言葉に癒されることがある


心が癒されることがある

ぐっとこの胸をとらえて、共鳴する

そう、そう、そうなんだ、と

そう、そう、その通り、と

頭ではなく、知識でもなく、

この心が感銘する、安堵感に包まれる、そして平安な境地に満たされる



私たちは、音や光や香りや、あるいはマッサージとか、五感で感じる癒しを時に得て感じるが、

もっと崇高な、自分の中にある内なる神聖なる神秘なるものを、無意識に感じ、発見し、

そういったものが呼び覚まされ、発露できた時に、

抑えがたいある種の恍惚の感覚を得るのかもしれない。




感動し癒される

心が感動し癒される

そういった思いに至らしめる言葉がある

人は、その心の奥底に共通の崇高なる何ものかを擁しているから、

私の感動が、あなたの感動につながる

あなたの感動が私の感動につながる


でもそれは、崇高なる何ものかを引き出し、出会った体験なくしては決して得られないものであろう。

だから、同じ言葉が必ずしも全ての人の癒しにならない

かえって、苦しいもの、反発するものになるかもしれない




本当の心の癒しを得るには、

癒されることなかった日々も必要なのである。

そうすれば、見る世界が変わり、味わう世界が変わり、あなたの世界が変わる。