第三百五話 猫が居る | ねこバナ。

第三百五話 猫が居る

【一覧1】 【一覧2】 【続き物】 【御休処】 【番外】

-------------------------------

僕の家には、猫が居るのですよ。

彼女は大層恥づかしがり屋で、大層神経質なのです。
さうして多分、大層用心深いのですよ。

此処に越して来て直ぐに判りました。
僕は猫が好きですからね。とても嬉しかつたのです。

時々天井裏に上つて、足音も立てずに鼠を獲つてゐるのです。
キユウという鼠の断末魔の叫びが聞こへるのですから確かです。
さうして縁側の奥の方へと隠して置くのです。
彼女は狩が好きな丈けで、恐らく鼠など食ひはしないのでせう。
其証拠に、ホラ削つた鰹節を盛つて置くと、スグ無くなつて仕舞ふのです。

彼女の鳴声を聞いた事が無いのです。
屹度猫らしゐ猫と云ふのは滅多に鳴く者では無いのでせう。
さうして、屹度猫らしゐ猫と云ふのは、大層恥づかしがり屋で、神経質で、用心深いのでせう。
だから彼女は猫の中の猫、一等猫らしゐ猫なのでせう。
其んな猫が僕の家に居るナンテ、誇らしいぢやありませんか。

彼女は何時も、アノ木の陰で暑さを凌いで居るのです。
その近くの茂みで、必ず用を足して来るやうなのです。
大層恥づかしがり屋で、神経質で、用心深い彼女は、さうした姿を見せる事は無いのです。
ヱゝ、僕も見た事は有りません。気配は感じて居ますがね。
彼女の日常を邪魔だてするのは、僕の本意では有りませんから。

何うです、良いでせう。
僕は此上無く幸せなのです。
彼女は今も此家に居るのです。判りますとも。僕は彼女の気配を、何時も感じて居るのですから。


彼女の姿ですか。
毛皮の色。
サテ、さう云へば思い至りませんでした。
何んな色をして居るものやら。

大きさですか。
尻尾の形ですか。
サア何んなものでせう。
僕にはトンと判りかねます。

ハア。
なのに何うして彼女が居るのが判るのかと仰る。
イエ其んな事は有りません。彼女は確かに居るのです。
何故雌だと判るのかと。
彼女は彼女なのです。判るのだから其れで良いぢやありませんか。

だつてアノ気配が。天井裏をスイと動くアノ気配がするぢやありませんか。
此上なく優雅で奥ゆかしい猫がホラ、居るぢやありませんか。
判るでせう。判らないのですか。

だつてあれは。
鼠を獲る時の断末魔の叫びが。
僕が用意した鰹節。
僕は嘘などつきません。ヱゝ本当ですとも。
証明。何故証明せねばならぬのです。
彼女は確かに居るのですよホラ。
判るでせう。
判らないのですか。
何故。

何ですつて。
ズボンの膝小僧。
擦切れてゐて何が悪いのです。
四ン這ひになどなりませんよ僕は。

口許。
僕の口許が何か。

鰹節。
いいぢやありませんか僕の口に付いていたつて。
違ひますこれは。

ヤツパリとは何です。
嘘では有りません。

嘘ぢやない。

彼女は


ホラ

其処に


や め  て

  *   *   *   *   *

患者の自宅を改めて見たが、矢張猫の居た形跡は見当らなかつた。

家の天井裏は、人間が這ずつたやうに、埃が掻き乱されてゐた。
縁の下からは鼠の屍体が数匹分出て来たが、其処に付てゐた傷は、ドウ見ても猫の咬傷では無い。
鰹節を盛つてゐたと云ふ皿に付着した唾液の成分は、ほゞ人間の物と断定して良いさうだ。
猫が涼んで居たと彼が云ふ木陰には、丁度人間が寝転んで出来るやうな跡が有つたし、近くの茂みには用を足した跡まで有つた。

以上の事から、彼は自宅に猫が居ると思込み、自らの想像する猫の行動を、自ら実際にトレエスする事で、存在を正当化乃至実際化しやうとしてゐたと思はれる。
スキゾフレニイの可能性が有るものゝ、彼の状態に就てはモウ少し観察する必要が有るだらう。

其れにしても、何故猫なのかゞ判らない。彼は猫好きだと云つて居たが、親兄弟や親戚に尋ねて見た処、元来さういふ嗜好は持つて居なかつたと云ふ。
ならば、此家に越して来てから、さうした性癖が加へられたのであらうか。何がキツカケと成つたのか。
さう云へば此処は暫く空家だつたと聞いたが、以前の住人はドンナ人物だつたのだらう。

何やら自分の思考が探偵めいて来たので、私は汗を拭つて、患者の自宅を後にした。
フト手の平を見る。
白くて長い、張りのある、太めの毛が付いてゐた。

髭か。


「なあお」


頭の中で、何かが啼いた。



おしまい








いつも読んでくだすって、ありがとうございます




にほんブログ村 小説ブログ ショートショートへ
「にほんブログ村」参加中
 ねこバナ。-nekobana_rank
「人気ブログランキング」参加中





$ねこバナ。
↑↑↑震災・復興・支援関連情報はこちら↑↑↑



$ねこバナ。-海野ことり作『ねこっとび』
ぶん:佳(Kei)/え:海野ことり 絵本『ねこっとび』
ブクログのパブーにてチャリティ配信中!

※PC・スマートフォンのみ