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シャワーを浴びるべく服を脱いで、僕は驚いた。
なんと、あれ程野山を駆け回り、道々枝にひっかかったり、ラストスパートでロープで引きずられたにも関わらず、僕の身体には髪の毛ほどの傷ひとつついてなかった。
それどころか、僕が日々の怠惰な生活によって育て上げたお腹の脂肪が見事になくなり、まるで格闘家のような割れた腹筋ボディーへと変貌をとげていたのだ。

シャワーを浴びた後も、僕は何度も何度も鏡を見て、その肉体美を堪能した。少年の頃憧れた仮面ライダーのようなその身体を見ていると、どこからか力が湧いて来るような気がした。

「お食事のご用意ができております。」

突然の声に驚き振り向くと、部屋の入り口に執事が立っていた。
いつからいたのか、もし最初から見られていたとしたら、僕は舌を噛んで死にたい気分だ。

「ユリ様がお待ちです。」

そう言われると、僕は慌てて服を着て、食堂へと駆け足で急いだ。
無意識のうちに。
37

太陽が西の山の向こうに沈み、あたりが闇に包まれた頃、僕らは城へと帰って来た。

城の入り口には、スタート時と同じ位置に執事が立ち、僕らを迎え入れている。

ゴールの手前数百メートルで疲労のため足がもつれた僕は、さながら西部劇の拷問のようなスタイルで足首にロープが引っ掛かったまま、自転車に引きずられながらのゴールとなった。

「おかえりなさいませ。」

そんな僕を気に止めるそぶりもなく、執事が軽く会釈をしながらタオルを差し出す。それを横目にユリは、

「30分後に食事だ。シャワーを浴びて食堂に来るように。」

と言いながらタオルを受け取り、城の中へと入って行く。


僕はそれに対し、返事どころか息もできない状況だった。
せいぜいが、身体に絡み付いたロープから逃れようとするとともに、周囲にある酸素をかき集めるために手足をバタつかせながら、もがくのが精一杯だったのだ。

そんな姿を見かねたのか、主人を見送った執事が僕のロープを解き、ぐったりとしたままの僕を担ぎ上げ、部屋へと運んでくれた。


月が出ていない事に気づく余裕は、この時の僕にはなかった。
36

こう見えて僕は子供には人気があったし、それなりに扱い方も堂に入っているつもりだった。高3の夏休みにはヒーローショーのアルバイトで、憧れの眼差しを向ける子供達を抱き寄せて写真など撮ったものだし(まあ、その眼差しは僕ではなく、真っ赤なマスクを被ったヒーローに向けられたものではあったのだが)、親戚の子供を預かって一緒に遊ぶ事などは日常茶飯事だった。

しかし、この少女は違った。事実、外見は子供でも中身は大学生なわけだし、第一月明かりを浴びるとグラマラスボディーになる少女の相手などしたことがない。

よって、僕の経験は全く何の役にも立たないまま、僕は彼女の命令に従う事を選択するしかなかったのだった。


そしてそれからのおよそ5時間半、僕は走らされ続けた。
山を、谷を、岩場から砂漠のような場所から玉砂利の上から、果ては小川の流れの中まで、ただひたすらに走らされたのだ。

驚いたのは、それら広大な大自然の数々が、すべて城の敷地内に存在しているという事と、そんな悪路を何の苦もなく自転車で走り続けた彼女の驚異的な体力である。

実際、最初の内こそグスグスとべそをかいていた彼女も、30分が過ぎる頃には激しい罵声で僕を追い立て、僕が疲れ果て呼吸もできず、目が虚ろになった後は、彼女は僕にロープを付けて引きずるかのように強制的に走らせ続けたのである。

僕は半ば放心状態ではあったのだが、こんな少女に負けるのだけはというプライドが、僕にその拷問を耐え抜かせたと言っても過言ではないだろう。

ともあれ、「電動アシスト」という物の存在を加味したとしても、あの小さな身体のどこにあれほどの体力があるのか、全くの謎でしかなかった。