ドラマと原作の間(あの夏、少年はいた) | 日月抄ー読書雑感

ドラマと原作の間(あの夏、少年はいた)

昨日のNHKで「あの夏~60年の恋文~」という土曜ドラマがあった。もしやと思って見ると、昨年発行された「あの夏、少年がいた」をラマ化したものであった。この本は映像作家の岩佐寿弥氏が昭和和19年、奈良高等女子師範学校の4年生のときの教育自習生の教師川口(旧姓雪山)汐子先生をあるTVの映像で見つけ、当時強烈な印象を残して去った汐子先生に手紙を書いたことから二人の手紙のやり取りがはじまり、その往復書簡集である。

同時代小学校生活を送った私は岩佐少年の記憶の確かさと年上の女性教師に対する思慕の念の文章に感心し、「あの夏少年がいた(書評) を載せているので参照されたい。(2005年11月29日のブログ)

ドラマは実際に主人公の川口さん・お孫さんの大学生、岩佐さんが登場し語るドキュメンタリーの部分と、小学生時代の様子をドラマ化した部分に分かれ二人の交流を映像化している。

本で見た二人を描いていたイメージとそんなに違わない実像を拝見したが、ドラマ化された映像には、違和感をもつ場面があったことは否めない。私の体験によるともっと殺伐とした風景が戦争末期にあったように思う。確かに奈良の子供たちは裕福な家庭が多かったと思うが、私は食料難に陥り野山の雑草を追い求めて放浪したことを思い出す。

確かに川口さんがその「教生日誌」に子供の様子を詳細に書き記している様子は戦時体制の中では稀なことであり感心するが、その少年や教師の気持ちが映像化されるとなんとなくそのイメージが限定され美化されてしまう感じである。むしろ、二人の語り(ドキュメント)に真実があり、関心をもったのはそちらであった。

それにドラマのサブテーマ「60年目の恋文」にも抵抗を感じる。岩佐さんの手紙も確かに感傷的で年上の人に対する思慕の面があるが、あの戦争を教師、児童等が共通体験したことこそ貴重であり、またそこに共感する二人の姿に感動する。

私にとってこのような甘い思い出はない。終戦まもなく代用教員の先生に「日本は戦争に負けた、今までお前たちに軍歌(音楽の時間は殆ど軍歌)を沢山教えた。今日はその歌を全部歌って別れよう」と窓を閉めて大声で歌わせ、まもなく辞めていったK先生のことを強烈に覚えている。こんな体験はとてもドラマにはなるまい。

川口汐子/岩佐寿弥著  あの夏少年はいた  れんが書房新社 2005年9月