【熊本地震ボランティアレポート】

4月24日から26日まで熊本の被災地に
友人と二人でボランティアに行って来ました。
被災地ボランティアといえば
ガレキの片付け的なイメージだったんですが、
やったことはそのイメージと全然違いました。
ボランティアセンターは経由せず、
先に行ってた知り合いの情報を元に
支援が足りてない熊本市内の避難所に
なってる小学校に直接入りました。
避難所は学校が多いんですが、
原則ボランティアセンターからの物資や
人員派遣しか受け付けない避難所が多く、
僕たちも2、3箇所で断られました。
結局滞在した避難所はエアポケット的に
ボランティアが全然足りてなくて、
現場の判断で受け入れてもらえました。

【避難所での活動】

昼間は岡山で集めた支援金で不足してる
食材や衣類など物資の買い出しをしたり、
3食の調理と配膳の手伝いなどをしました。
その避難所は被災者が300人ほどいて、
朝は200食、昼は150食、夜は300食準備します。
朝昼夜で人数が違うのは、
被災して自宅には住めないけれど
昼間は仕事に行かれる方もいるからです。
全体としては高齢者の方が6、7割で、
避難所というよりケアハウスのような様相でした。
報道されてるように車の中で寝られる若い方も
いらっしゃいますが、ほとんどの高齢者の方は
体育館の床で、段ボールやブルーシートに
毛布1、2枚とかで寝られてました。
トイレに一人で行けれない要介助の方が
十数人いらっしゃることもあり、
消灯の22時から朝まで徹夜で様子を見ていて
手が挙ったら車椅子でトイレに連れて行って
お世話をしたりだったんですが、
夜のボランティアは女性が一人しかいなかったので
相手が女性の場合は苦労しました。

【食事の状況】

カップ麺

基本的には自衛隊などが届けてくれる
おにぎりやカップ麺などを毎食一人1個ずつ
提供しているところが多いようですが、
もう被災から2週間近く経つので
炭水化物だけでは便秘を訴える高齢者も出てきて、
僕のいた避難所では少しでも改善のための対応を
したいと少量ながらおかずの提供も始めていました。

にしめ

僕がいた日は家庭科の先生が中心になって、
大根と人参と竹輪の煮しめともろみが付きました。
味噌汁が付くときもありました。
でもそういう食事を出すのも善し悪しで、
ここはおかずが付くという噂を聞いたのか
近状の避難所から越してくる方も現れだして、
現場では賛否両論の意見が出始めていました。
食事の配給は、高齢の方と小さいお子さんから
順番にアナウンスで呼ばれます。
85歳以上の方から始まって、
60歳と高校生が終わると最後がその他の人です。
それだけでも年齢構成が伺われます。

放送順番

【支援体制について】

現場にある本部席にいらっしゃるのは、
熊本市役所ではなく福岡市役所の人たちでした。
たぶん人員が足りないんでしょうが、
地元のことがわからない職員の方たちなので
被災者の対応に困惑してる場面もありました。
一生懸命現場の支援に動いてる人たちも
校長先生のもと、すべて学校の先生たちです。
こういう現場で行政や支援のプロではなく、
ただの先生たちが独自の判断で動かないと
いけないことに違和感を感じました。
僕たちが帰る前の日にやっと赤十字から
「安眠セット」という段ボールが届きました。

安眠セット

中には厚さ1.5cmくらいのマット6点、
簡易毛布、枕、アイマスク、スリッパ
などが各1点入ってましたが、
マット以外は全員に行き渡らないので
配ることはできませんでした。
食事の内容もそうですが、
よく聞く平等の原則というのがほんとにあります。
僕たちが買って行ったバナナも、
本数が全員分なくて配るのを保留にされました。
段ボールを開ける時に手伝ってくれた子供たちが
引き千切るようにバリバリ開けてる様子を見てると、
いつまで経っても勉強できないことでも
ストレスが溜まってきてるんだなあと感じました。
僕たちが帰る日に有志の炊き出しチームが来て
カレーを作ってくれたんですが、
被災者にとって嬉しい食事支援もその日1食かぎり
だったりするので、継続するのが大変です。
ただそういう支援チームの連携も生まれ始めていて、
継続的支援の輪になっていけばいいなと思います。

【最後に思ったこと】

今回とても不思議だったのは、
震源地に近いところは軒並み被災してるんですが
熊本市内は、倒壊してる家が点在していて、
その隣の家は普通に生活してたりしてました。
アーケード商店街も普通に営業してて、
突然立ち入り禁止になってる倒壊したビルが
現れたりするのでびっくりです。

倒壊した商店街

隣近所がすべて被災してないエリアでは
被災した方だけが避難所に入ってるので、
連帯感も今までの震災と違うように感じました。
避難所の中だけが被災地という感覚でした。
そんな状況の中で、市内に出れば僕たちも
普通にレストランで食事ができるんですが、
滞在中はコンビニのおにぎりで過ごしました。
「被災者の前で食べてはいけない」という
アドバイスもあり、いつも車の中で食べました。
そういうことまでしなくていいんでしょうけど、
被災者のみなさんの中にいると
自然とそんな気持ちになってくるのが不思議です。
現場で聞いた区役所の見解は、
「行政や学校はあくまでも場所を提供するだけで、
避難所の中の運営は被災者自身でやってほしい」
ということらしいです。
手も回り切らず、理想はそうかもしれませんが、
そんなことができるとは思えない現場でした。
まだまだ収束が見えない今回の地震、
民間含めて継続的な支援がいかに大切かを
改めて感じた3日間の貴重な体験でした。
いつまでもいれたらと、
後ろ髪を引かれつつ熊本を後にしました。

【その後について】

レポートは以上になります。
自分が入った時には避難所という体はあったのですが、
被災から10日以上経っているにも関わらず、
現場の支援体制は極めて場渡り的に感じるものでした。
滞在中にボランティア活動に慣れた方が入って来られて
以下のような現場体制のリセットを提案・実施されました。

①機能する本部の設置と役割分担の明確化
それまでは市役所の職員が交代制で座られる
テーブル席があるだけで責任者がおらず、
学校の先生との明確な役割分担もありませんでした。
避難者から困り事の相談があっても、
僕らも誰に言ったらいいのかわからない状態でした。

②代表者ミーティングの設置
行政職員、先生、ボランティア代表などにより、
運営のためのミーティングが行なわれるようになりました。

代表者会議

③スケジュール表の作成
いつどんな支援チームが入るかなど、
白版にスケジュール表を書き出して
支援体制の全体像を見える化しました。

④食事配給の計画化
それまでは、その日ある食材を使って家庭科の先生が
メニューをその都度考えるという形でした。
炊き出しチームが来てもその1回限りで、
おにぎり1個の回もあればカレーの回もあると
かなりバラツキがあり、避難者の方たちに逆に
不満感を与えてしまいかねない状況でしたが、
炊き出し予定なども事前に入れ込み、
栄養バランス含めて計画化されるようになりました。

メニュー予定表

⑤ボランティアチームの連携
関連したボランティアチームの受け入れ整理し、
重ならないようにバトンタッチすることで
継続的な支援活動ができるようになりました。

⑥先生の現場作業からの解放
上記のような体制づくりによって
先生たちは家庭訪問などができるようになり、
授業再開に向けて本来の業務に専念されています。


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みなさん、大変ご無沙汰しておりました。
ほぼ2年間ブログをお休みしておりました。
ご心配していただいた方から
お気遣いのメッセージもいただいておりました。
ほんとうにありがとうございます。
これからは無理せず気が向いた時に、
つらつら書いていこうと思います。
またお付き合いいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いしますニコニコ
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