how well do you know your moon?より一部引用
それは一九五五年の「七・四事件」、文鮮明と私たち幹部が逮捕された事件のことである。
七月四日の文鮮明に続いて六日、私も逮捕された。逮捕理由は「兵役忌避容疑」。
私たち北朝鮮から南に避難してきた者には戸籍がないので、身分証明書を作ってもらうとき、「第二国民兵」としての兵役を免れるため、実際の年齢より五~六歳くらい年長に申告していた。
そこが違反とされたもので、文鮮明自身も朴正華さんに指示して偽造させていた。
私たちは口裏を合わせて、偽造に協力したと供述していたが、一方で文鮮明は、「自分の知らない間に、弟子たちが勝手にやったこと」と責任逃れを繰り返していた。
私たち弟子が、″神さま”の年齢を勝手に変更などできるものではない。実際には、すべて文鮮明の指示に従ったまでだった。
ところで、この「兵役忌避容疑」は、文鮮明以下の幹部を逮捕し取り調べるための口実で、いわゆる別件逮捕だったことがまもなくわかった。
捜査官の質問が日を追って、妙な方向へ移っていった。
「お前たち夫婦の仲はどうなのか? セックスは週に何回するのか? 月に何回か? 女の信者とは何回したか?………」
私は「それが兵役忌避と何の関係があるのか」と大声でやり返し、捜査官と口論したこともあった。しかし、捜査官の調べは執拗で、机の上には文鮮明と女性食口たちの関係を書いた図を置き、セックス関係の確認を求めてきた。
私は終始一貫、知らぬ存ぜぬで過ごしたが、内心ではその正確さに舌を巻いたものだった。留置場の中にいる私たちは、外の様子がよくわからなかったが、朴正華さんたちの隠蔽工作の結果か、調べを受けた女性たちは、
「私は文鮮明先生と、やっていません」
「私は夢の中で、セックスをしたように思います」
などと、適当に嘘を並べていた。
警察はほぼ的確に、文鮮明を巡る女性たちの相関図をつかんでいたものの、本人の親告や亭主からの告訴を得られなかったため、この件での起訴立件をあきらめたーーのが真相だった。
だから「七・四事件」は単なる兵役忌避問題ではなく、統一協会の奥座敷に隠されたセックス問題の捜査が警察の狙いで、統一協会の言う「何もない無実の容疑」ではなく、「危うく事実が天下に公表されるのを、免れた」のである。
ちなみにこのとき逮捕された幹部の留置番号は、文鮮明三九〇番、劉孝元三八〇番、劉孝永一七〇九番、私一一七五番だった。金元弼も逮捕され、彼だけが実刑の判決を受けて収監された。
いずれにしても、統一協会と訣別し、距離を置いて冷静に文鮮明や協会の実情を見ると、いろいろな矛盾や疑念が見えてくる。
世の中の大勢は明らかに民主主義の流れであるにもかかわらず、統一協会の体質は、信仰の濃淡に関係なく、文鮮明に尻尾を振るだけの取り巻きを周囲に配し、身内を重用した、独裁体制である。これは歴史の流れを押し戻し、文明に逆行するものと言えよう。
しかも、食口たちが身を削って集めた巨額の金は文鮮明一人が管理しており、どこにどれだけ隠匿しているのか、現在の最高幹部でもわからないという。
非民主的で横暴な、独裁一本の典型的実例である。
また、統一協会の印刷物はどれも、「文鮮明師が一九四八年に北朝鮮で逮捕されたのは、共産党の宗教抹殺政策によって、内務省に拘束された」と判で押したように発表している。
私は北の平安北道・宜川邑(郡)で写真館を経営していたが、戦乱の風雲を避けて一九四七年八月、写真館も各種の機材も放置し、一人で南下した。二十八歳のときだった。それまで私は北のキリスト教会の執事をしていたが、まったく弾圧などはなかった。これは統一協会の嘘の歴史であり、朴正華氏が詳しく書いているとおりである。
また本書の中で紹介されているように、私自身もいわゆる三十六家庭の一人なのだが、どう辻棲を合わせようとしても、三十六家庭には何の摂理もない。それでもまだ当時は、夫婦の組合せを真剣に考え鍾路の白雲鶴(観相家)や李命鶴(四柱家)などとも相談して最終決定をした。
ところが最近の合同結婚式は、まるで麻雀の相手でも決めるかのように安直で、いい加減なものだ。これでは真の祝福とは言えないーと私は痛感している。引用終わり
※教祖は身分証明の年齢は指示しながらも捕まると弟子が勝手にしたことと言った→
今も世界平和統一家庭連合に伝統の様に体制が受け継がれてますね。
マッチングが麻雀の相手を決めるように安直→
決める相手の幸せなんて考えてたらこのように出来ないはず、
どれだけの夫婦が合わない相手と苦しんだか…。
36家庭は四柱推命や観相等とも相談って
メシアは7代の先祖を見て決めるんじゃなかったっけ?
旦那や妻が魂の相手ツインソウルだと信じれないのは
メシアや幹部が祝福相手を簡単に決めてるからじゃないですか?
祝福家庭が心で苦しみ
献金で外的に苦しみ
2世が離れるのも納得します。
麻雀の相手でも決めるかのように 動機がこれじゃあ不幸です。
それは一九五五年の「七・四事件」、文鮮明と私たち幹部が逮捕された事件のことである。
七月四日の文鮮明に続いて六日、私も逮捕された。逮捕理由は「兵役忌避容疑」。
私たち北朝鮮から南に避難してきた者には戸籍がないので、身分証明書を作ってもらうとき、「第二国民兵」としての兵役を免れるため、実際の年齢より五~六歳くらい年長に申告していた。
そこが違反とされたもので、文鮮明自身も朴正華さんに指示して偽造させていた。
私たちは口裏を合わせて、偽造に協力したと供述していたが、一方で文鮮明は、「自分の知らない間に、弟子たちが勝手にやったこと」と責任逃れを繰り返していた。
私たち弟子が、″神さま”の年齢を勝手に変更などできるものではない。実際には、すべて文鮮明の指示に従ったまでだった。
ところで、この「兵役忌避容疑」は、文鮮明以下の幹部を逮捕し取り調べるための口実で、いわゆる別件逮捕だったことがまもなくわかった。
捜査官の質問が日を追って、妙な方向へ移っていった。
「お前たち夫婦の仲はどうなのか? セックスは週に何回するのか? 月に何回か? 女の信者とは何回したか?………」
私は「それが兵役忌避と何の関係があるのか」と大声でやり返し、捜査官と口論したこともあった。しかし、捜査官の調べは執拗で、机の上には文鮮明と女性食口たちの関係を書いた図を置き、セックス関係の確認を求めてきた。
私は終始一貫、知らぬ存ぜぬで過ごしたが、内心ではその正確さに舌を巻いたものだった。留置場の中にいる私たちは、外の様子がよくわからなかったが、朴正華さんたちの隠蔽工作の結果か、調べを受けた女性たちは、
「私は文鮮明先生と、やっていません」
「私は夢の中で、セックスをしたように思います」
などと、適当に嘘を並べていた。
警察はほぼ的確に、文鮮明を巡る女性たちの相関図をつかんでいたものの、本人の親告や亭主からの告訴を得られなかったため、この件での起訴立件をあきらめたーーのが真相だった。
だから「七・四事件」は単なる兵役忌避問題ではなく、統一協会の奥座敷に隠されたセックス問題の捜査が警察の狙いで、統一協会の言う「何もない無実の容疑」ではなく、「危うく事実が天下に公表されるのを、免れた」のである。
ちなみにこのとき逮捕された幹部の留置番号は、文鮮明三九〇番、劉孝元三八〇番、劉孝永一七〇九番、私一一七五番だった。金元弼も逮捕され、彼だけが実刑の判決を受けて収監された。
いずれにしても、統一協会と訣別し、距離を置いて冷静に文鮮明や協会の実情を見ると、いろいろな矛盾や疑念が見えてくる。
世の中の大勢は明らかに民主主義の流れであるにもかかわらず、統一協会の体質は、信仰の濃淡に関係なく、文鮮明に尻尾を振るだけの取り巻きを周囲に配し、身内を重用した、独裁体制である。これは歴史の流れを押し戻し、文明に逆行するものと言えよう。
しかも、食口たちが身を削って集めた巨額の金は文鮮明一人が管理しており、どこにどれだけ隠匿しているのか、現在の最高幹部でもわからないという。
非民主的で横暴な、独裁一本の典型的実例である。
また、統一協会の印刷物はどれも、「文鮮明師が一九四八年に北朝鮮で逮捕されたのは、共産党の宗教抹殺政策によって、内務省に拘束された」と判で押したように発表している。
私は北の平安北道・宜川邑(郡)で写真館を経営していたが、戦乱の風雲を避けて一九四七年八月、写真館も各種の機材も放置し、一人で南下した。二十八歳のときだった。それまで私は北のキリスト教会の執事をしていたが、まったく弾圧などはなかった。これは統一協会の嘘の歴史であり、朴正華氏が詳しく書いているとおりである。
また本書の中で紹介されているように、私自身もいわゆる三十六家庭の一人なのだが、どう辻棲を合わせようとしても、三十六家庭には何の摂理もない。それでもまだ当時は、夫婦の組合せを真剣に考え鍾路の白雲鶴(観相家)や李命鶴(四柱家)などとも相談して最終決定をした。
ところが最近の合同結婚式は、まるで麻雀の相手でも決めるかのように安直で、いい加減なものだ。これでは真の祝福とは言えないーと私は痛感している。引用終わり
※教祖は身分証明の年齢は指示しながらも捕まると弟子が勝手にしたことと言った→
今も世界平和統一家庭連合に伝統の様に体制が受け継がれてますね。
マッチングが麻雀の相手を決めるように安直→
決める相手の幸せなんて考えてたらこのように出来ないはず、
どれだけの夫婦が合わない相手と苦しんだか…。
36家庭は四柱推命や観相等とも相談って
メシアは7代の先祖を見て決めるんじゃなかったっけ?
旦那や妻が魂の相手ツインソウルだと信じれないのは
メシアや幹部が祝福相手を簡単に決めてるからじゃないですか?
祝福家庭が心で苦しみ
献金で外的に苦しみ
2世が離れるのも納得します。
麻雀の相手でも決めるかのように 動機がこれじゃあ不幸です。