怒涛の検査ラッシュ | ネコスキーのブログ

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2012年12月、満50歳の神様からの誕生日プレゼントは「乳がん」
術前化学療法、右乳房全摘手術、ノルバ→タモ5年処方ながら通算3年11カ月を経て2017年10月23日で勝手に終了、現在無治療のサバイバーです

猫大好きネコスキー♪です

仕事も決まったことだし、治療の振り返りの続きです



ガンであること、これがはっきりすると、ここからは怒涛の検査ラッシュが始まります

乳がんであることは確定したけれど

果たしてこれが原発なのかどうか?

原発であっても既に転移していないか?

乳がん治療に際して、体力的に治療が可能なのかどうか?などなど


乳がんの場合は、ご存じのとおり、ホルモン分泌と関係が深いので、まず確定の翌日に婦人科へ

ここでもやはり自治体のがん検診を利用しました、なぜなら無料だから

子宮体がん及び子宮頸がん検査ですが、体がんの検査はほんとに痛いですね、出血もあるし

私はマンモよりもこっちの方がいやー!

2週間後に出た結果は、体がん:正常 頸がん:異形成Ⅲa(平成14年から同じ)

ということで、婦人科は問題なし



その次にした検査は、大学病院での生まれて初めての胸部MRI検査

ご存じのとおり、騒音・閉所・身動き禁止 の三重苦(笑)

「こんなの、具合悪かったらできないじゃん!」と思いつつ、なんとか終了

MRIでの結果、腫瘤のサイズは2.8センチ(エコーでは約3センチ)でした


MRIの二日後に受けたのは、大学病院での骨シンチ・心電図・心エコーの3種

以前、右足が突然しびれたことがあったり、腰痛があったことを最初の診察の時に話したところ

念のため、ということで骨転移の確認の骨シンチが追加になりました

心電図と心エコーは、抗がん剤治療に耐えうる体であるかどうかの確認です

骨シンチはまず注射を打って、5時間経たないと検査できないので、待ち時間に心電図と心エコーを取り

主治医の診察もはさみつつ、待っては検査、待っては検査で日が暮れるのでありました

ただ、この日の検査はほとんど苦痛はなかったように思います、すでに遠い記憶…。

この日忘れられないのは、骨シンチのフロアでのこと

ベビーカーに乗ったベビーに近い幼児、入院患者さんだったようなんですが

おとなしくって、ちっちゃくって

医師や看護師さんにあやされていたのだけれど、反応が薄くって

若い医師らしき男性が「注射したらギャン泣きなんだろうけどねぇ!」と言いながら

とっても可愛がっていたのでした

ベビーカーに乗っているような、こんな小さな子供が

大人だって辛いような、こうした検査を受けなくてはならない運命を背負っているなんて

不条理だなぁ、と思ったことでした


大学病院での1日がかりの検査の翌日は、胃カメラ

なんせ20年前から胃粘膜下腫瘍を持っているんでね

こんなの、大学病院でやってくれればいいのにさ

乳腺外科から直接検査予約が取れないそうで、診察してから検査予約となると

いつになるかわからないっちゅうことで、やむなく近所の救急病院で検査

今考えると、このチョイスは失敗、時間がかかっても大学病院にてするべきだった

理由はいずれまたゆっくり書くけども



ちなみに胃カメラはこれが4回目?なので、けっこう慣れている(ヤダけどね)

そして近年は麻酔して意識不明で検査されるというコースがあるのね!

医療ミスされてもわかんないという問題点アリか?とも思ったけど

易きに流れて、麻酔してもらって、知らぬ間に終了

車椅子に乗せられて、もうろうと検査室から処置室?へ移される

胃カメラ検査でなんで車椅子?と思っていたのだけれど

こういうことだったのね、と納得(さすがに歩けません)

1時間ほどの休憩の後、目が覚めて、画像を見せてもらうと

まぁ赤いこと!激しい胃炎とポリープ4個

医師からは

「たぶん問題ないと思いますが、一応細胞検査に出します」

と言われ、ネコスキーも

「お願いします、乳がん確定告知から1週間ですから、さすがに胃炎にくらいなりますよね?」

と返すと「そうだね」てことで診察終了

大学病院の主治医に渡すようにカルテのコピーをくれたんだけれど

横文字&汚文字で私には読めず、なんと半年後に発覚したのだが、逆流性食道炎と書かれていたそうだ

乳がんと言われても平気な自分に少々呆れていたのであるが

ストレスに敏感な胃壁には、コトの重大さが表れていたのでございました

後日出された細胞検査の結果は良性

こうして検査に次ぐ検査は終わり、と思われたのですが…

つづく