こんにちは!
伝わる日本語のコミュニケーショントレーナーの伊藤惠子です。
このコーナーは
日本語教師だった頃思ったことを
徒然に書いていこうと思います
日本人のための「けこさんのにほんご講座」で
「世界共通のルール」として「文法」ということばを使うと、
決まって戻ってくるのが、タイトルのことばです!?
その印象はどこから!?
それは一様に中学で学んだ「英語の文法」!!!
そもそも「文法」って?
辞書によれば、
1.文章を構成するきまり文章の規範。また、文章の作法。
2.言語学の対象の一つ。小さい言語単位が連接して
大きい単位を形作るときに見られる様々な法則。
「文法」も法の一つ。
規則やきまり。
ということは、文を理解するための助けになるはずのきまり
なのに、
「分からない」
「難しい」
「つらい」
「面白くない」などの
否定的な感情を伴った印象が並ぶのはほんとに悲しい
もっと悲しいのは、
「文法」の印象と
初めて学校で習う外国語についての印象とが
いつの間にか置き換わってしまっていること。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
外国語を学ぶって知らない国のことや知らない国の人たちのことを知ること
ホントはとっても楽しい面白いことだと思うのに・・・!!!
それってほんとに悲しいこと
本来、外国語を学ぶことと、文法を学ぶことは
イコールじゃないのに、どこかですり替わってしまったみたい
そもそも「文法」を学ぶのは何のため?
国語の時間にも「文法」はありました。
辞書のことばを借りれば
私たちが国語で学んだ「文法」は
「言語学の対象の一つとして、小さい言語単位」を分析して学ぶということ。
たとえば、身体の内臓について学ぶのと同じように
私たちのことばの小さい単位について
知識として得るものだといえるのでは。
一方で外国語を学ぶ時の「文法」は
それがあるから外国語を理解できる、言うなれば、
骨組み、ほかのことばで言えば「体系」みたいなもの。
学校で学ぶときには特にこの「体系」を知ることは大事。
「古文」や「漢文」といった日本や中国の古いことばにしても
同様に「文法」を学ぶことでことばを理解することができました。
よく理解できたかどうかは別にして(^^’
「文法」ということばが与えてしまった印象は
とても罪深いように思います
少しでもそんな誤解が
「日本人のための にほんご講座」で払拭できれば、嬉しいです
そんなことがにほんご講座に参加してくださった方々から:
◆「もっと早くに教えてもらえたら、英語がもっと楽しく学べたのに!!!」
◆「ケコさんと話していて教えて頂いたのですが
文法は違った言葉をつなげる源なんだと。
私が英語に出会った時から
思っていた、違和感やいらだちのほとんどを
ケコさんのセミナーで理解することが出来ました。」