父の教え

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ご無沙汰しております。
昨年八月に父が亡くなり、新年の挨拶も控えさせて頂きました。
ご心配おかけして申し訳ありませんでした。
友達からも心配されたので、更新することにしました。
重たい話になりますが、父のことについて書きたいと思います。

生前は馬が合わずよく喧嘩もした父でしたが、いなくなってみると心にぽっかりと穴が空いていました。
悲しみは想像以上でした。
悪いことは重なるもので、仕事では大きな失敗もしました。
心身ともにボロボロの状況でした。
それでも何とか頑張れたのは、支えがあったからです。
一人ではどうにもならない自分の弱さを知りました。
そんな弱さを父は見抜いていたのだと思います。
結婚を見届けるようにして亡くなったのは、僕が一人では耐えられないことが分かっていたからなのでしょう。
一人では乗り越えられない場面を経験してきたからこそ、息子が結婚するのをずっと待っていたのだと思います。
父は波乱に満ちた人生を歩んでいました。
若い頃に大切な人を病気で亡くし、胃癌によって胃を全て失い、脳梗塞によって記憶力も失い、最後は肺炎によって命を奪われました。
両親を見送るのは子供の役目としても、晩年、弟にも先立たれたことが相当なショックだったようです。
どんな苦しみだったか想像もできません。
僕には耐えられる自信もありません。
しかし、その苦しみを分かち合い、ずっと側で支えてきたのが母でした。
父は妻という存在の大切さを深く理解していたのだと思います。
だからこそ、早く家庭を持てと言っていたのだと思います。
実際、妻の支えがなければ僕は潰れていたでしょう。
大失敗の時点で会社を辞めていたかもしれません。
今も失敗を引きずっていますし、逃げ出したくなる時もあります。
それでも踏み止まれているのは、妻の励ましがあるからです。
そして、結婚によって家族を養わなければならない責任感が芽生えたからです。
結婚を見届けるまで父が死ぬに死ねなかった理由が今ならよく分かります。
こんな弱い男を独り身のまま置いていけなかったのでしょう。
それだけに嬉しかったのだと思います。
結婚式で見せた幸せそうな父の笑顔が今も目に焼き付いています。
式に出てもらえたことが、せめてもの救いでした。
あのとき、子供は三人欲しいから、全員の顔を見るまで長生きして欲しい、と伝えました。
生きる励みにして欲しいと思ったのです。
父は笑顔で応えました。
しかし、その裏で父の体は限界に近付いていたのだと思います。
結婚式から僅か一ヶ月後に肺炎で倒れ、その三ヶ月後に亡くなりました。
父の余命が一年ないことが知らされたのは、亡くなる一ヶ月前、再入院のタイミングでした。
そこからは点滴だけの生活が始まりました。
食べかすや唾液が気管支の方に流れると肺炎の原因になるため、食事は取れなくなったのです。
予想を上回る早さで父は弱っていきました。
自分で寝返りも打てないほど筋肉は衰え、痩せ細りました。
最後は言葉も発せられないほど衰弱していました。
それでも伝えたい言葉があったようです。
それは亡くなる二日前のことでした。
僕と妻がお見舞いに行くと、父は口を必死に動かして何かを伝えようとしていました。
しかし、音にならない言葉は吐息となって消えていきました。
会話をしたいと思っていた母は、ひらがなの一覧と指し棒を用意していました。
しかし、その棒を握る力さえ残されていませんでした。
諦めて母が尋ねました。
「おめでとう?」
静かにゆっくりと父が頷きました。
その日は僕の誕生日でした。
本当はもっと伝えたいことがあったのだと思います。
その後も必死に口を動かし続けていました。
耳を口元に近付けましたが、聞き取ることはできませんでした。
「ありがとう」
涙を堪えながら僕は答えました。
父と意思の疎通が取れたのは、それが最後です。
多くの苦しみに耐えて贈ってくれた精一杯の誕生日プレゼントだったのだと思います。
母だけには、もう死なせて欲しいと弱音を吐いたこともあったそうです。
それほどの苦痛に耐えてまで、子供の幸せのために生きてくれました。
少なくとも誕生日は、死がまだ先のことと思える日にしてくれました。
これから回復するとさえ思っていました。
悲しい誕生日にさせまいと、必死に死を遠ざけてくれたのでしょう。
しかし、それが最後のつとめだと思っていたのかもしれません。
その二日後、家族に見守られながら父は静かに息を引き取りました。
結局、何もしてあげられないまま見送りました。
兄達と計画した父の故郷を巡る旅も叶えることができませんでした。
父の憧れだった車にも乗せてあげることができませんでした。
孫の顔を見せてあげることすらできませんでした。
結婚式で伝えた願いは届きませんでした。
ごく平凡な未来像のはずでした。
しかし、当たり前だと思っていた日常や未来は、実はとても尊いものでした。
それを構成している一人が欠けるだけで、大きく崩れ去ることを知りました。
親しい人が生きているということは、それだけで支えになっているということを、父の死に直面してようやく理解しました。
家族や友人が元気でいてくれることに感謝するんだぞ、後悔のないように日頃から大切にするんだぞ、そう言われているように感じました。
そして残された人間の悲しみの大きさも知りました。
いつか自分もこの悲しみを与える側に回ります。
しかし、自分次第で遅らせることはできます。
この悲しみを大切な人から少しでも遠ざけるためにも、精一杯生きなければならないということを、父は身をもって教えてくれました。
「親が子供に残せるのは教育だけだ」
それが父の口癖でしたが、まるで最後までそれを実践していたかのような生き様でした。
この口癖の意味は、どんなに家計が苦しくとも教育を施すことが財を残すより子供を幸せにする、ということだと思っています。
その教育の一つがバイオリンでした。
4歳から大学院を卒業するまでの間、父の稼ぎで習わせてもらい、今も続けている趣味です。
この趣味のおかげで、信頼できる多くの友達や人生の先輩、後輩と知り合うことが出来ました。
また、どんなに苦手な事でも諦めずに続けていれば、いつかは自分の特技になりえることを教えてくれました。
この「継続は力なり」を実感できた経験は、挫折しそうなときに、いつかは実るという信念となって、続ける力を与えてくれました。
バイオリンは父が残してくれた大きな財産だからこそ、亡くなる前に演奏を聴かせたいと思っていました。
しかし、入院した父は家に戻ることもできないままこの世を去りました。
後悔が残りました。
そんな気持ちを察したのか、最後に何か一曲聴かせて送り出そうと、母と兄が言ってくれました。
選曲は母に任せました。
「タイスの瞑想曲」
昔、よく練習していた曲でした。
僕自身、思い入れのある曲で、父と母も気に入ってくれていたようです。
献奏はお通夜の最後に行われました。
後悔を全て吐き出すつもりで演奏しました。
父が息を引き取る直前、僕は「今までありがとう」しか言えませんでした。
言葉にできない想いが多すぎて、ただひたすらその言葉を繰り返していました。
そのとき吐き出せなかった想いが積み重なって、僕の心は押し潰されそうになっていました。
それらを吐き出すように、父に演奏をぶつけました。
メロディと共に思い出が頭を巡り、想いを見つけては、叫ぶように一つ一つの音に込めました。
同時に涙となって体から溢れ出ました。
堰を切って流れ出た感情は、演奏が終わっても止めることができませんでした。
椅子に倒れ込んで嗚咽と共に肩を震わせていました。
どうしようもない悲しみの一方で、感情を出しきった心は軽くなっていました。
救われた気持ちになっていました。
バイオリンという父の残した教育が、僕の心を救ってくれました。
僕は神仏を信じる人間ではないのですが、想いは父に届いたと信じています。
父を看取って以来、死後も意識の世界は続くのではないかと思うようになりました。
理由は単純で、その方が幸せだからです。
亡くなった人間に再び会えると思った方が張り合いが出るからです。
いつか再び父と会うときに、胸を張って
「最高の人生をありがとう」
そう言えるような生き方をしたいです。
そのためにも、もらった命を大切にし、精一杯生きようと思います。
それがこの世に生んでくれた両親への一番の恩返しだと思っています。

この一年で疎遠になってしまった皆様、本当に申し訳ありませんでした。
ボロボロになった心と体と生活を元に戻すので精一杯でした。
バイオリンもあの日以来ほとんど弾いていません。
父の死が思い出されるため、自然と避けているのかもしれません。
ただ、このままやめてしまっては父に顔向けできないので、再スタートの気持ちで発表会に出ることを決めました。
弾く曲は「タイスの瞑想曲」です。
今ならあの時とは違った気持ちで弾くことができると思います。
後悔ではなく前向きな感謝の気持ちを込めて、父にもう一度演奏を贈りたいと思っています。

ナノブロックの方も全然作品を紹介できていなくて申し訳ありません。
ただ、ナノブロックアワードには参加しようと思っています。

nanoblock AWARD 2016
https://www.nanoblock-award.com/story/2588

常連さんの素晴らしい作品を見て、元気に活動されていることが分かって嬉しくなりました。
その一方で、楽しみにしていたビルダーさんの作品がなくて寂しさも感じました。
これからエントリーされると思って楽しみにしています。
今年もハイレベルな作品が多くて驚いています。
そんな作品を見ているうちに自分も参加したくなりました。
一つだけでも記念にエントリーしたいと思っています。
少しずつ趣味の活動も元に戻せればと思っていますが、まだ時間がかかりそうです。
またしばらく更新しない日が続くと思いますが、どうかご心配なさらないでください。
周りの支えもあって、何とか元気に暮らせています。
皆様もどうかお元気でいてください。
心と体をお大事になさってください。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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