戦没農民兵士の手紙 | 日月抄ー読書雑感

戦没農民兵士の手紙

次の記事が目にとまった。 太平洋戦争の戦地から古里の家族に向け、農村出身の出征兵らが書き送った書簡を朗読する催し「戦没農民兵士の手紙」」(岩手県農村文化懇談会編、岩波新書)が9、10の両日、盛岡市のいわてアートサポートセンターで開かれる。(7月31日河北新報)

この本は1961年、岩手県農村文化懇談会が農村出身の兵士達がどのように戦争に臨み、死んでいったのか、戦地から家族、友人に宛てた農民兵士の手紙を集め(全国から2873通、殆ど岩手出身者が多い)その中から「鍬を棄てて」「営門の中」「戦線にて」「土のきずな」「死への行軍 」分類して選んだものを編集したものである。

手紙の内容は「僕は子供のことを一番思っている」とか「身体を大切にしてくれ」とか、親、妻、子供を思うものが多い。また「開墾地は如何です。もう黄金色にみのった作物が目に見えるようです」とか時候に併せての農耕への配慮が多い。不思議なことに戦地での辛さの内容が少ない。これは厳しい軍律のなかでの検閲や、家族に無用な心配をかけたくないという配慮があったものと思われる。

逆に「軍隊も忙しいが家の忙しさよりも遥かに楽です。いまだったら起床は6時、多忙な農村だったら恥ずかしくて人様には見てもらえませんよ」というような「楽な軍隊生活」の内容の手紙が目につく。これはどう解釈したらよいのだろうか。編集人たちは当時の農村の生活が軍隊より過酷であったことを指摘している。反って東北農村の現実が分かり複雑な思いにかられる。

だから戦争になんの疑問を感じぜずに軍隊内での昇進・出世に努力している姿がいじらしい。農村兵士の学歴は殆ど高等小学校出で彼等にとっては軍隊教育が学校教育の延長でもあった。勉強して昇進し給与を多くもらい家に「送金する」内容の手紙も多く見受けられる。このように軍隊に強い憧憬の念を抱かせた背景には東北農村の貧困さにあったのではないかと文面から感じる。

この「戦没農民兵士の手紙 」は淡々と書かれているが、兵士のふるさとや家族を想う真情を胸にして戦場に散っていったことを思うと、改めて戦争の無情さや悲哀さを感じてならない。この本の最後の、一人も殺さないのに死刑宣告を受け処刑寸前に書いた兵士の文章だけが唯一戦争に怒りをぶつけているのが目に付く。「俺は復讐裁判で死ぬんであって良心に何一つ疚しいさはない」と叫び死んでいった彼も戦争犠牲者であるに違いない。

岩手県農村文化懇談会編  戦没農民兵士の手紙 岩波新書 1961年7月刊