人災
19日の続き、いわき駅近く
5月15日の福島いわき市の脱原発デモでTJ君が知り合ったママさんに会う
一度はお子さんと一緒に関西の方へ避難していたみたい
街は震災の影響はあまり感じられず一見何も起こっていないように見える
ガイガーカウンターは0、2マイクロシーベルトくらい、目に見えない、臭いもしない放射能
だから恐ろしい
海岸部の人達が避難している平工業高校体育館へ
体育館には全国から届けられた救援物資が積み上げられていた
ダンボールで敷居を作って各場所に布団や毛布
いわき市では3月11日の地震で海岸部の人達が、4月11日の地震で山間部の人達が家を失い19000人ほどの人達が避難所で生活していたらしい
今は仮設住宅などに移り住んだ人も多くそれでもなお1200人くらいの人がいわき市各地の避難所で暮らしているという
驚いたのはいわき市で市から2ヶ月間配給されていた食事
一人一日3食分がコーンビーフ1缶、野菜ジュース1パック、お茶1本
避難所によってはボランティアの人達が炊き出しをしたりして配っていたところもあったようだが…
最近ようやく避難所からの声が届き市のほうでも改善を検討中だとか
行政にもいろいろな事情があるだろうが、それにしてもひどすぎる
その後、地元の人が繋いでくれた市内の保育園へ
残りの玄米やにがりなどの救援物資を届けに行く
園長先生から少しお話を聞かせていただけることに
ここの保育園では子供達が自然の中で学んでいくことを大切にしていて、震災前までは年中できるだけ屋外で子供達を裸足で遊ばせたり、近くの田んぼで田植えの実習をしたり、鳥の声や花や木々や空の色や…窓も子供達が外の自然を見渡せるようにコストをかけて特別なものを、食事も100%とはいかないもののできるだけ有機なものを給食で使っていた
しかし震災が起こってから2ヶ月間、放射線数値が下がらないので子供達は一切屋内で、窓も扉もできるだけ開けないように
ずっと屋外で遊んでた子供達、ストレス溜まりっぱなしらしい
給食に使う有機の食材も手に入らなくなり、今支給先を探しているところだけど全く見通しが立たず困り果てているとおっしゃっていた
放射線が子供達の身体に及ぼす影響を考えると…
園長さんに挨拶をした帰り際、砂場にヨチヨチと遊びに行こうとする女の子
お母さんが「○○ちゃん、危ないよ、危ないよ、放射能!、放射能!」
「放射能」そんな言葉が日常的に使われる世界になってしまった
お母さん達も子供達もマスクをしている人は見かけなかった
目に見えない、臭いもしない放射能
「直ちに身体に影響はありません」
1マイクロシーベルトから20マイクロシーベルトへの引き上げ
さらに100マイクロシーベルトまでは子供達にも影響はありませんと長崎のクソ教授が福島の至るところで非人道的な嘘をばらまいた
いろいろな事情で逃げたくても逃げれない人達
故郷を思い離れられない人達
それでもなおここで暮らしていきたい人達
絶対に言おうと思っていた「逃げてください」という言葉は言えなかった
保育園を出て最後に小名浜のおじさんが行ってみてきなさいと言ってた久ノ浜港へ
福島第一原発から30Km
海岸部の町の様子を見て言葉を失う
津波や地震の被害で一面瓦礫の山が広がる
ガイガーカウンターがピピピピピッと雄叫びをあげる
0、6マイクロシーベルト以上
辺りを歩きまわり被害の悲惨さを、痛みを実感する
家を、暮らしを失くした人達
推測だが放射線数値が高いために瓦礫の山の撤去にも手がつけられないのでは?
小名浜の漁師さんが言ってた、津波や地震の被害だけなら今頃なんとかなってる、放射能があるからなんともならない、未来もわからない
表の葬儀場では合同葬儀が行われていた
久ノ浜漁港に行ってみる
海水の上で放射線数値を計測してみると0、8マイクロシーベルト、今までの最高数値
しばらく歩きながらタバコに火をつける
「ゆるかやな自殺を加速させる」などと冗談にもならないことを言いながら、笑いながら
漁師さんに話を聞く
津波は1波、2波では収まらず9波まで続いたらしい
漁師さんの家は高台にあったので被害は免れたらしいが港にあげていた船が心配で潮がひいたときに見に行ったら津波が襲ってきた、びっくりして急いで崖を駆け上り(かなり急な崖)命からがら逃げ出した
船も幸いに何も被害がなかった
漁師さんの船の名前は「幸運丸」
放射線さえなければ…
町の若い人もみんないなくなったと言っていた
正しい判断だと思う
正直、この場所に人がいることに驚いた、自分達がいることも
先のことはわからない、おそらく漁はダメだろうと言っていた
日が沈みかけた頃、福島県を後にする
再び日が登りこの地で、故郷で生きていきたいと願う人達の思い
原発事故という人災が人々から奪ったものの大きさは計り知れない
国や電力会社ごときが償えるものではない
海を、山を、大地を、水を、空気を、命を
放射線数値が計れたとしてもすべてを放射能汚染で侵された地では命を諦めないかぎり生きてはいけないのだから
5月15日の福島いわき市の脱原発デモでTJ君が知り合ったママさんに会う
一度はお子さんと一緒に関西の方へ避難していたみたい
街は震災の影響はあまり感じられず一見何も起こっていないように見える
ガイガーカウンターは0、2マイクロシーベルトくらい、目に見えない、臭いもしない放射能
だから恐ろしい
海岸部の人達が避難している平工業高校体育館へ
体育館には全国から届けられた救援物資が積み上げられていた
ダンボールで敷居を作って各場所に布団や毛布
いわき市では3月11日の地震で海岸部の人達が、4月11日の地震で山間部の人達が家を失い19000人ほどの人達が避難所で生活していたらしい
今は仮設住宅などに移り住んだ人も多くそれでもなお1200人くらいの人がいわき市各地の避難所で暮らしているという
驚いたのはいわき市で市から2ヶ月間配給されていた食事
一人一日3食分がコーンビーフ1缶、野菜ジュース1パック、お茶1本
避難所によってはボランティアの人達が炊き出しをしたりして配っていたところもあったようだが…
最近ようやく避難所からの声が届き市のほうでも改善を検討中だとか
行政にもいろいろな事情があるだろうが、それにしてもひどすぎる
その後、地元の人が繋いでくれた市内の保育園へ
残りの玄米やにがりなどの救援物資を届けに行く
園長先生から少しお話を聞かせていただけることに
ここの保育園では子供達が自然の中で学んでいくことを大切にしていて、震災前までは年中できるだけ屋外で子供達を裸足で遊ばせたり、近くの田んぼで田植えの実習をしたり、鳥の声や花や木々や空の色や…窓も子供達が外の自然を見渡せるようにコストをかけて特別なものを、食事も100%とはいかないもののできるだけ有機なものを給食で使っていた
しかし震災が起こってから2ヶ月間、放射線数値が下がらないので子供達は一切屋内で、窓も扉もできるだけ開けないように
ずっと屋外で遊んでた子供達、ストレス溜まりっぱなしらしい
給食に使う有機の食材も手に入らなくなり、今支給先を探しているところだけど全く見通しが立たず困り果てているとおっしゃっていた
放射線が子供達の身体に及ぼす影響を考えると…
園長さんに挨拶をした帰り際、砂場にヨチヨチと遊びに行こうとする女の子
お母さんが「○○ちゃん、危ないよ、危ないよ、放射能!、放射能!」
「放射能」そんな言葉が日常的に使われる世界になってしまった
お母さん達も子供達もマスクをしている人は見かけなかった
目に見えない、臭いもしない放射能
「直ちに身体に影響はありません」
1マイクロシーベルトから20マイクロシーベルトへの引き上げ
さらに100マイクロシーベルトまでは子供達にも影響はありませんと長崎のクソ教授が福島の至るところで非人道的な嘘をばらまいた
いろいろな事情で逃げたくても逃げれない人達
故郷を思い離れられない人達
それでもなおここで暮らしていきたい人達
絶対に言おうと思っていた「逃げてください」という言葉は言えなかった
保育園を出て最後に小名浜のおじさんが行ってみてきなさいと言ってた久ノ浜港へ
福島第一原発から30Km
海岸部の町の様子を見て言葉を失う
津波や地震の被害で一面瓦礫の山が広がる
ガイガーカウンターがピピピピピッと雄叫びをあげる
0、6マイクロシーベルト以上
辺りを歩きまわり被害の悲惨さを、痛みを実感する
家を、暮らしを失くした人達
推測だが放射線数値が高いために瓦礫の山の撤去にも手がつけられないのでは?
小名浜の漁師さんが言ってた、津波や地震の被害だけなら今頃なんとかなってる、放射能があるからなんともならない、未来もわからない
表の葬儀場では合同葬儀が行われていた
久ノ浜漁港に行ってみる
海水の上で放射線数値を計測してみると0、8マイクロシーベルト、今までの最高数値
しばらく歩きながらタバコに火をつける
「ゆるかやな自殺を加速させる」などと冗談にもならないことを言いながら、笑いながら
漁師さんに話を聞く
津波は1波、2波では収まらず9波まで続いたらしい
漁師さんの家は高台にあったので被害は免れたらしいが港にあげていた船が心配で潮がひいたときに見に行ったら津波が襲ってきた、びっくりして急いで崖を駆け上り(かなり急な崖)命からがら逃げ出した
船も幸いに何も被害がなかった
漁師さんの船の名前は「幸運丸」
放射線さえなければ…
町の若い人もみんないなくなったと言っていた
正しい判断だと思う
正直、この場所に人がいることに驚いた、自分達がいることも
先のことはわからない、おそらく漁はダメだろうと言っていた
日が沈みかけた頃、福島県を後にする
再び日が登りこの地で、故郷で生きていきたいと願う人達の思い
原発事故という人災が人々から奪ったものの大きさは計り知れない
国や電力会社ごときが償えるものではない
海を、山を、大地を、水を、空気を、命を
放射線数値が計れたとしてもすべてを放射能汚染で侵された地では命を諦めないかぎり生きてはいけないのだから