第二百四十七話 カゲネコ 其二 | ねこバナ。

第二百四十七話 カゲネコ 其二

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※前回 第二百四十六話 カゲネコ 其一


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あたしは、戦場の只中で生まれた。

母親の顔は知らない。そして父親の顔も。
生まれたあとすぐに、病院地下の防空壕に収容されたあたしは助かった。
敵戦闘機の激しい銃撃と爆撃によって、避難した赤ん坊と数名の医師以外は、瓦礫の山の中に、埋もれた。

あたしが憶えているのは、大きな門だ。
ごつい手に引っぱられて、その門をくぐった。
お前はここで暮らすのだ、と言われても、大して感銘は受けなかった。
どのみち、あたしは、ひとりぼっちだったのだから。

戦災孤児収容施設とは、軍人を生み出す機関に他ならなかった。
世界中が慢性的な戦争状態にある以上、軍事力の確保は必要不可欠だ。
孤児たちの多くは、ある年齢以上になると、前線へと駆り出されていった。
生きても死んでも、施設に帰って来ることはない。

あたしは喧嘩が嫌いだ。そして戦争が嫌いだ。
しかし、施設にいる以上、軍人になることは避けられない。
唯一、殺し殺されずに済む選択は、軍の医学校に入学し、医者になることだった。

あたしは必死に勉強した。
空腹にも、施設長の嫌がらせにも負けなかった。
そして医科学校に辛うじて滑り込み、単位ぎりぎりで卒業した。
あたしは生まれて初めて、勝った、と思った。

「軍医科学校 公衆衛生研究班」

通称掃き溜め班。
そこがあたしの、最初の職場だった。

  *   *   *   *   *

「おいナグモ、ちょっと来い」

班長のサエキがあたしを呼んだ。
部下いじめとセクハラしか能のない嫌な野郎だ。

「なんでしょうか」
「お前な、一〇三地区の生物廃棄所に行ってくれ。人出が足りないそうだ」
「生物廃棄所?」
「実験動物の廃棄にあたってな、衛生検査をせにゃならんのだよ。お前暇なんだろうが」
「まさか、明日が期限の試験データ抽出が」
「そんなもんは置いとけ。どうせろくなもんじゃねえ」
「...」
「何だ、文句でもあんのか」
「...いいえ」
「じゃさっさと行け。もう帰って来なくてもいいけどな」

余計なことを言う。あたしは嫌われていたから当然だ。
しかし、この男の性格には、もういい加減慣れていた。
だからあたしは、

「行ってまいります、班長どの」

わざとらしい敬礼をし、さっさと机を片付けて、軍用メトロに乗り込んだ。
地下最深部にある三桁地区の、一番奥。暗闇の一〇三地区へ。

  *   *   *   *   *

世界の各主要都市への核攻撃が一段落し、いわゆる「キャンベラ合意」が成立して、核兵器の使用停止について列強が合意したことにより、地上の放射能汚染は一定レベルで止まっている。しかし住環境に適さない土地が広がりつつあるこの時代、大規模地下シェルターの建設は急務だった。
この国も、三十年も前から地下への避難計画が進められているが、物資と労働力の不足によって、当初の計画の三分の一ほどしか完成していない。
その一番奥には、放射性廃棄物と一般廃棄物をまとめて大深度地下に埋却するための廃棄場、通称「ブラックホール」がある。
生物廃棄場は、ひっそりと、その隅にあった。

「やあ、あなたでしたか」

あたしを出迎えたのは、医学校で同級だったタシロという男だ。
陰気で人見知りだが、割と物わかりのいい奴だ、とあたしは思っている。

「あんたも大変ね、こんな辺鄙なところで」

あたしは同情した。この男も上官に好かれるタイプではない。だからこんなところで働かされているのだろう。
暗く錆び付いた、空気の澱む地下施設もまた、あまり好かれるものではないのだから。

「いいえ、僕は此処がいいですよ。戦場なんてまっぴらごめんだ」

ひひひ、とタシロは陰気に笑う。
あたしも、どちらかといえば此処のほうがいいな、と思ってしまった。

「で、衛生検査ってのは」
「ああ、生物兵器研究所で出る実験動物の屍体を、大量に廃棄することになりましてね。指定伝染病の細菌や多剤耐性菌、エマージング・ウィルスが発生していないか、此処でチェックするんだそうですよ」
「そんなの研究所内でやるべきじゃないの」
「あっちも人出が足りないらしくてね。もっとも、エアースキャン装置を操作するだけなんだから、資格を持ってる人なら、やろうと思えば簡単に出来る筈ですが」
「やる気がないんでしょう。全くどいつもこいつも、サボることしか考えてないんだから」
「ひひひ、あなたは相変わらず正論を吐きますね。だから嫌われて、こんなところに来させられるんでしょ」
「大きなお世話よ。それに、あんたが在学中に資格を取ってたら、あたしが此処まで来ることなんか無かったんだからね」
「そういやそうですね。ひひひ」
「ふん」

憮然として、あたしはモニターの並んだ操作卓についた。空気中の細菌やウィルスなどの微生物をスキャンする装置、放射性物質や毒物を感知するセンサーのモニター、そして万が一人間が落ちてしまった時に発見・救助するための生命反応感知センサー。これらを操作し、分厚いガラス越しに投下されてゆく廃棄物と周辺の空気を検査するのだ。

「ああ、来ましたよ」

タシロが指差す方を見ると、廃棄物投下溝の脇に、巨大なコンテナが軋みながら降りて来た。

「じゃ、僕が埋却装置を操作しますから、検査はよろしくお願いします」
「ええ、任せて」
「いきますよっ」

錆び付いたレバーをタシロが下ろすと、コンテナが傾き、激しい音を立てて廃棄物が流れ出て来た。
薄暗くてよく見えないが、あの中身は実験動物の屍体なのだ。しかも夥しい数の。
廃棄溝の照明が薄暗いことに、あたしは感謝した。まともな神経では、見られるものではないだろう。

「スキャン開始...」

モニターで検査項目をチェックする。

「AからC、レベル一...DからF、レベル一・五、ガイガーカウンター、グリーンゾーン...」

次から次へと投下される廃棄物は、次第に廃棄溝内に溜まってゆく。

「可燃性ガスの吸引開始。スキャンレベル上昇。...ん?」

あたしは、異変に気付いた。

「生命反応感知センサーに反応あり。微弱な反応が...。ちょっとタシロ君! これ見て」
「どうしました? ああ、本当に微弱な反応ですねえ。いいんじゃないですか無視しても」
「何言ってるの。実験動物は貴重な資源なのよ。こんなところで無駄にしちゃいけないでしょう」
「まあそうですが...」
「ロボット・アームで救出して、早く」
「はいはい...」

タシロは少々呆れながらも、センサーの反応をインプットして、ロボット・アームを動かした。

「このへん、ですよねえ...」
「ゆっくり、やさしくね。傷付けないように」
「わかってますって...そらっ」

軽くすくいあげられたその物体は、緊急用のハッチまで運ばれた。
あたしは操作卓から勢いよく飛び出し、ハッチへと走った。

  *   *   *   *   *

「これは...」

それは大きな、黒いメスネコの屍体だった。
頭部が大きく、四肢は発達していない。首に識別番号のタグが付いている。

「どうやら、遺伝子操作による知能向上の実験に使われていたようですね。このコードは...おや、特殊作戦部も絡んでるやつだ。くわばらくわばら」

タシロは独り言を呟いている。

「しかし、生命反応が何故これから...」

と言いかけて、あたしは気付いた。
メスネコの尻尾の部分に、黒い塊が、しがみついている。

「まさか...仔ネコ?」

臍の緒がついたままだ。
このメスネコの子なのか。
手袋をはめて触ってみる。動かない。

「タシロ君、お湯と消毒液を。それから仔ネコ用飼料を大至急取り寄せて」
「えっ、ちょっと、いいじゃないですかそんなの」
「よくない! 早くしないと死んでしまうわ」
「ああ、僕のコーヒー用なのに...お湯...」

ぶつぶつとタシロが何か呟きながら出て行く間に、あたしは仔猫の身体をぬぐい、心臓マッサージを繰り返した。

「お願い、お願いよ」

何故あの時。

「たのむから」

あたしは。

「生きて」

必死だったのだろう。

  *   *   *   *   *

四ヶ月後。

「うーん、このままではねえ」
「駄目ですか」
「やはり、拡張手術しかないでしょうな」

サカモト技官はそう言って、あたしの希望を打ち砕いた。
廃棄溝から救い出した仔ネコは、一命を取り留めた。
あたしは寝食を忘れて世話をしたが、その後の発育不全が著しかった。
このままでは、生物資源法の定めるところにより廃棄処分にされてしまう。
戦争や市民生活にとって「実用的」ならざる生物は、この世界では、生きてゆけないのだ。

「拡張手術は、成功するでしょうか」
「今の条件からいって、まあ五分五分ですな」

落ちついた声で技官は言う。あたしはますます落ち込んだ。
拡張手術とは、動物の脳と中枢神経に電極を埋め込み、さまざまな刺激を与えることで組織や能力の活性化を促すものだ。食用の動物ならば肉付きを良くするための操作が、軍用動物ならば戦闘能力や反射神経の向上が、拡張パーツや信号伝達、ホルモン剤の投与などによって可能になる。
しかし、脳幹にまで達する手術は容易ではない。まして小さな動物ならば、難易度は想像を絶するものだ。

「...どうします? 他ならぬあなたの頼みなら、協力しますが」

技官は気の毒そうにあたしを見る。彼はあたしの父の後輩で、父が随分世話をしてやったそうだ。おかげで先端生物資源センターの主席技官たる彼と、医学校を卒業したばかりの青二才である私が、こんなふうに会うことが出来るのだ。

「...お願いします。私も、お手伝いします」

あたしは、搾り出すように、そう言った。
もうこれに賭けるしか、道はなさそうだ。

「そうですか」

技官は、何故かほっとしたような顔になり、

「では、ひとつあなたに、提案があるのです」

ずい、と、あたしに向かって、身を乗り出した。

「な、何でしょう」
「実はですね...。そのネコを使って、ひとつ実験をしたいのですよ」
「実験?」
「なに、どうせ拡張手術をするならば、おまけのようなものですがね」
「何を...するのでしょうか」

あたしは不安が募るばかりだ。
すると技官は、くるりとあたしに背を向け、机の中から何かを取りだした。

「これをね、そのネコに、記憶させようと思うのです」

彼があたしに示したのは、黒くて平たい物体だ。

「これは...生命情報記録ディスク」
「そうです。三年前に別のシステムに移行してしまいましたから、もうこれを使う人はほとんどいないでしょうね。しかし、二十年くらい前までは、これが主流だったのです。ありとあらゆる生命情報、脳内の電気的な信号の情報、遺伝子情報などを網羅的に採集し、このディスクに収めた」
「それが、何か」
「これはね、あなたのお父様の、生命情報を記録したものなのです」

あたしは絶句した。
技官はあたしを見つめたまま、話を続ける。

「特に脳内の情報、思考や記憶といった類の情報を採集することを、彼は望んでいました。もし自分が戦死したら、ぜひ自分の身体を使って欲しいと。自分の生命情報を、後の世に活かして欲しいと」
「そ、それは」
「ええ。あなたのお父様が亡くなった翌日、当時医学校の助手だった私が、担当教官とともに行ったのです。情報採取の作業を。その過程で肉体組織は全て破壊されてしまったが、不完全ながら情報は残った。それが今此処にある」

頭が揺れた。
父親が、ここにある。
話の中にしか出てこなかった存在が。
ここに。

「これを、ネコの拡張基板に取り付ける電子頭脳に記憶させたいのです。まだ確かなことはいえませんが...。人間に近い知能を持ったネコが、生み出せるかもしれない」
「まさか」
「人口が減少の一途を辿る今、この実験が成功すれば、社会構造すら変えることが出来る。働き手として、動物が社会に出ていくことになる」
「そんな、そんな」
「まあ、そんな怖い顔をしないでください。あくまでこれは情報なんです。お父様が生き返るわけではありません。それにそのネコにもし身体的負担がかかるようなら、実験は即座に中止します」
「はあ...」
「むろん、あなたが同意してくだされば、の話ですが。如何でしょう」

あたしは混乱していた。
ネコと父が、ひとつになるなんて。
いや、技官の言うとおり、あくまであれは情報なんだ。父そのものではない。
しかし、しかし。
頭が揺れる。

「...大丈夫ですか?」

技官が、私の顔を覗き込んだ。

「え、ええ」

そうだ。仕事抜きで相談に乗ってくれる技官には、それ相応の恩を返さねばならない。
あたしみたいな人間に、これ以上の恩返しは出来ないだろう。きっと。

「...判りました。技官のお考えのとおりに、なすってください」
「そうですか...ありがたい。お父様もお喜びになるでしょう」

技官はそう言って、笑った。
見たことのない父が喜ぶ姿など、あたしには想像出来なかったが。
ともかくも、あたしは、微笑み返したのだった。

  *   *   *   *   *

二十時間を超える大手術が終わり、あたしもサカモト技官も、疲労困憊で朝を迎えた。

「三時間後、彼が麻酔から覚めたら、第一段階の実験を行います。それまで私は...休みます」

技官はそう言い残して、自分の研究室に戻って行った。
あたしは。
無菌ケースの中で微睡むネコを見ていた。

手術はほぼ成功だ。
技官は、拡張基板の設置のほか、人間に近い声を出すことの出来る擬似声帯モジュールを、ネコに取り付けた。
まさかネコが喋るなんて、到底思えなかった。

「あんた、よかったね」

あたしは、本当にそう思ったのだ。

「まだ生きられるじゃない」

このときは。

「ずっと、これからも...」

あたしは、眠りに落ちてしまった。

  *   *   *   *   *

夢を見た。
窓辺でネコが外を見ている。
あたしが近付くと、ネコはあたしを見て言うのだ。

「そとに でたいな」

そうねえ、も少し、暖かくなったらね。
そんなふうに、あたしは言うのだ。
ネコは目を細めて、あたしを見る。
頑丈な四肢を持った、精悍な野生動物のような黒いネコ。
そのすがたは。
まるで。

父さん。

「ここは」

とうさん。

「どこだ」

「ここは」

「...え?」

あたしは、目覚めた。
ぼんやりした視界に、焦点が合ってゆく。
細かい傷だらけの無菌ケースの向こう。
黒いネコが、見ていた。
あたしを、見ていた。

「ここは どこなんだ」

声がした。
中年の男のような声が。
あどけない顔のネコから、発せられた。

ネコが喋っている。

「...うそ」

信じられない。

「おれは なんで ここにいる」
「あ、あんたが、喋ってるの、ほんとに」
「おまえ だれだ」
「言葉が...判るの?」
「おれは おれは」

あたしは泣いた。
何故だろう。
訳も判らず、ケースに縋って。

あたしは、泣いていた。

  *   *   *   *   *

半年の後。

「生物兵器研究所 ネコ類兵器開発室勤務を命ず 主任技官に任ずる」

それがあたしの、新しい仕事だった。

実験動物として飼育されていたネコのうち、生育不全や先天異常のあるネコたちが集められ、手術が行われた。
サカモト技官と共に開発した生物拡張メソッドは、ネコの知能と身体能力を、劇的に向上させた。
そして、人間の言葉を理解し、無線通信による指令を遂行できるようになったネコたちは。
生物兵器として、前線に送られた。
主な任務は偵察と破壊工作、それに暗殺だ。
俊敏で危険察知能力に優れ、被毛にステルス加工を施されたネコたちは、出動のたび大きな戦果を挙げた。
いつしか人は、あたしのネコたちを、こう呼ぶようになった。
「カゲネコ部隊」と。

喧嘩も戦争も大嫌いだったあたしは、何時の間にか、その只中で、黙々と仕事をしていたのだった。

あたしは百五十二匹のネコたちに手術を施した。
そして、古代マヤとインカの神々の名をもじって、彼等に名前を付けた。
強い神の力を、彼等に与えたかったのだ。無事に帰って来られるように。
しかし、そのうち半数が、戦場から戻って来なかった。

最初に手術を施した、あの黒ネコには「ククル」と名付けた。
マヤの最高神ククルカン。世の全てを統べる羽根を持つ蛇神。
父の頭脳を受け継いだネコ。

彼は寡黙で物静かなネコだ。行動は冷静沈着で、パニックになることがない。故に彼は、任務遂行の中核となることが多かった。
そして彼だけが、数え切れない過酷な任務を生き延びてきた。
やはり彼は、特別なのだ。

「ククル、いってらっしゃい」

あたしは彼に合図を送った。
彼は金色の眼をきらりと光らせて、無人輸送機「ヤタガラス」へと搭乗していった。
そのあとに続くのは、同じカゲネコ部隊のチャックとカマゾー。
そして。

「ふしゅううううう」
「ぎゃああおおおお」

醜悪に顔を歪ませた、クローンネコたち。
あたしは寒気がした。怖ろしいことが起こりそうな気がして。

「ヤタガラス発進」

ハッチが開き、カタパルトが轟音を立てる。
ヤタガラスは、荒れ狂う嵐の中へと、飛び出して行った。

「見てらっしゃい、あんたたちを、死なせやしないから」

あたしは、嵐の向こうの雷鳴に向かって、呟いた。



つづく




いつも読んでくだすって、ありがとうございます

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