全国48G親衛隊管理官 雷神の人生論

全国48G親衛隊管理官 雷神の人生論

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2011年3月11日、14:46。
東日本大震災発生。
あの日から「もう5年」、「まだ5年」。
どの表現をしたらいいのか未だに分からない。

ただ、確実に言えることはあの日から5年経ったという事実である。
5年ともなれば「風化」が広まってくる頃合いだろう。
NHKの「被災地からの声」という番組でアナウンサーが「もう5年になるのにまだ被災の映像を流すのか。という声を聞きました」ということを言っていた。
これを聞いて憤りを感じた。
なぜまだ報道されているのか。
報道する必要があるからである。

実際に被災地に足を運んでみれば自ずとわかるはずである。

あの日様々な聞いたこともない音が耳に入ってきた。
コンクリートのきしむ音。
多くの悲鳴。
多くのサイレン。
多くのヘリや飛行機の音。

そして、聞いたことのない人のいない音。

家から見える津波に押し流された家々の煙や火災を起こしている多賀城コンビナートの赤々とした炎。

後日、死亡者名欄に載る友人の名前。

今は随分良くなったが近くを通るトラックのエンジン音や、洗濯機の脱水時の音が地鳴りと勘違いしてしまい、いつも反応してしまいビクビクしていた。
震度1でも目が覚めたりと寝れない日々が続いた。
だが、未だに気を抜いているとこの各々のことで反応してしまう。
地鳴りだけは本当に未だにビクついてしまう。
揺れがどんなに小さくても鼓動が異常に早くなる。

そして、未だに福島産の食べ物を買おうと思わないという人がいることに疑問に思う。
スーパーに並んでいるものは厳重な放射線チェックを合格したものなのに、なぜそれでも買おうと思わないのか。
原発の反対にしてもそうである。今まで散々原発の恩恵を受けてきたのに反対運動を行い停止に追いやる。
原発停止になって喜んでいるだろうが、原発で働いていた人達はどうなるのか。
今までその反発してきた人に電気を供給してきていたのに、反旗を翻され、職を追いやられる。
その人達の保証はどうするのか。反対運動をしている人達が保証してくれるのだろうか。

原発の事故より、車の交通事故の方がたくさんの人を殺している。
なぜ車の反対運動はしない?
包丁による殺人事件だって多い。
なぜ包丁の反対運動はしない?

恐らく「生活に必要だから」という回答がくるだろう。
原発だって生活に必要だと思うのだが?

今の日本で安定した電力供給が行えるのは原発しかない。
「危ないから廃止」ということをしていたらこの日本からは様々なものを廃止しなければならない。
表面的なものだけを鵜呑みにして行動することは逆に恐ろしいことである。

東京オリンピックだってそうである。
聖火台の場所がなく問題になっている。
果たして予算がどうなるのか。
また予算が追加されたら馬鹿げた話である。

「被災地の復興を」
本当にそう思うのなら東京オリンピックを行っている場合ではないと思う。

しかし、どう頑張っても実際に被災してみないと大変さというものは分からないというのが実情だろう。
だが、これから起こりうると言われている様々な災害。
それにいかに備えるか。それが、運命を左右するだろう。

大きな揺れがあったら無駄になってもいいから遠く、高いところに逃げるべきである。
ハザードマップも実際役に立たなかった。
波が来ないと言われていたところにまで津波が襲来し、多くの命を奪った。
地形によっていくらにでも姿を変えるのが津波である。
それが30cmでも侮ってはならない。


そして家を出るとき、前日にどんなに喧嘩をしても気持ちよく「いってらっしゃい」で送り出すこと。
1日1日を迎えられる幸せを噛みしめること。

我々が生かされている意味。

後の世代に二度と同じような被害をださないようにすること。

被災地の復興への道のりはまだ遠いが、被災地の人々は懸命に生きている。
そのことを忘れないでほしい。