今月4日に父が他界しました。

 

いろんな手続きなどもだいたい片付き徐々に落ち着きを取り戻してます。

 

昨年末に突然のがん宣告を受けて長いようで短かったこの10カ月少々・・・

 

10月1日に入院していた病院の新館の病室に引っ越しし、翌日の日曜日に様子を見に行った。

看護師さんに様子を聞くと引越し時には笑顔もあってテンションがちょっと高めだったと聞いてちょっと安心した。

日曜日はその反動か疲れ気味というのは見て分かったし、看護師さんも言っていた。

 

その翌日、午前中に病院から電話がかかってきて、ちょっと息が弱くなってきてるようなので万が一を考えて面会に来れないだろうかということでした。

早速病院に向かったところ、鼻に酸素チューブがつけられていました。

 

電話をしていただいた看護師さんが電話しようかどうか迷ったけど、息を引き取ってから電話することになるよりいいかと思ってしましたということでした。

これには感謝です。

 

もう会話ができる状態ではありませんでした。
呼吸をすることで精いっぱいのようだと見えました。

 

その夜は母が残ることになって自分はいったん帰って翌日、妹と病院に行き母と交代することにしました。

 

そして翌日、妹を駅まで迎えに行き、車に乗せて病院に向かう途中、あと病院まで数分のところで携帯が鳴りました。

病院からでした。

 

「今、呼吸が止まりました」

 

と言われました。

 

こういう時に限って信号がいくつも赤になり止まる羽目に・・・

さらには病院の駐車場が満車で少し離れた駐車場に止めに行くことにも・・・

 

ようやく病室につき、やっと父の顔を見ました。

普通に寝ているようでした。

顔色もよく穏やかな表情でした。

 

母は泣いていました。

自分はぐっと抑えていました。

 

そこからいろいろと手配することとなりました。

 

病院から霊柩車で出ていくのを見送るとき、とうとう我慢できずに泣いてしまった。

ずっと看ていていただいてた看護師さんから背中をたたかれ、「よく頑張ったね」と言われた。

 

四日から今日まで何度泣いたことか。。。

 

ただ、救いは葬儀などに参列いただいた方々皆から普通に寝てるみたいに穏やかな顔してる、今にも起きてきそうと言われたこと。

 

母からも寝るように息を引き取ったと聞いた。
みていただけでは息を引き取ったこともわからなかったとか。

苦しまずによかった。

それだけが救い。

 

闘病中も抗がん剤による副作用も髪が抜けたことくらいで痛みとか吐き気とかそういったことが一切なかったこと。

だから、できうる限りの化学療法ができた。

 

しかし、そうはいってもやはり今はもっとあーしとけばよかったとか後悔の念しかない。

それも答えは絶対に出てこない。

きっと誰もが直面することなんだろうとは思う。

 

喧嘩することもあるだろう、ウザいと思うこともあるだろう。

でも、そういうことも含めてすべてが思い出となって残るのよね。

楽しかった思い出より逆にそういう衝突だったりうざいなとか思っていたことのほうが思い出として残るように思う。

 

だから今、言えることは、避けるのが一番よくないと思うということ。

これは後悔しか残らないと思う。

どんなことがあっても父は父だからね。

 

長文になってしまった。