愛、とは、手のひらをその肌に触れること、の、関連記事 2011月02月16日
コグレさんと、クボさんとトモコさんは、ニセコのアルペンで働いてたつながり。だそうだ。
ヤッコちゃんは、西シャコYH ( 西積丹ブルーホライズンYH )で、西シャコYHのオーナーのシノさんにそそのかされて、「ロッジを自分たちで建てよう!! 計画」に乗り、ニセコへやってきた。(その話はまた、今度。)
http://ameblo.jp/ni3tttym/entry-10381859607.html
30年前に、ヤッコちゃんやチャリが作ったそのロッジは、今もニセコにある。
次を引き受けた人がセンスが良かったようで、今は、素敵なたたずまいになっている。
素人が作ったんで、けっこういい加減だったと思うけどさー。すごいよね。今も使えてるもん。
あれさー。大量にセメント買ってきたおかげで、基礎がすっごい頑丈に作っちゃったんだよ。偶然。と、クボさんも参加してたのか。
初日の夜は、ニセコに住むヤッコちゃんと、札幌に住むコグレさんが訪ねて来てくれて、まさに、80年代にワープした。
クボさんの新婚の住まいは、最初、線路の枕木だけでログを組もうとしたようだ。大量に仕入れた(もらった???) 枕木を運ぶのを、わたしも手伝ったことがある。
チャリと、ハブと、ロッキーと、ツネさんと連れ立って、初めてニセコまで行った日だ。確か、2トントラックで運んだんだっけ?
真っ黒いオイルのしみ込んだ枕木は、機械油の強烈な匂いがして、触ると手がべたべたした。
その枕木は、やっぱり油臭くて、家にするのには適していなかったようだ。
トイレと、玄関先の材料にはなったらしい。その部分はクボさんが手作りで仕上げた。
とにかく、何でもしてみる。というのは、若さゆえなのか?
冬はスキー場で食えるからいいけど、夏は何でもしたよね。
山だと工事現場。西シャコだと、港があるから網はずしとか。チャリンコなんか、網はずしけっこうやってたよね。うん、やってた。やってた。
チャリもヤッコちゃんも、西シャコYHでヘルパーをしていた。
網はずしは、俺もやったね。と、ヤッコちゃん。
お金じゃなくてさ。あの頃、現物支給なんだよね。YHの食料に持ってけって、イカとかをトロ箱でくれんの。
でも、シーズンじゃないから、客なんて来ない。冷凍したイカがどんどんたまってきちゃう。
そうすると、ヨーコさん (オーナーの奥さん) が、売ってこい。とか、思いつきで言い出すんだよ。
言われると、とにかくなんとかしないとって、トロ箱持って、団地みたいなとこ行くんだよ。それで、イカなんか並べてみるんだけど、だーれも来ない。場所をあちこち変えてるうちに、ひとり、ふたり集まって来ると、そのうちわーっと人がたかって来るんだよね。
何回かやってるうちに売るコツとかわかってきたりして。売れたお金で、次はメガホンとかも買っていく。けっこう売ったよ。団地妻に人気あったもん。オレ。
ヨーコさん。無茶言うからねー。釣りをしてる人に、豚汁売ってこいってのもあったよ。と、今度はチャリ。
売ってこいって言われた時だけ行ってたら、おめーら、商売やるなら、毎日来い。
たまに来て売れるなんてと思うなよ。って、言われたなー。あと、豚汁より、熱燗持ってこい。とかね。
祭りがあるから、焼きそば売ってこい。ってのもあった、あったー。
遊びの延長で、いろんなこと、やってたなー。そんなんで、けっこういろんな事、覚えたかも知れないよなー。
お金がないってことも、こわくなんかなかったよねー。
なんとかなるって、そう思えたもんね。
あっという間だけど、あっという間じゃない。その中にいろんなモノが詰まっている30年という月日。
それなのに、昨日の事のように、鮮明に覚えている風景がある。
30年経って、わたしたちの何が変わったというのだろう?
多分、何ひとつ、変わってやしない。
心の中をのぞいたら、きっとまだ、きらきらと光っているモノがあるはず。
遊びの延長で、これからも生きていけるさ。
Take it easy、、、
そう、そしてその中で、いろんな事を、まだまだ学んでいくのだと思う。
http://ameblo.jp/ni3tttym/entry-10360463558.html