「国家を考える学問、タブーだった」東大教授 | ネット新撰組のブログ

「国家を考える学問、タブーだった」東大教授

『「国家を考える学問、タブーだった」 復興構想会議 議長代理・御厨氏、「人材不足」を語る
http://news.nicovideo.jp/watch/nw59428?marquee
> 政府の東日本大震災復興構想会議で議長代理を務める東京大学の御厨貴(みくりやたかし)教授は2011年5月1日、文化放送とニコニコ動画で同時に生放送された番組「田原でオフレコ!スペシャル」にゲスト出演。政治学者と東大教授の双方の観点から、関東大震災からの復興を担った後藤新平を例に出しつつ、復興に向けて「人材不足」である要因について語った。
 
 東日本大震災の復興ビジョンを策定するために設置された復興構想会議。これと比較して採り上げられることが多いのが、1923年の関東大震災時に内務大臣兼帝都復興院総裁として復興計画を始めた後藤新平の存在である。御厨教授は、「後藤新平はもともと台湾で都市計画型のプランニングをやってきた。(東京市長も経験して)土地勘があるからやれた」とした上で、

「後藤新平は東京帝大を卒業して高等文官試験を受けた官僚ではない。もともとは(名古屋大学医学部の)医者。医者が入ってきてあれだけのことができたのだから通常の人材ではない。また、後藤新平はその時使った人材に、技術系で非常にいい人を据えたのでうまくいった。だから、後藤新平のみがうまくいったのではなくて、後藤新平の人事政策がうまくいった」
 と、政治学者として関東大震災時の後藤新平の「成功」を解説した。

 これを受けて、ジャーナリストの田原総一朗氏は「問題は今、後藤新平に当たる人がいない。なぜなのか」と問うと、御厨教授は「(後藤新平に当たる人は)いない」と同意した上で、

「同じ方向を向いて同じことをやる人材しか出てこなかったから。後藤新平の時代は、流れに抗して(人と)違うことをやることで自分の特色を出すことをメリットだと思う人がいたから」
 と、その要因について答えた。すると、田原氏は「東京大学の御厨教授の責任もある。本当は東大がそういった(人材を)育てなきゃいけないのに、なぜ育てられなかったのか」と詰め寄った。御厨教授は、

「『国家』というものを考える学問が戦後あまり進まなかった。タブーの上に皆も興味を持たない。要するに東大法学部で教えているのは、政策でも何でも機能主義でやること。機能主義でやるということは、誰もがある程度の頭があったらできることしかやらないということ。国をどうしたらいいか、あるいは、国のために果たして人が死ねるだろうか、といった問題は一切置かれてきた」
 とし、さらに戦後の日本では「国のために死ぬ」と考えることがタブーであるとされたため、

「そういったタブーが重なっているところで教育をやれば、かなり均等な、しかし一応は優秀な、人材が出てきてしまった」
 と語った。』

 『国家』というものを考える学問が戦後あまり進まなかった。タブーの上に皆も興味を持たない
 国をどうしたらいいか、あるいは、国のために果たして人が死ねるだろうか、といった問題は一切置かれてきた

うわー。 これは相当根深い問題だぞ。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)、日教組、進歩派文化人、マスコミ、良心的知識人・・・切りが無いな。反日日本人大量発生の原因はこれだけじゃないだろうけど。

最終的には日本国民が原因としか言えないだろうな。それでも、そう成るように仕向けてきた連中にだけは言われたくないが。
マッチポンプそのものだし。正に「お前が言うな」ってやつだ。



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