9月1日、今日は防災の日ですね
8月の末に 仕事で宮城県仙台に呼んでいただきました
最終日、最も被害が大きかった閖上地区に
周りが更地となった後でも 今ではシンボルのように 残っています。
佐々直さんの再建への決断は テレビでも何度も取り上げられたように
とても早いものだったそう。
二週間後、業務再開を決断。
4月25日の新幹線復旧に合わせて、ラインを整え、震災前の味を再現し、
早い一歩を踏み出されました。
と 記していて、
「こんな簡単なものじゃなかったのに、さらっと書いてしまった」と思っている私がいます。
被災地を見て
言葉が出ないくらいに たくさんのことが想像できるから。
東日本大震災慰霊碑
閖上地区で亡くなったお名前があります。
悲しくて、「逃げられたはず」ついつい 出てしまいそうになるその言葉・・
じゃあ、自分だとちゃんと対処できたのか??自信はありません。
信号が停電しているから 車で逃げようがない、
徒歩で一度逃げて、もう大丈夫かなと帰宅してしまう、
安全なはずの公民館では 津波を避けられなかった、
そして、ご高齢のかたは移動するだけでも大変。
何より 皆さん きっと ご家族のことや心配されて 動くのを躊躇されたのだと思うのです。
日和山は6メートルほどの高台、そこにある神社。
新しい手すりが ここに訪れる人の多さを物語ります。
震災前は このあたりにも多くの民家がありました。
今は 住んではいけない危険地域に指定されています。
大きな観光バスで来ている団体さんとすれ違いました。
人数は減ったものの、今でも 訪れる人は絶えません。
子ども達が気軽に遊びに来られるよう解放している子どもの家。
外壁が 当たり一面のグレーの空間をぱっと明るくしてくれます。
そして、
雑草・・強い!
雑草の緑が 悲しみの跡を隠していました。
この宮城の旅で見た海は穏やかで 美しくて。
仙台駅前のホテルの窓からだって見えるくらいに近いのです。
鹿児島でずっと身近に海があった私には 北と南とはいえ、通じるものを感じ、
自然の驚異と震災の悲しみに無言になってしまいます。
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