は、妻と娘をつれてゆき、タイチくんも奥さんと息子を連れてきた。

牧師、タイチくん、僕には子供がいて、実は全員昨年生まれたいわゆる「同級生」なのである。

 

牧師とタイチくんのところは、昨年4月に生まれ、わが娘は8月生まれ。

同じゼロ歳児ではあるが、この4か月の差は大きく、体格が全然違う。

わが娘はひとりで座ることもできないが、牧師とタイチくんところの子たちは、余裕で座っていられる。わが娘と比べると「おとな」の風格を感じる。

しかし、我々本物のおとなたちは、ミルク代わりに酒を飲んだ。

 

牧師がいろいろ準備してくれて、サラダとか、チーズとか、酒とか。

あとは、家の中でBBQできる機械もあって、海鮮焼き。

サザエやエビやホタテなどを焼く。焼いて食う。

家まで焼いてしまおうかと思ったが、ひとまず食う方を優先。

うまいうまい。

ソーセージもウマい。

 

牧師は、奥さんとともにまめまめしく立ち働き、酒まで注いでくれる有様。

普段と比べて、ヒジョーに謙虚。

常識的なことしか言わないし、ツマラナイことしか言わない。

しかし、これは別に珍しいことではない。

牧師は、奥さんの前ではとてもおとなしくなってしまう。

以前、奥さんと一緒に牧師が我が家へ立ち寄ってくれたことがある。その時、我が妻も違和感を覚えたらしい。

「なんかいつもと様子が違う」

と。

僕は我が妻に教えてあげた。

「あいつ、奥さんといる時は、いつもああだよ」

と。

いわゆる「飼い犬」という状態。

ちなみに僕も飼い犬ではある。

タイチくんは、あまり飼い犬ではないようで、奥さんにしっぽを振っていなかった。

ちなみに、今回の牧師宅での飲み会を振り返り、我が妻は

「大人しいし、いい人だった」

と牧師の様子について表現した。

それはつまり、普段は「大人しくないし、いい人でもない」のだが、奥さんと一緒にいるので

「大人しくなり、いい人を装っていた」

ということを意味している。

なにも牧師を責めているわけではない。

それに、そうなってしまうのは牧師に限ったことでもない。

世の中の「夫」と呼ばれる種族の人間は、つまりはそういうものなのだ。タイチくんは違ったけれど。

 

 

さて。

子ども連れでの牧師邸訪問であったので、さすがにベロンベロンになるまで飲むわけにもいかなかったため、スローペースでの飲酒。

とはいえそこそこ酔っぱらったので、うっかり牧師の家を燃やすことを忘れてしまった。

次回訪問時には必ず燃やそっと。

木造建築なので、よく燃えそうだ。

そうなったら、牧師には灰になった家と、ローンだけが残ることになる。

頑張って返済してもらいたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

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新築探訪①

テーマ:

牧師というのがいて、もちろんそれは通称である。

牧師は、スリランカ協力隊時代の仲間で、帰国後、奇跡的に結婚し、現在は一児の父であり、痛風一歩手前である。

 

牧師は、半年ほど前に家を建てた。

注文住宅である。

この家の設計段階の時期には、

「設計士との打ち合わせがあるから」

とかと言い、飲みの席に姿を現さないような不届きなこともしばしばあったので

「家が完成したら燃やしてしまおう」

と僕は、密かに考えていた。

 

というわけで昨日。

牧師の新築披露パーティ、というか飲み会に行ってきた。

場所はもちろん、牧師宅、である。

 

牧師宅は、僕と同じ埼玉県内にあり、どちらかというと

「田舎方面」

の地域にある。近くに高速道路の入り口があり、それはつまり、スキーを趣味とする牧師が

「ゲレンデまでの利便性を考えた」

立地条件。

 

最寄駅から徒歩20分。

牧師宅に到着。

家の外観は白を基調としとしており、木の柱やドアが、印象的。

家の中に一歩入って驚くのが、玄関にスキー板やボードの保管スペースがあること。板やストックなどが、木製の専用ラックに並んでいる。

むう。

やはり燃やしてしまったほうがよさそうだ。

で、牧師は「ようこそ」と我々を迎え入れた。

 

屋内は、床からテーブルまで、木材がふんだんに使われていて、CW・ニコルも納得のインテリア。

吹き抜けから、光が豊富に入ってきて、室内全体が明るい。

リビングに隣接して、一段上がった和室があり、そこがベビールームとして活用されていた。

昨年の春に生まれた牧師の愛娘は、そこでゴロンとなって、にこにこしている。

 

二階は、寝室と子供部屋?があって、問題なのはその上、屋根裏部屋みたいのがあり、そこにはギターやベースなどが並べられ、ソファなんかも置いてあったりして、いわゆる

「オトコの隠し部屋」

的空間。

気の毒だが、やはり燃やしてしまったほうがいいようだ。

 

 

つづく

日曜

テーマ:
今日は、通称・牧師の家に遊びにいった。
新築なので、なんかいろいろイタズラしてやろうかと思ったが、新築ゆえに、何もできなかった。

で自宅にもどったのが19時過ぎ。
洗濯物を取り込み、我が娘を風呂に入れてギリギリ20時。

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「珠のれん」っていうんですか?

木製の玉を数珠みたいにつなげて、何本もつるしてあるのれん。

台所とか玄関とかにあるアレ。

最近の家では減ってきてますけど、昔はよく見かけましたよね。

 

我が同僚がある高齢者の家(古いアパート)に訪問した時に、玄関に珠のれんがあったそうです。

そしてその珠のれんをよく見ると…小さなゴキブリが

「無数にいました…」

と。

 

思わぬトラップに引っかかった同僚だが、なんとか珠のれんをイナバウアー状態で通り抜け、ゴミだらけの居間で到達し、家主に「どうぞ」と勧められた座布団は

「もう雑巾でしょう…」

というシロモノで、座布団と畳の間から、大きなゴキブリさんたちが複数

「いらっしゃい」

と、歓迎してくれていたそうで、その同僚はいろんなことをあきらめて、その座布団の上で、

「中腰になりました」

ということです。

お顔ふきふき

テーマ:

昨日書いた記事の中に、僕が作詞作曲を担当した

「お顔ふきふき」

という歌について、多くの読者諸賢から大反響があった、なんてことはなかった。

むしろ、「黙殺された」とでも言えば御満足だろうか。

ではあえて、今日はその歌について書こうではないか。

 

かの名曲「お顔ふきふき」は、わが娘の顔を拭くときのために作られた歌である。

そもそも曲を作ったきっかけは…

「お風呂で湯船につかりながら、お湯で濡らしたガーゼタオルで顔を拭くと、顔がぬれるのが嫌なのか、ものすげえ泣いた」

という、父親としてのほろ苦い経験。

 

で、その次の日のおふろの時間。

お顔を拭くときに「今日は泣かさない」という決意のもと、その場でテキトーに歌をつくった。それが「お顔ふきふき」である。

以下に、歌詞を掲載する。

 

 

お顔ふきふき

お顔ふきふき こころウキウキ

○○ちゃん ○○ちゃん

お顔ふきふき こころウキウキ

お顔ふきふき だいすき

 

 

読者諸賢たちのなかに子育て中の諸賢がいれば、「○○ちゃん」というところにご自身の子供の名前を入れて活用できる!のである。

ちなみに、著作権フリーである。

また、メロディーについては、ブログで書く文章では表現しきれないため、諸賢たちの創造力をもって補完されたし。そこまで甘えるな。

が、僕も鬼ではない。メロディー作成のヒントを差し上げよう。

「お顔をふくときに、子どものこころがウキウキするような」

メロディーである。

歌詞そのまんまだが、そこが泣かせない最重要ポイントなのである。

実のところ!

この歌を歌うと、わが娘は顔を洗っても少しも!!泣かないのである。マジで。

 

さて、読者諸賢。

この歌には2番があることをご存知だろうか。

知らない読者もおられようから、以下に歌詞を掲載しておく。

 

 

おしりふきふき

おしりふきふき こころウキウキ

○○ちゃん ○○ちゃん

おしりふきふき こころウキウキ

おしりふきふき だいすき

 

 

これは、おふろでこどものお尻を洗うときにも使えるし、それよりもむしろ、オムツを卒業してトイレを使うようにり、お尻を拭いてあげる時に歌ってあげるのが本道であろう。

ちなみに、著作権フリーである。

 

是非ご活用を!

 

風呂場教育

テーマ:

仕事から帰るといつも、娘と風呂に入る。

まずは僕が自分の体を洗い、それから妻に声をかけて、娘を風呂場に連れてきてもらう。

それから、妻と二人がかりで娘の体を洗い、湯船の中へ。

僕は娘を抱っこしながら向い合せになって、まずは歌を歌う。

 

一曲目は「ドラえもん」。

二曲目は「お顔ふきふき」。

(※「お顔ふきふき」は、子どもの顔を拭くために僕が勝手に作詞作曲した歴史に残る名曲。)

で、三曲目…、と歌を歌ってきたのだけれど、最近は三曲目を歌う代わりに、昔話をするようにしている。

「昔話」といっても、自作のストーリー。

その場で作る。

話しながら考え、考えながら話してゆく。

というか、別に考えない。考えずに、思いついたまま喋ってゆく。

なので、毎日違うストーリー。

例えば昨日の「昔話」は…、

 

むかーしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました(ここまでは大体いつも一緒)。

あばあさんが川へ洗濯へくると、川の水が真っ黒に濁っていて洗濯ができませんでした。

「まあ困った。これでは洗濯ができない。どうしましょう」

おばあさんが困り果てていると、川の中から女神さまが突然現れてこう言いました。

「おばあさん。この川の汚れは、上流にある工場が原因です。私はあなたに命じます。工場へ行って川を汚すのをとめてきなさい」

おばあさんは驚いて「はい」と答えました。

 

その場では女神さまに素直に従ったおばあさんでしたが、

「なにもいますぐ洗濯が出来なくても死ぬことはない。ひとまず家に帰って、おじいさんに相談しよう」

と、ひとまずこの案件を家に持ち帰ることにしました。

 

 

というところで時間オーバー。

口から出まかせに喋りつづけてきているので、物語の結末は、喋っている僕にもわからない。この話がいつ終わるかもわからない。

が、わが娘は生後5か月。物語の終わりまで話を聞いていたら、確実にユデダコ状態になり、脱水で失神。

というわけで、いつも物語の完結を見ずに、娘は風呂から上がることになる。

で、次の日はこの続き…、というわけではなく、また別の話を一から喋ってゆく。

 

読者諸賢に相談。

こういうのって、子どもの教育上、どうなの?