ばなな先生の自分科講座、というものに行ってきた。

自分科がどういうものかは、ひとまず横において、今日気づかされたことについて。



まだわたしが子どもだったとき、わたしは自分から話をしないというか、話すのが苦手な子どもだった。

重要な場面で押し黙って口を聞けない私に、よく親からは、もっと考えろと言われた。

何も言わない、イコール、何も考えていないと思われていたふしがある。

でもね、ほんとうはちがった。

むしろ考えに考えて、考えすぎて何もできなかったんだよ、たぶんね。


ぼんやりと感じている気持ちをうまくことばに置き換えられなかっただけだったかもね 、と、ふと今日思ったんよ。

例えるなら、目の悪い人がコンタクトや、めがねを外した状態で、ぼんやりと見えているモノ。

そのぼんやりとしたものに、ちょうどぴったりくることばに置き換える作業は、綿から糸繰りをしてつむぐように、わたしにはけっこうな集中力や手間がかかる作業で、なかなかそれができないから、人前で話したり、人にことばで伝えるのが苦手なのかもしれないのかも?!


いまだって、人前で話すのは苦手で、こうやって書く方がまだまし。

それでもしゃべれるようになった方、これでも。

そこには、書くことと、体験することが、積み重なっていって、ぼわんとしたかたまりを、ひとに伝えるためのことばにしやすくなったからなのかな…と。

今日、ばなな先生は、初めに「みなさんは今日は確認作業のために来られたんですよね?」と話した。

そうそう、わたしがことばになかなかできないときに、こうやって人に出会うと、そのもやもやっとしたかたまりを、うまくことばのかたちに表現する助けになるのよ!

そうそう、それ、それ言いたかったの!ってやつ。

長くなりそう、今日はとりあえず、勢いのままかいたけど、ここでいったん〆ます。