「まれ」のなぜなぜ解説こ〜な〜【初級編】 | negitoro503のブログ

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ほとんど更新しない気むんむんですが、ドキュメント置き場として…。


賛否両論の朝ドラ「まれ」。
それだけ何か訴える力が強かったのだとも言えそうです。


ところがネットの感想を眺めていると、どうやらドラマの内容を正確に捉えられていなさそうな意見も多く見かけられます。もし、よく分からないから賛否の「否」なのだとしたら、半年間見続けてきた時間がもったいないですし、大変な労力で制作に携わってきたたくさんのスタッフの方々も報われません。

そこで、誤解の多そうな部分や重要なポイントをいくつかピックアップし、僕なりに解説してみました。僕自身単なる一視聴者ですので、わかりづらい部分、誤った部分もあるかもしれませんが、ドラマの理解の一助になればと思い書いてみようと思います。

タイトルを【初級編】としていますが、続きがあるかは不明です(笑)




決断のなぜ


● なぜフランスに行かなかったか 01 > 家族が大事だから

劇中明言されているのは渡航費。しかし「家族教」呼ばわりされるくらい家族好きの希。和解したとはいえ藍子を捨てて渡仏した幸枝と同じ事は出来ないでしょう。手元に映像がなくて確認できていませんが、希の家族を思う表情があったと思います。

● なぜフランスに行かなかったか 02 > 家族が大事だから

塗師屋の女将として、最愛の夫である圭太をサポートするため。
前回同様、家族よりも自分の夢を優先する事ができない、したくない。

● なぜコンクールをほっぽったのか > 家族が大事だから
今まで同様、子供を優先した。


「夢」って何?


● 希の夢1 パティシエ
子供が持つ将来の職業観
総理大臣やパイロット、お花屋さんになりたいと同種
横浜へ渡って実現してしまい、その後を考えていない

● 希の夢2 店を持つ、家族を持つ
さらに先を見据えた将来の計画


● 希の夢3 世界一
でっかい夢
本気で目指すと家族を犠牲にしかねない、希にとっては避けたいモノ
しかし周りの後押しがあってようやく本気かつ具体的に目指す気に

● 徹の夢 起業
でっかい夢
金銭的成功で家族を幸せに やや博打的

● みのりの夢 子供をたくさん産む
近い将来の目標
母の悲しみを癒す為の自分にできる事 衰退しつつある村の為
比較的実行しやすい(成功するかどうかは体調問題とかあるけど)

● 圭太の夢 漆職人 道を極めた先の目標
地道にコツコツ系

● 一子の夢 キラキラした名誉欲
具体性の弱いふんわりとした若者の憧れ 村から出る口実 はかない夢
(個人的に感じたドラマの毒その1)

…と、どれも夢と言えるけど、ちょっとずつ性格が違います。 goo辞書によりますと
 2. 将来実現させたいと思っている事柄。
 3. 現実からはなれた空想や楽しい考え。
 5. はかないこと。たよりにならないこと。
とありますが、ドラマでは辞書的定義に頼る事無く「夢」を語っています。 僕の個人的な解釈で、ドラマで表現されている意味を考えると、

 「夢」とは人が生きる為の希望、方向付け

なんじゃないかなと思うようになりました。 例えば一子の夢は将来実現させたいと思っている事柄でもあり、現実から離れた空想や楽しい考えでもあります。辞書的に「1の意味」「2の意味」と捉えるよりは、一元的に表せるかと思います。実現可能性が低ければ低いほど「はかなく」もあります。


その他いろいろのなぜ


● 地道にコツコツじゃなかったの?
希は、家族を不幸せにする「夢」なんか持ってはいけない、地道にコツコツでなければならないと思う子供でした。ここで希が嫌う「夢」は「徹のでっかい夢」という博打的な成功の事を指し、希の考えるその対極は公務員勤めということになります。

「公務員なんて夢がないとは何事か」という指摘はちょっと誤っているのですが、ドラマではこの点に関して言訳がありません。それはドラマ全体が「夢ってなんなんでしょうね」という問いかけだからです。その問いかけは、異なるタイプの夢が語られる事でハッキリとしてきました。

希が押し殺してきた抑えられない夢への欲求が弾け、夢を追う為に公務員を辞める事になります。この時点で希の地道にコツコツは終了しています。が、子供の頃からの思考癖がありますので、地道にコツコツは良い事だという性格は残り続けています。(ついでにチラシの裏をメモに使う貧乏性も残っています)また、地道にコツコツと夢が本当は相反しないという事もドラマ中語られています。圭太の夢もまた地道にコツコツですし、希はそこに惚れています。

● なんで話が飛び飛びなの?>エピソードが同時進行しているから
エピソードを一つづつ順に辿っているのでなく、時系列に沿って進行しているので、複数のエピソードが同時進行する事があります。同時進行するエピソードは互いに呼応する話だったり、大きな筋と小さな筋の話だったり。それらを時系列に沿って交互に見せているので「飛び飛び」かのように感じる事もあるのでしょう。

● なんで○年後ってすっ飛ばすの?>長い時間の話だから 経った時間に意味があるから
このドラマは主人公希が幼少期から30歳へと成長するなかでの体験を描いているので、放送期間の半年で描く為には何年か飛ばす必要があります。飛ばす回数を減らすと飛ばす年数が増えて、その間に何が起きたのかはナレーションなどで間接的に説明するしかなくなってしまいます(一生を描く朝ドラではよくある事です)。そこで、出来事の始まりと結果を見せる事で、省略可能な年数を稼いでいます。

例えばビルの上で石を持った手の絵と、地面に石が落ちる絵があれば「石が落ちた」というエピソードは容易に想像できます(これを自明という)。落下中の絵は無くても構わないのです。「落下中が見たいんだよ!」という方には申し訳ないですが、このドラマはそういうタイプの作品ではありませんでした。でもだからと言って落下中を軽んじているわけでは無く、石の凹み具合でその高さを物語るような作りになっていました。また、落下中の絵はドラマが語りたい事にとっては重要ではなかったと見るべきでしょう。

時間を飛ばすタイミングは修行の4年間、育児の6年間など。修行の大変さを4年間分示すのではなく、修行のエピソードを数個見せて「4年後」とすれば、その間色々あった事は自明だし、何をしていたのかは物語上重要ではないと判断できます。必要であれば後で説明があるでしょう。

子供が6歳になればその間にある苦労はどの家庭でもある事でしょうし、明るく健康的に育っている結果を見れば愛情を注いで育てた事も容易に想像できます。やんちゃだったりおとなしかったりは性格でしょう。双子にしては似ていなさ過ぎですがw、なぜ双子にしたかといえば「人生を襲う予定外の困難さ」という意味があったと思います。まれの「計画」はことごとく乱されています。

ちなみに飴細工をするシーンは終盤初めて出てきますが、「久しぶりやし」というセリフで恐らく横浜の修行期間中にやっていた事が分かります。また、突然コンクール作品で出るのを避ける為に"慣らし"でやっているシーンを挟んでクッションにしています。

などなどあって「○年後」と時間を飛ばしていますが、その間の積み重ねがある事はしっかりと描かれていました。

● 世界一になるにはフランスに行くべきでは?>そうとも、そうでないとも言える
本場で修行するのが基本的には近道に思えますが、そもそも「世界一」という言葉は希が市役所を辞めてまでパティシエになりたい覚悟をぶつけるために口から出たでまかせのようなもの(と、セリフで説明もありましたね)でした。唐突に思いつきのように出てきたはず。終盤にきてようやく定義不明である事にもう一度触れられます。 つまり、ドラマ内ではフランス修行が世界一の必要条件かどうかは不明。というか疑わしい。

● 藍子は働かず搾取する毒親なのか>一般論として違う
桶作家、塩づくり、塗師屋の手伝いをしている。外で働いて賃金を得る事だけが仕事ではないので、労働と金銭を家族内でシェアしていると言える。というか、そもそもそんな物語ではないです。
ただし、聖母的な「正しい」母性キャラクターではない為、「模範的な母親像ではない」という意味で毒親と言っている人はいるかもしれません。もうおばあちゃんなのに少女的表情も見せます。毒親というより魔女ですね、魔女。

● 希は何が凄いの?>味を見分ける力と絶対温感(?) ただし味を創作するセンスは弱い
チョコの配合、組み合わせの違い、素材の良し悪しなどを識別する力がある。しかし自分で新しい味を作り出す事は苦手。ところが8年のブランクと思わせた期間に希が体験してきた事が新しい味の発想のきっかけに。人から教わるのでなく、自分で考え出す事ができました。無意味なブランクなんかじゃなかったねよかったねという話になっています。

希が突出しているのはこの点と、無根拠に押しが強い事のみです。
他のドラマと比べると主人公的スペックは低めかもしれません。
これは、希が特別な人ではない、このドラマが普通の人のドラマである証左だと思います。

● 希は成長しているの?
みのり一徹のウェディングケーキや、駄菓子ケーキなど、センスは良いとはいえないが相手の心に響くものは作れていました。横浜での修行で、徐々に腕を上げ、横浜マダムに気に入られ大悟が値段を上げる程度には成長。能登の店では"ある程度"軌道に乗っていますし、ケースに並べられたケーキも綺麗になっています。が、若干垢抜けていない所があります。能登にやってきた大悟にも指摘されていますね。
終盤になって苦手だった新しい味の創作もできつつあります。うまくいくコースでしょうきっと。

● デイトレーダーは「子どもに言えない」仕事なのか? > そういう事ではない
デイトレーダーは数字を見て判断してお金を儲ける仕事。子供には理解できないし、金銭でしか評価されない仕事を子供にどう誇っていいか分からない。それに比べると塩田の仕事はフィジカルな見た目の分かりやすさ、食べて美味しい直感的な評価があり、その価値を子供と分かり合える。

起業に没頭する徹に感じる事ができなかった「父親への憧れ」を、自分の息子には感じさせたいという思いの表れでしょう。

● ドラマ内の対立項は「夢 or 家族」>そして「夢 and 家族」へ?
希は自分の夢を追うためには他の事がどうしても犠牲になる事も、犠牲の結果も知っています。大悟、徹、幸枝というサンプルがそれを叩きつけています。修練しようにも物理的に1日24時間しかないですし、両立が困難な事は想像に難くありません。「何かを得るには何かを捨てろ」という言葉がそれを表していますが、ドラマ"中盤"のキーワードなので覆されると期待できます。というか、池畑家の打ち解け、コンクールでの失格優勝など、すでに覆されつつありますね。

ドラマの中で語られる信念などは、実はそれを打ち壊す事こそが本テーマである場合があります。どんな意図で台詞が発せられているのか、見る側の固定観念は捨てて、身をゆだねるようにすると見えてくる事があります。

●このドラマは何が言いたいの?>夢を持つ事を恐れている若い人、夢を諦めてしまった大人への応援歌
このドラマの作劇の特徴に「混沌(カオス)」があります。いろんな事がぐっちゃぐっちゃに混ざり合って計画は乱されるわ、食卓はごった返すわ、お笑い芸人が多数出てくるわ、モノマネがあるわ、メタなネタが散りばめられるわ、いきなり姑が現れるわエピソード的にも演出的にも「混沌」がドラマを色づかせています。(まぁ、いるはずの姑がなんで出てこなかったのかよく分からないのですけどもw)

若い人に対しては 「「夢」なんて持っても叶わなければ虚しいし」などとニヒルに構えるよりは、どうせ人生どうなるか分からない(混沌)んだからやりたい事やってみようよ、というメッセージに僕は受け取りました。一子がそのパターンですね。

大人に対しては 日々の忙しさにかまけて、忙しさを言訳にして夢を諦めていませんか? 家庭を持って今更…と諦めていませんか?
(個人的に感じたドラマの毒その2) あなたが誠実に一生懸命生きていればその全てが糧になっているはずです。一歩踏み出してみませんか?という応援メッセージに受け取りました。

「希の環境は恵まれているじゃん」と一蹴するのは簡単ですが、その環境を作ってきたのは実は希自身でしたし、混沌の結果でもあります。いずれにせよ何もしなければ何も始まらない事に変わりはないでしょう。

  「さあ翔けだそうよ、今すぐに!」

さて、僕もなにか始めようかな…


最後に


登場人物は自分を守るために嘘をついていたり、判断を誤っている場合があります。重要度の低い事柄を重ね重ね説明する事を避けた演出もされています。こういった事からある程度の視聴スキルが求められるドラマでもありました
(個人的に感じたドラマの毒その3)。

しかし、分かりやすさ一辺倒では飽きられてしまう事もあるかもしれません。「まれ」は、高密度にエピソードを詰め込み、そこから醸し出される言語化しにくい味わいを作り上げる事に挑戦しています。テレビ離れが言われる昨今、このままではいけない、変わり続けなくてはいけないという挑戦にも思えました。

ネットの否定意見が多いところを見ると成功しているとは言い難いかもしれませんが、一見保守的とも思われがちなNHKが率先して挑戦していく、その果敢な姿勢に拍手を送りたいと思います。



あ、あと一言。
希を嫌いと公言している方、多分、タイプは違えど希っぽい人(集中して周りが見えなくなる人、家族のためとはいえ不義理を働く人、正解が分からず右往左往する人、姑を恐れない人、しかるべき場所でしかるべき身なりに整えない人、妙に身体能力が高くて飛び跳ねてる人などなど?)は周りにいくらかは居ると思います。どうか嫌わないであげてくださいませ…w