インド東北旅行 ナガランド編 | nezumiippiki

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 今回はナガ族とホーンビルフェスティバルのレポートをしましょう。


いとも気軽に「コヒマに行ってきたの!」、と筆者が良く知る小娘、マイコにその話を聴いて非常に驚いてしまった。と同時に、我もコヒマへと俄然行きたくなったのが1年ほど前。
これまで、コヒマは日本にとって歴史的に非常に重要な地、にも拘らず行きたくても行けなかった場所。
インド政府は、ナガランド州もマニプール州も治安上の理由で外国人の入域を厳しく禁止していたため、ごく少数の関係者しか訪れることが出来ないでいた。そして最近、ようやく一般外国人にも開放され、日本人もごく少数ではあるが徐々に来るようになってきていたらしい。
それを筆者は知らなかった。


そもそもの彼女からの誘いは、コヒマで行われる恒例のホーンビルフェスティバルを見てみないか、というもの。
開催時期は12月1日―10日。
コヒマは高地なので冬の服装が必要とアドバイスされる。

カジランガを後に、アッサム州からナガランド州に入り、一路コヒマに向かう。

途中の村々での市が興味深い。
 
 リンゴは小粒。
世界最強の唐辛子。 東北インドの人は食事中に唐辛子を生でボリボリと食べる。
  毎度の食事に豚肉は必ず出てくる。そして間違いなく新鮮である。
 

 アッサム州からナガランド州に入る州境だが、以前は検問があってこの先はインド人でもチェックされていた。外国人は勿論入れなかった。
時々起きるというアッサムとナガランドの州同士の喧嘩。
話を聞くと笑ってしまいそうな理由だが、その場合も州境は閉鎖される。
そして、音を上げるのがいつもナガランド州とか。
 

途中ディマプールの街を通り過ぎる。

ディマプールの街は埃っぽく渋滞もひどい。

ディマプールと言えば、太平洋戦史に詳しい方なら当然知っているはず。
第十五軍の軍司令官牟田口がここまで進軍することを夢想している。


ディマプールはアッサム平野の東の端。
標高120メートルのここから一気に標高1,400メートルのコヒマへと上っていく。
道路は勿論AH1。

坂道をグイグイ上がっていく途中に道端でパイナップルを売る店が点々と続く。
この山の中でパイナップル畑があるわけがない?と周りを見渡すと、山の傾斜地のあちこちにパイナップルがぎっしりと植わっている。 
食べてみると、甘くて柔らかくてとてもジューシー。これまでで一番おいしいパイナップル!
 

そもそもインドは広い。
インドをヨーロッパに置き換えると、東はモスクワ、西はリスボン、北はオスロから南は地中海を超えてカイロに匹敵する。当然、人種・民族が違い、言語が違い、宗教が違う。それを一つの国としてマネイジするインドは、色々問題はあるにせよ偉大な国と認めざるを得ない。
そして、東北インドはシッキム州を含め、アッサム州、マニプール州、ナガランド州など8州から成るが、アーリア系人種が少なく、多種多様なモンゴロイド系民族が主流になる。宗教もヒンドゥー教徒の比率が低くなり、州によってはキリスト教が主であったり、町、村によっては仏教、イスラムで占められたりする。そのため、我々がイメージするあの濃厚なヒンドゥーの臭いや色彩を、ここ東北インドではあまり体験できない。当然食文化も違ってくる。要は、ここ東北インドはインドにしてインドではない。特に、ナガランド州はキリスト教徒が90%を占め、日本人と同じ顔立ちなので、ここがインドビザを必要とすることが不思議に思えてくる。


ナガランド州はナガ民族の州。
ナガ族を少数山岳民族と書いてある資料も見かけたが、ここナガランドでは彼らは多数派民族。ナガランド州の人口200万人の大多数がナガ族。勿論、周囲の州にも、国境をまたいでビルマ側にも住んでいる。つまり、ナガ族からすると英国が勝手にビルマとの間に国境を定め、同一民族、部族を分断してしまったわけだ。そのため、その国境を引き継いだインド政府は、ナガ族をなだめるため他の州では見られないかなりの優遇策を採っているそうだ。

 州都であるコヒマは山の上。人口も2011年統計で27万人とある。不思議に思い、それで産業は何かと問うと、中央政府のバラマキ、と返事が返ってくる。それ以外に無いと断言される。


ナガ族に限らず、東北インドに住むモンゴロイド系の人々の見かけは日本人とさほど変わらない。特にナガ族の多いコヒマの街で見かける人たちは日本人と全く同じと言える。

ナガ族の女たち
筆者、男のため失礼ながら気になるのは主に女性達。
 
 女子中学生やj女子高校生の制服が日本と変わらないのにも驚いた。
 


 
  交通整理する婦人警官が格好良かった。 
 


ホーンビルフェスティバル
2000年から始まったホーンビルフェスティバルは、ナガ族の主要16部族が1年に1度一同に会し、それぞれの部族自慢をお披露目する会、と言えば分りやすい。
コヒマの有名な三叉路をインパール方向に暫く進んだ、キサマにNaga Heritage Villageがありそこが会場になる。

 
 
 歌あり、踊りあり、各部族自慢の出し物を繰り広げる。
 綱引きならぬ人引きゲーム
 出演者もまた熱心に他部族の伝統芸能を見入っている。 

 伝統狩猟の演技なのだが、出演者の腰にナガ族の伝統山刀を生身のまま差していて、見ている方は尻の肉を切るのではないかと、つい心配してしまう。
 

ここは所謂「ナガ族民俗村」で、それぞれの部族が伝統の建物を持ち各部族の文化を紹介している。
 
 
 
 
ナガ族はつい最近まで、首狩り族としてその名を馳せていた。
男なら他部族の首の一つも獲っておかないと、一人前とは認められず、嫁ももらいずらかったらしい。
この先、他部族攻撃の戦闘モードに入っていく。

 
標高が高いコヒマなので、12月の寒さは東京の12月とさほど変わらない。が、各部族の紹介とあれば、男たるもの夏の半裸の姿で頑張ることになる。
 マイコと彼女のお義父さんも出演者と記念撮影。
 
コヒマの主要部族アンガミ族の展示館では、ライスビールに伝統料理の無料接待。
 ライスビールと紹介されたお酒は、薄味のマッカリに似てガブガブ飲める。
 ここでもやはり豚肉料理。豚の血で煮付けてある。正直、美味い!
 

 
ナガランドはキリスト教徒の州でもある。
れっきとしたチャペルも民俗村の中にあるのには驚いた。

近代化の中で、ナガ族としてのアイデンティティーを失わないためのフェスティバルであったかと思うが、今ではフェスティバルを見に、インド国内はもとより、コヒマとしては大勢の外国人ツーリストが来るようになっている。
 
丁度この日、ロイヤルエンフィールド(英国のバイクブランド)のライダー達、140台が近隣の州から各地からやってきていた。 この数日前には、マイコのお義父さんの宿に泊まったフランスからのハーレーのライダーグループも来ていたそうだ。
日本人の親戚のようなナガ族の祭りに来る日本人は、まだ少ない。


ナガ族は、非常に精悍な民族で、誰かに支配されることを望まず、長年インドを植民地としていた英国も、日本軍がビルマに進出するまでここはアンタッチャブルな土地だった。
以後彼らは、英国の支配、引き続くインド独立後のインドによる支配に対して独立戦争として戦い、インド政府に屈したのはつい最近の話。
それが理由で、インド政府は外国人のナガランドやマニプールへの入域を制限していたわけだ。
視点を変えて言うと、インド政府はナガ族に対する厳しい弾圧を世界に知らせたくなかった、とも言える。それは、後で紹介するコヒマの古老の話からも解る。

次回をお楽しみに。