さくげき座談会

高田:ここからは合評に話題を移したいと思います。まず最初に合評でどんな内容の小説を書いているか、簡単に説明してもらっていいですか?


山本:僕はヒーローものですね。善悪というのをはっきりつけるのではなくて、もっと現実に即したヒーローものを書いています。


藩:私はジャンルで言うと不倫恋愛小説なんですけど、実は登場人物が誰の事も愛していないんですよ。『愛していないけど、人間に執着し嫉妬してしまう』そんな話ですね。


高田:青谷さんは、最初に合評で書いていた小説はもう最後までいって完成しているんですよね。


青谷:そうですね。それは家族をテーマにしたものでした。今書いているのは、投稿を想定している物で日本神話を題材にした小説です。少女向けの小説で恋愛をベースにしたら、日本神話の世界に入りやすいんじゃないかという事で、恋愛を入れる事にしました。だから日本神話をメインにした恋愛物といった感じです。


高田:僕は最初、合評の授業で何を言えばいいのか本当にわからなくて黙っている事が多かったんです。でも自分で小説を書きながら合評に出続けているうちに、段々と意見が言えるようになっていったんですが、みなさんはどうでしたか?


藩:私はAVの批評とかをそれまでにやっていましたから、それが役に立っている部分はありますね。AVの仕事なんかだとずっとAVを見ながら、メモ用紙に気づいた点をたくさん書き出して、それを後で文章にまとめるんですけど、AV女優の足の動きとか、ものすごい細かい部分を観察するんですね。だからそういう事をしている間に自然と批評する目というのが身に付いていたんだと思います。


山本:僕はまだまだ批評能力が低いなと自分で感じていますね。他の人の意見を聞いて「なるほど、そういう見方があるのか」とか「深い所を突くなあ」と感心する事の方が多いです。


高田:合評では、やはり青谷さんの話している比率が高いですよね。


青谷:みんな私の事を“マシンガンお嬢”とか言っていじめますけど(笑)。でもまじめな話、誰も何も言わずにシーンとしている時間が凄くもったいないと思うんです。


高田:あれだけいろいろ指摘してもらえると、書いてきた人も嬉しいと思うんですけどね。そこまで読み込んできてくれたのかと。


山本:僕の回で結構、みんな黙り込む事が多いんですけど、あれって寂しいんですよ。もっと何か意見を言ってくれたら嬉しいんですけど。


藩:あれは山本君の小説ってつっこむ所がない場合が多いからよ。しっかり書けている場合は、逆に意見って出にくいのかもしれない。


青谷:あとはやはり授業が“連載の形態”を取っているので、先に進めてからでないと意見できないとか。単純に先が気になるからという時もありますね。


高田:それにこれを言ってしまうと、この小説の世界観自体の否定になりかねないなと思って口をつぐむ時もありますね。


青谷:世界観については私も気にしますね。こういう意見をする事によって、この人の書きたい物からずれてはいけないというのがありますから。でも普段、プロの方の小説を読む時は、まず楽しんで読むようにしています。分析したりするのは、その後でいいと思います。


山本:僕の場合、青谷さんとは逆で、最近は作品を純粋に楽しめなくなってきているんですよ。いろいろ考えながら見てしまう部分があるんです。


高田:青谷さんの書いている日本神話の方の小説は、結構賛否がありましたよね。


青谷:少女向け小説とはいえ、ちょっとキャラクターを幼くしすぎたてしまった感はありますね。


高田:あくまで僕の印象だと断っておきますけど、青谷さんは性格のよさが小説に出てしまっていると思うんです。あまり本当の極悪人とかね、嫌な奴っていうのが出てこないじゃないですか?


青谷:私は小説の中で“嘘をつく人を書きたくない”というのがあるんです。どういう事かと言いますと、嘘をつく人が人を騙す場合、本当の事を言いながら騙すんですよ。


山本:あえて曖昧な表現をするって事ですか?


青谷:そうなんです。“こうとも取れない事はない”というような曖昧な言い方をするんです。だから私が小説で書く場合、人を裏切ったり傷つけたりするにしても、その人なりの正義があって行動したゆえの結果という風になってしまうので、確かに完全な悪というキャラクターは私の場合、あまり出てこないのかもしれませんね。


高田:青谷さんは小説を書く上で、どこが弱点だと思っていますか?


青谷:綺麗事って言われるかもしれないですけど、私は人を傷つける事に強い恐怖心を持っているんです。だから人を傷つけるよりも、自分が傷つく方を選ぶ節があると思うんですが、そういう所が小説に出ている気はします。どうやら私の書くキャラクターというのはストイックすぎるらしいんです。そこは弱点かなと思いますね。


高田:ストイックというのは、もっと具体的にいうとどういう事でしょう?


青谷:“これをしてはいけない”というような枷を自分に課しているというか、間違った事をしてはいけないというような、たくさんの枷で自分自身を縛ってしまっているんです。


高田:この辺りで小説内のキャラクターの書き分けの話をしたいんですが、書き分けるっていってもそれは自分の中にあるキャラクターを書く事が多いと思うんです。その辺りはどうでしょうか?


山本:今の質問で思い出したんですけど、青谷さんが合評で出されている日本神話の小説の中に蛍というキャラクターが出てくるじゃないですか。天然というか、ぶりっこっぽいキャラすぎるがゆえに、一時、男女の両方から「蛍はちょっと……」というような拒否反応が起こりましたよね? 


高田:あのキャラクターは凄いですね。ネトラジ で取り上げられるなど授業以外の場所でも話題に出るぐらいですから、ある意味ものすごいキャラが立っていますよ。


山本:という事は、青谷さんの中に蛍的な要素があるという事なんですか?


青谷:うーん。私はよく人から「ぶりっこと思った」とか「偽善者なのかと思ってた」って言われるんですよ。実際に話をしてみると、そうではなかったというのがわかるみたいなんですが、そのような誤解は受けやすいです。


山本:素朴な疑問なんですけど、なぜ青谷さんはたまに自分の事を“僕”って言う事がよくあるんですか?


さくげき座談会

青谷:それは多分、小説を書いていると、そのキャラクターが憑依しているんだと思います。そういう事で一人称とか喋り方が変わったりしませんか? 敬語しゃべりのキャラを書いていたら敬語が増えるとか、大人しいキャラを書いてたら大人しくなるとか。


山本:それはないわ。


藩:私もない。そこまでのめり込んで書けないからなあ。


高田:じゃあ、並行して何本もの小説を書いていたらどうなるんですか? その場合、同時に色んなキャラを書いているわけでしょ。


青谷:その場合はごっちゃになりますね。この前、友達に「たった数分の間に『僕』『俺』『うち』『私』の四つを使ってたよ」って指摘されて、びっくりしたんですよ! だから無意識のうちに使っているんだと思います。自分の事を僕って言ってしまう事が一番多いと思うんですけど、それは少年の一人称の小説をたくさん書く事が多いからかもしれません。断っておきますけど、一人称が変わる時っていうのは、気心の知れた人の前だけですからね(笑)。

               (続きます)