若い時は、誰でも、格好つけたりする。

格好良くなりたいと思う。

それもとりわけ見た目から。

髪型、服装、アクセサリー、持ち物、・・・

私も例外じゃなかった。

格好ついてたかどうかは別として。



でもある時期を超えると、

中身の格好良さを目指すのに比重が移っていった。

これは誰しもとは思わないが、、、

でも中身の格好良さを目指すのは、簡単なことではない。

はっきり言って、中身の格好良さを追求すると、ある段階まではとても苦しいことが多くなる。



中身の格好良さって、生き方そのものの格好良さである。

いや、格好良さといっても、格好つけるわけではない。

格好つけた生き方が格好いいわけではないからだ。

格好つけた生き方は、実はとても滑稽である。



格好悪いほどに、一途な生き方。

格好悪いほどに、真剣な生き方。

そんなことに徹しているうちに、気が付いたら、ある時、何だか格好良く見えているのだ。



誰にも真似できない生き方。

自分に偽らない生き方。

真剣に、一途に、突っ走っていったら、きっとたどりつく、

格好悪いけど、格好いい生き方。




真に格好いいこと。

その始まりはいつも驚くほどに格好悪い姿からなのだ。