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幸せをつかむ! 時間の使い方/和田 裕美


p86.
 ――本当は縦に並べなきゃいけないんです。
 いちばん上に来たカードを取れただけでもすごい幸せなんです。
 そしてまた順番がきたら、また2枚目のカードを取ればいいんです。
 取れないカードもあるけれど、取れたカ-ドの価値が高いから満足します。絶対に幸せになれます。
 ――自分にとっていちばん優先というのは何か、自分がいちばん重要だと思うものは何か。
 いちばんは1個なんですよね。それを取れれば、文句を言わないほうがいいのです。
 さらに、そう思うと決断も早くなり、その分、時間に余裕も生まれます。

 >時間術としては、他の本でも、この本でも今まで言ってきたこと。
 「いちばん大事な物から、優先して掛かる」という事だろう。
 そうすれば少なくとも、一番の物はこなせるし、また考えずに没頭することで、作業時間は短縮、準備のためにマゴマゴしてる期間も少なく済む。




 ただここで言う意味には「それを取れれば、文句を言わないほうがいいのです」という事からも、価値観としての重みがあるような気がする。
 知っていても、実践しなければまったく変化とはならない。そして実践するためには、本人がその行う理由を、納得し、把握しているかが重要だから。
 それと共に、ここでの「いちばん」は、一番好き、一番やりたい、という事だけではないだろう。嫌な中、辛い中でも、”いちばんすべき”という事でもある。
 いわばどんな境遇でも、ベストな行動を見つけ、目指す。
 そういった「危機論」も感じた。


 


 まあどちらも解決の仕方であり、それの最も合理的な形がすなわち、時間術ということに繋がっていくのだろう。


 そう、どんな状況であっても、その場面での一番合理的(ベストな)選択こそが、時間をも作る。というより、そういった実りある結果を生む選択肢こそ、合理的と呼ばれる。


 実りがあれば、時間も浮く。簡単な話かも知れない。それを見つけ、考え、使いこなすのはまた奥が深そうだが。



 p89.
 ――自分の読めるカードだけでゲームしていて、他のことは全部、それぞれの得意分野の方にやってもらっているからなんです。
 ――「できない」とわかってそれを潔く認めたら、堂々と人に頼めるし失敗してもかっこつける必要もなくて、プライドもなく一から練習できます。
 ――私も昔は「お金持ちと結婚したい」と思っていたけれど、お金持ちじゃない人が好きになったら、「自分で稼げる女になろう!」と意識が変わりました。

 いちばん欲しいものの順番を変えると、自分にできることが増えるのです。
 >ゲーム製作に思い切り当て嵌まるな、と私は置き換えて読んだ。すなわち(製作のなかでも)自分のしたいを絞り込み、他のことを得意な人に任せる。
 これは悪い事でも何でもなくて、社会の生産性が上がるのだから、基本的で、正しいことだ。むしろ、やらなければ困窮するだけ、と思う。
 と言いつつも、まさに今、絵からプログラムまで、独力でやっている自分がいるのだが・・・・・・。




 和田さんは、不器用だと自分を認め、だから自分の得意なことだけをしていくんだよ、と公言している。不器用者にはこのやり方、というわけなのだろう。
 私からしてみれば、和田さんもずいぶんと器用に思える。ハッキリ言って、その器用さは一人でそこそこ全てをこなせる人より、器用だ。一番”合理的”な結果、つまり人に頼む、ってことをためらいも無く選べる。これが器用でなくて何なのか。


 いちばん不器用とは(不幸自慢? に酔ってはいけないが・・・)いや”自分の作品”だから、全て自分でやらなければいけない、たとえ下手でも、それが俺というものだから、これはこれで人が好んでくれる味が、などと理由を付けて、人にすら頼めず、あまり得意でないことも含めて、やっている奴のことを言うのだと思う。
 しかしそんな事を誇っていても仕様が無いので、私も、なんとか外注をしなければと思っているのだが・・・・




 最後の文の、考えた方は面白い。勉強になると思う。
 つまり、「いちばん欲しいもの」を、”自分で作った絵や、プログラム”ではなく、”自分の作品”に変える。スライドする。
 そう目標を置いた時に、現在の想いが、前の想いをも包含して、大きくなる。合理的なやり方を選べるようになり、圧縮して詰め込める、と言った方がいいか。
 和田さんでいえば、”自分で稼ぐ”と決め、それを実現したときに、前の願いの裏に潜んでいた、”お金持ちと結婚して、セレブになりたい”という、本質をも同時に叶える。(お金持ちとの結果は、セレブへの道、代替目的にしか過ぎなかった)




 やはりそうした本質を考えても、”自分の商品を作り、売る!”という事が目標で、自分の手による製作はムダの多い手段としか思えない・・・
 しかし、ならばもう一つ包み込もうとした時に、”自分の商品を”という部分が包含されて、”売る”→”売れれば、自分でなくても良い”という事にならないだろうか?
 つまり、お金が儲かれば基本、何でもいい、と。


 この、”自分の商品”というのは欠かせないトコロで、だからこそ、”自分の手でつくる”も外せないのではないだろうか。
 ・・・自分で画像やプログラムを作るのが夢中で楽しければ、それも最適な形だろう。だが自分はうんざり来てるのに、人に頼む形を探さず、頼まず、自ら非効率とも言える形を引き受けて、自分自身を、率先して苦しめるのだ・・・
 いったい何故か。採算の時点で、人に任せることも出来ず、お金を払わないと協力も募れない。そんな状況だから、自分でやらなければならない。今現在自分がその状況なのだから、頭では分かっているのに、なんとか現状を正統化しようとする・・・
 そういった環境のスパイラルによって、さらに抜け出せなくなっている気もする。
 
 果たして他人に任せるのが、つまり和田さんのやり方だけが正しいのか、という疑問もあるが、理屈から言えばまさにその通りなのだ。いや理屈うんぬんではなく、任せてみよう。それで分かる。


 やっぱり何だかんだ、自分でちまちまやるのが、好きなのだろうか? 分からないが、この自分の中での拒否感を、どう捉えるべきか?



 p94.
 ――「人の器ってこうやって前の器を割って次にいくのだと思うの・・・」
 ――人って、がんばって忙しくなればなるほど、できることが多くなるのかなと思うんだ。前向いて忙しいときってなぜか、同じ時間が過ぎているのに同じ1日24時間で1年は365日なのに、もっともっと要領もよくなって容量も増えるんだとそのとき知ったんだよ。
 ――私はこの程度しかできないと自分で思い込んでいると、自分はもう限界だぁと思うことって多くて
 ――いまは、無理だなぁと感じたら、あと一歩だけでも進んでみようと思うことにしているの。
 ――だから、器を割るっていうのは、『自分が思っている限界点を超える』ことじゃないかと思うの

 >「器を大きくする」には、どうすればよいか、という部下の質問に答えて。
 基本とも言えることだが、詰め込み、それにより追い込まれ、新しい合理的なやり方を立案し、達成感を得る。”できない”と思っていた自分が、がんばれば超えられた瞬間。
 その充実感と、達成感。




 それこそが人が変わり・・・また、”器が割れる(そして、もっと大きい器が出てくる)”瞬間でもあるのだろう。


 これにはまさに「仕事」というモノが、最適な教師のように思える。達成感を得るためには、最高の環境であるのかも知れない。「仕事」は。
 そう思えば、仕事を少しは愛せそうなのだが、しかしその快感への第一歩がまた難しいことも感じている・・・なかなか集中できない。集中力が続かない。
 これも自分の好きなコトではないせいだ、と思うも、別にゲーム製作にもそれほどまでに入れ込む訳でもない。
 マイペースだ。




 今、ドット(絵)でも、少しでも合理的な手段を見つけようと躍起になっているが、新しい方法を試すと、少し早くなったぞ、という事が見えて好きだ。
 小さいことだが、そういうことだろうか。
 それでもやはり、それがずっと積み重なっても、器が割れるなど想像も出来ないが・・・。やはり、全然追い詰められ方が足りない、ということだろうか。
 仕事(他人)でもないと、自分を追い込むのは私にはとても困難だ・・・・・・


 個人製作は、他人に要求されるレベル以上を、自分に要求できる人だけがやっていいという事なのだろうか・・・?
 悔し紛れの言い訳だが、ひたすら集中で、1コ1コ撃破していくだけが、成功法則ではないはず、と言いたくなる。もっとマイペースで、気軽に、でも長く。そんなやり方もあるんじゃないかって・・・。自分の今の実力を見ると、やはり、その道も不安だと感じてはいるが・・・
 
 どちらでも成功するのだろうか。(*成功するまで続ける)


なら、自分の決めた道を信じることだけが必要になることだろう。私自身は人に頼むか・・・、未だに抵抗がありながらもまたそれも必要に感じている、という・・・ふらついたスタンスなのだが。



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