理想の音楽はあるのか? | リーベショコラーデ

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thoughts about music and singers


国内外の声楽家や音楽家の演奏を聴いて
最近思うこと☆

※ 最近はブログなどでご本人の感想を読めたり
 直接会話できたりする時代になったのは
 まことに有り難いことです。


日本人て、教育がそうなっているからでしょうけれど

「求道派」

が多いと思う。


音楽も、道であって

そこの行き着く先に《究極の自分の演奏》がある

と考えているような発言を日本人はよくします。

演奏会の後には必ず「反省点」がブログに綴られる




いつまでたっても、自分は「完全」ではない
いつも95点
そして100点を目指すのが自分の生き方



そういう考えを外国の人から聞いた事がありません

欧米の人は、基本、自意識が高い
自分は自分
反省はするだろうけれど自分が道の途中にいるとは考えていない

今の自分が自分




どういうことかと言うと、

日本人はなにか「理想の自分(理想の自分の演奏)」というものがどこかにあって、
それを追い求めて行くのが自分の音楽人生だと
考えているように 思われるのです


それは

道を極める という 極めて日本的な考え方が反映している



チガウと思う。



私たちは95点の演奏を聴きに行くのではありません

その時 その場所で 最高の自分

を見せてくれるのを観に行く訳です


キズがあったっていい
ミスがあったって それが《その瞬間の最高の自分》ならばそれも素敵。


そういう考え方が 日本人演奏家には無いように思われるのです。

「自分はまだまだ」「今日のは納得しているがもっと上を目指す」.... e.t.c.


それは、時間が経てばより良いものができるという錯覚がある。
それは、間違った考え方です。

マルタ・アルゲリッチ(p)が「舟歌」を録音したのは1960年のデビュー、
19歳のときです。
聴いてみて下さい。




ハマります。ませんか?

そして、二度と録音しませんでした。

何故か。

もうあれで完成だからです。

練習を重ねて「もっと良く弾ける」などというものではない。
☆「別の弾き方をする」というのはあります
☆グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」録音はそれですね

年齢を重ねれば巨匠とか名人とかになっていく、というのは
日本的な幻想です。
【いま、この瞬間のあなたが、最高なのです】



考えてみて下さい、明日は死ぬのだと。
今日が最後の演奏の機会だと。

それを「95点」の演奏で済ませられますか。
「まだまだ次がある」「理想までの道のりは長い」
などと言ってられますか。



わたしたちは 95点の演奏を聴きに行くのではありません。

《その時その場所で最高の自分》を見せてくれる人を

観に行くのです。






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