当作品は2009年2月ライトノベル作法研究所にて公開されたものです。
もう道化を演じるのはいやッ!
わたしだってオシャレしたいし、彼氏だってほしい。けど、家柄がそれを許してくれない。
パパは地元でも有名な国会議員なの。一人娘のわたしにかかるプレッシャーは大きい。高校では常に成績トップを守らなきゃいけない。毎日のように塾に通い、家に帰ったとしても家庭教師が待っている。
パパはわたしに反抗することを許さない。以前わたしが「あたし」と言っただけでぶたれた。そんな娘に育てた覚えはないって。パパの言うことにはすべて従わないとまたぶたれる。
わたしの人生くらい、わたし自身で決めたい。こんな風に考え始めた矢先の出来事だった――
***
わたしは携帯電話を取り出した。デジタル時計は二十一時を示している。
すっかり帰りが遅くなっちゃったなぁ。高三と浪人が私大の大学受験の時期で、なぜかわたし達高二クラスも受験対策講座を受けさせられた。
夜空には美しい円を描いた満月が浮かんでいた。月はわたしの疲労を労うように優しく照らしてくれる。
わたしは心身ともに疲れていた。普段なら何とも感じないカバンも、この日は鉄を持っている感じがする。
「もうやだ。こんな生活……」
愚痴は幸せを遠ざけるっておばあちゃんから聞かされていた。けど今のわたしは愚痴らずにはいられない。勉強とかうんざり。いい大学に入ったからなに? そんなの、パパの自己満足じゃん。パパに押し付けられた人生観に、なんの価値があるっていうの? あぁ、家なんか帰りたくないよ。
そんなことを思いながら、わたしは駅のホームで電車を待っていた。ホームにはわたしの他に男が三人。一人はベンチで寝ていて、あとの二人は大声で笑っている。
手提げカバンから携帯電話を取り出す。わたしの帰りを待っているであろう家庭教師に、帰りが遅くなるってメールを打つ。送信ボタンを押して携帯を閉じた時だった。
「お、そこのカノジョー。これからどこ行くの?」
顔を上げると、二人組の男がいた。明らかに下心みえみえだし。一人は鶏のトサカみたいな髪型をして、もう一人は鼻にピアスを四つもつけていた。正直キモい。
「その眼鏡、すごく可愛いね。どう? これから三人で遊ぼうよ?」
ただでさえ帰りが遅くなってイライラしてるのに。構ってる余裕もないって。
「二人で遊んでください。わたし、忙しいんで」
素っ気なく答えると、トサカ頭の男がわたしの右腕を掴んできた。
「冷たいなーカノジョ。大丈夫、大丈夫だってー!」
「イヤよッ! 放して!」
わたしは精一杯の抵抗をしたけど、男の人に力では敵わない。グイグイ引っ張られる。鼻ピアスの男がわたしの腰に手を回してくる。嫌よ! 誰か助けて――
「おーい。兄ちゃんたちぃ。そこらへんにしときぃ」
その声にみんな振り返った。ベンチに寝ていた男だ。関西弁ってことは大阪人かな? なんて冷静に言ってるじゃなかった。とにかく助かったぁ。
「なんだオメーは。しゃしゃり出てくんな」
「そうはいかんやろ。その子、君らがブサいくで、めっちゃうざがってるやん?」
白のキャップ帽をかぶった男がベンチから立ち上がる。背は一八○センチくらいかな。体格がかなりいい。
「俺らにケンカ売って、ただで済むと思うなよ? デクノボウが」
トサカ頭がボクシングの構えをする。この人、もしかしたらボクシング経験者なのかしら? 数回ジャブを見せて威嚇し、そのまま関西弁の男に近づいていく。二人の距離が狭まる。手を伸ばせば顔に当たる距離まで。そしてトサカ頭が関西弁の男の顔面に目がけてパンチを繰り出した。
「危ないッ」
わたしが叫んだのと同時くらい。
カチっと音がして、関西弁の男がものすごい高さまで垂直に跳んだ。五メートル? ううん、もっと跳んだと思う。助走もしてないし、棒に頼ったわけでもない。人間じゃ有り得ない!
関西弁はそのまま落ちながらトサカ頭に踵落としを入れる。トサカ男は吹っ飛ばされてホームの壁に激突した。わたしは思わず目を瞑る。
気がつけば、わたしは自由の身になっていた。わたしの腰に手を回していた鼻ピアスは、間抜け面で呆然と立ち尽くしている。鼻ピアスもあのジャンプに驚いたのかな? とにかく今がチャンスだ。
わたしは持っていたカバンを鼻ピアスの顔にぶつけて、関西弁のところに走った。
「走れるか? お嬢ちゃん」
「うん」
「おっし。逃げるでー」
関西弁の男に手を引かれて、わたしは改札口に向かって走った。
***
「ちょっと、ちょっと待ってー! わたし、もう……」
どれくらい走っただろう。足がもう動かないし。
「そか。ほんなら休憩しよ」
わたしたちは居酒屋の前に止まった。すごく息苦しい。居酒屋の前に設置されている自販機にもたれる。あれだけ走ったのに関西弁さんは呼吸の乱れがない。
「一体あなた、なに者なの?」
「なにって、フツーの人間やで。ハハハ」
関西弁さんは頬をポリポリ掻いて笑う。
絶対ウソ! 普通の人間があんなに跳ぶわけがないもの。生身の人間には絶対できっこない。まるでアクション映画に出てくるスーパーヒーローだった。
「関西弁さんはお化けよ! あっ、ごめんなさい。あなたの名前が分からなくて……」
「おいおい。『関西弁さん』ってオレのことか? オレの名前は秀平や」
関西弁さん改め秀平さんが右手を差し出してくる。わたしは左手を出して応じた。握手ってやつね。ちょっとドキドキする。わたしより一回り大きな手。実は男の人と握手するのは初めてだったりする。
でもわたしはこの人をまだ信用したわけじゃない。さっきの男たちに比べたら信用できるけど。もしかしたら後で法外な請求をしてくるかもしれない。油断したところを襲ってくる可能性だってある。
「わたしは美鈴。まだあなたのこと信じてるわけじゃないけど。でも、さっきは助けてくれてありがとう。一応お礼を言っておくね」
「礼なんてええよ。あ、のど渇いたやろ? なんか飲む?」
「それじゃ、いただこうかしら」
秀平さんは自販機の前でポケットをまさぐっている。
わたしはあることに気が付いた。彼の両足首に包帯が巻かれている。足でも痛めてるのかしら。まぁ本人は痛そうじゃないし、大丈夫かな?
「あかん! 美鈴ちゃーん」
「どうしたの?」
「今オレ、七十円しかない。ジュース代おごってもらってええ?」
「……」
呆れた。レディにジュースをおごらせるなんて最低だわ。
「わかったわよ。奢る! 助けてもらったし」
「ありがとな。オレ、このコーラ」
わたしがお金を入れる前から、秀平さんは自販機のボタンをカチカチと連打する。
この人はすごく子供っぽいし、初めて会ったわたしに対してすごく馴れ馴れしい。
でもなんでだろう? わたしは彼が嫌いじゃない。むしろ彼の屈託のない笑顔に魅せられていく。もっと秀平さんのことが知りたい。
「あなたは何者? ここには何をしにきたの? 何歳? 結婚はしてるの? 仕事は? ていうか、さっきのジャンプはどんな力を使ったの!」
わたしは秀平さんに、わたしが疑問に思っていることをぶつけた。彼はジュースをのどにつまらせて咳き込みながら、
「そんないっぱい質問せんでくれよ」
苦笑いしている。わたしったらつい興奮しちゃったみたい。ごめんなさい。反省しまーす。
「えーと、まぁ、オレが言えるのは、日本中を旅して回ってるってことくらい」
「旅? それだけ?」
予想していなかった答えだった。わたしは驚いて彼の顔を覗き込んだ。秀平さんは至って真面目な顔をしている。
「そ。そんだけ」
彼は自販機に背中をつけ、ゆっくりしゃがみ込んだ。
「いいなぁ」
「どうしたん? 美鈴ちゃん」
わたしは心底、秀平さんが羨ましかった。パパに逆らえずに窮屈な毎日を送るわたしとは違う。この人は自由に生きている。今のわたしにとって、彼は眩しすぎる存在なんだもの。
「わたしも秀平さんと日本中を巡ってみたい」
「いきなりどうしたん?」
「うちはパパがね、すごくうるさいの。わたしはただの操られ人形。パパを満足させるために生きてるような人間……あ、ごめん! 個人的な話をしちゃった」
フレンドリーな雰囲気につられて、つい余計なことまで喋っちゃった。
「いや、ええよ。溜め込み過ぎは体によくないしな。吐いて楽になることもあるんやで?」
心配してくれてありがとう、と言い掛けて思いとどまった。
危ない、危ない。彼のペースにはまるところだった。この人だってまだ信用できるわけじゃないんだ。
「ちょっと待って! あなた、わたしを安心させようとしてるでしょう? パターナリズムなんてもうこりごりよ」
「パター? なんじゃそりゃ?」
「……。とにかく! あなたを完全に信用したわけじゃない」
「そう言ってたね」
「さぁ、あなたの計画を言いなさいよ! なにが目的?」
彼に吐露を迫る。
「なら言うで」
「うん。言って!」
「オレはな」
「うんうん?」
「美味いモン、たらふく食いたいなぁ」
「え?」
真顔でそんなこと言われると調子が狂うわ。一体全体、どういうつもりなのかしら。
「ここ二、三日くらいかな、なーんも食ってへん」
「そうなんだ……じゃなくって! 本当はどうなの? なにか企んでわたしを助けたんでしょ?」
「ないよ? そんなもん」
「うそ! 早く言いなさいよ!」
「美鈴は眼鏡に似合わず、疑り深いやつやな」
眼鏡は関係ないでしょうよ。っていうか、いよいよ「ちゃん」も省かれちゃった。まぁ、悪そうなことをする人間には見えないけど。
「まぁ、野望っぽいのが一応あるで。聞きたい?」
「うん」
「オレは元々自衛官やっててな。ちょっとひと悶着があって辞めたけど」
どうりで体格がいいわけね。それなら納得できる。
「この命、困ってる人を助けるために使いたいと思ってな。そんで日本中を回っとるんよ」
「あっははははは」
「いやいや。笑うとことちゃうで?」
「だってー。そんなこと、誰も出来っこないじゃん」
「オレがする。金のあるヤツしか生き残れない世界なんて、絶対間違っとる」
「むりむり。大体、お金がなきゃ人間なんて――」
あれ? なに言ってるんだろうわたし。
「おうおう。資本主義、上等や」
彼は表情こそ平静さを装っているものの、明らかに声は怒りを含んでいた。わたしが笑ってしまったからだ。
「ジュースご馳走さん! そろそろ寝床を探しに行くわ。ほな、さいなら」
秀平さんはさっと立ち上がる。
「あのっ……また、会えるかな?」
返事は返ってこない。秀平さんは線路沿いを歩いていき、そして闇の中へ吸い込まれるように消えていった。
***
帰宅した時には深夜十二時を回っていた。
駅のホームであんなことがあったから、電車を使うわけにもいかなかったの。また変な人にからまれるかもしれないし。結局わたしは家まで一時間かけて歩いてきた。
「ただいまぁ」
わたしは小さな声で、おそるおそる和室を覗き込んだ。
毎日自分の部屋に行く前に、パパに挨拶をしなきゃ。そうしないとパパが怒る。
「美鈴。ちょっとこっちに来なさい」
パパは読みかけの新聞を畳の上に置いて、わたしの方を向く。鋭い眼光でわたしを睨みつける。
足がすくんで動けない。自分の部屋に走って逃げたい。けど、パパのところに行かなきゃ打たれる……。
「美鈴!」
今度は怒気を含んだ声で名前を呼ばれた。わたしはおそるおそるパパの元へ近づく。
「なに?」
「どうして遅くなったんだ」
「どうしてって……」
わたしは返答につまった。秀平さんと話してたなんて言えないもの。けれど、パパは嘘が通じる相手じゃない。すぐ話の矛盾に気づいて問い詰めてくるし。どうしよう? このままじゃ怒られるッ――
「誰かに襲われてないか?」
「えっ?」
パパの口から予想外の言葉が飛び出した。
「襲われたのか?」
「うん。でも周囲の人に助けられて逃げた」
パパの顔がどんどん青ざめていく。
「もういい。自分の部屋に戻りなさい」
「どうしたの、パパ?」
「それから登下校の際は気をつけなさい」
そう言ってパパは腕を組んで黙る。
パパの様子がいつもと違う。なにかあったのかな? でもこの時のわたしは、怒られなかったという安堵感でホッとしていて、パパの様子なんてどうでもよかった。
***
翌日。
授業中にも関わらず、みんな普通に大きな声で喋っている。まぁいつも通りと言えばいつも通りね。元々声が小さくて聞き取りつらい先生の講義も、みんなの話し声にかき消される。これでもうちの学校は進学校なんだ。
教室のあちこちからチョコの話が飛び交っている。今日はバレンタイン。どうしてみんながそこまで盛り上がれるのか、わたしには理解できない。いつでも買って食べればいいのにね。
というより、今はそれどころじゃない。
昨晩から秀平さんのことが気になるの。
また会えるかな。もしかすると会ってくれないかも。昨日は助けてもらったのに、あんなひどいこと言っちゃったし。どうしても謝らなくっちゃ。でも秀平さんどこにいるんだろう? せめて電話番号だけでも聞き出しておけばよかったなぁ……。
「杉下、杉下!」
わたしを呼ぶ声に、ハっとして顔を上げる。目の前に化学の先生が立っていた。
「アニリンの作り方、答えられるか?」
先生はわたしをじっと見てくる。まるでわたしに救いを求めているような。こうも生徒に騒がれると、授業にならない。だからお前に答えさせて、なんとか授業形式を維持したい――なんて言いたそう。
「まずニトロ化ですよね?」
「なにと、なにを使うんだっけ?」
わたしはふと黒板を見た。
そんなの、さっき自分で黒板に解答を書いたじゃない。混酸って。見なくたってわかるけど。わかり切ったことを、わたしに答えさせてどうするのよ。ていうか、秀平さんになんて謝ろうかと考えてる時に邪魔しないで! イライラする。
「先生。黒板の式だとわかりません。混酸って、濃硝酸と濃硫酸からニトロニウム――」
「杉下?」
一瞬、教室がしーんと静まり返る。みんながすごく驚いてる。一番驚いてるのは先生だけど。
不思議と言葉が止まらない。わたしは話を続けた。
「ニトロニウムイオンが、ベンゼンにキューデンシ攻撃して」
「す、杉下! わかった、もういいから」
「まだ説明途中ですよ? 式、書きましょうか?」
「待て、杉下。そこまで教科書に載ってないだろ? 授業でそこまでやることもない」
「まさか先生、知らないんですか?」
「……」
先生はそれ以上喋らなかった。青ざめた様子で教卓の方に戻っていく。
わたしは思った。この人は高校化学の教科書に載ってる以上の内容を知らないのでは、と。こんな程度で教師が務まるなんて、教師って楽な仕事なのね。先生への愛想も小想も尽き果てた、と言うべきかしら。
まわりの子たちが驚いてこっちを見てくる。
「なによ? 何か文句あるの?」
見せ物じゃないんだから!
わたしは一人一人を睨みつけた。どの子もわたしと視線を合わせようとしない。
机に肘をついて教科書を眺めながら、ふと思った。わたしってSっ気があるんじゃ?
いやいや、まさかね。
なんて思いながら外に視線を移すと、赤い光が目に飛び込んできた。あれはパトカーの赤色灯だ。うちの学校で何かあったのかな。
いろんな事態を勝手に想定しているところに、校内放送が流れた。
『生徒諸君にお知らせします。先ほど中央体育館の倉庫にて、不審者がいると通報がありました。現在、男の身柄は警察に取り押さえられています。間もなく授業は終わりますが、危険なので教室から出ないように』
教室中から悲鳴にも似たざわめきが起こる。「やだー。怖いっ」とか「マジ、襲われたらやばくね?」などなど。
そんな騒ぐほどのことじゃないと思うんだ。不審者は警察が捕まえてるんだし。ていうか、みんな被害妄想が強すぎでしょ。こんなことくらいで一喜一憂できるみんなが羨ましいわ。
鼻で笑いながら外を眺める。するとわたしの後方で誰かが、
「体育だったB組の人が不審者を見たんだって! 今メールきた」
と話している。
後ろの会話によると、不審者はガテン系で関西弁らしい。どうせ誰かの作り話でしょ。関西人がこんな関東圏にいるわけないでしょ。なにバカなこと言って――関西弁ッ?
ここでチャイムが鳴った。わたしは一目散に職員室を目指した。不審者の姿をこの目で確かめたくて。もし秀平さんだとしたら……。
そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。わたしは教室を飛び出した。階段を駆け下りて職員室の前を通りかかった時、
「お願いやからさ、俺の話を聞いてぇな」
聞き覚えのある言葉だ。間違いなく秀平さんだ。
秀平さんの声は職員室から? 違う。感覚的にはもっと別の、遠くからだと思う。たぶん外から。そこに秀平さんもいるのかな? 行かなくちゃ。
すぐに昇降口へ向かう。上履きのまま、昇降口の扉あたりまで出た。二人の警官に両腕を押さえられながら、真ん中を歩く大男が見える。
「秀平さんッ」
思わず声をかけてしまった。
「お? おぉ、おはよう。美鈴ってここの学校の子だったんや?」
なにのんきに挨拶してんのよ。
「なにしてんのよ、秀平さん」
「今から警察に連れて行かれるんやー」
それは見ればわかるよ。わたしが言いたいのは、なんで勘違いされるような所を選んだのってこと。
「美鈴、助けてー。この人ら、俺の話聞いてくれへん」
「わたしにどうしろっていうのよ! バカー!」
「こらッ! バカはないやろ! せめてアホと言え」
困ってる割にはずいぶん余裕がありそう。関西人にバカっていうと怒ると聞いたけど、まさか本当に食いつくなんて。
そんなことはともかく! 謝らなきゃ。秀平さんに昨日のことを謝らなきゃ。
「あのッ」
続きの言葉が出てこない。言いそびれてる間に、秀平さんは警察に引っ張られていく。
「わたし……」
また言えなかった。わたしはただ秀平さんの背中を見送った。
***
夕方。太陽は最後の悪あがきと言わんばかりに西の方角から強い光を放っている。
冷たい風がわたしの全身を吹き付ける。わたしはコートの襟元を両手でぐっと押さえながら家路を急ぐ。
――秀平さんにもう一度会いたい。
そう考えて歩いていると、
「バレンタインにチョコレートはいかがですかあ?」
声がする。振り向くと、バレンタインの文字が目に飛び込んできた。
コック風の女性店員が震えながらでわたしの方を見ている。まだ冬の冷たい風が吹き荒れる中、外で売り上げアップのために頑張ってる店員さん。
確かこのお店は高級チョコレートで有名なの。いつか行ってみたいと思ってた。けど正直、高校生のわたしには敷居が高すぎる。OLですらなかなか手が出せないお店だもの。
でも見るだけならいいよね? 見るだけなら無料だし……。
お店の外には木製のテーブルが用意されていて、その上にチョコが入ったかご並んでいる。その中でも『当店おすすめ』と書かれた札が付いているかごを覗いた。透明な袋の中にハート型のチョコが十枚入っている。何グラム入ってるのよ。しかもこれだけで三千九百円だって! 高校生には高すぎるよ。
「プレゼント用ですか?」
チョコを眺めていると、店員さんが訊ねてきた。
「あ。えっと」
そんなこと聞かれても困る。見てるだけだし。
でも見てるってことは、少しは興味があるってことよね。興味がないなら素通りするじゃない。そういえばどうしてわたし、立ち止まってるんだろう? 自分のため買うの? 別に食べたいと思わない。じゃあ、誰に? それはわからない。
「とりあえずこれください」
三千九百円のチョコを指でさした。
***
時計を見ると夜六時を示している。空はすっかり日が沈んで、星々がキラキラと輝いていた。
「チョコ買っちゃったよ」
痛い出費だった。わたしは呆然とチョコの入った袋を見つめる。心のどこかで秀平さんに渡せたらなんて期待してる自分がいる。今頃彼は警察で取り調べを受けているはず。会うチャンスなんてないかもしれないのに。
とりあえず塾が始まっちゃう。急がなきゃ。
急ぎ足でいつもの商店街を歩いていると、
「おーい! 美鈴ちゃん」
聞き覚えのある声がした。振り向くと、車から坂部おじさんが上半身を乗り出していた。
「あ、おじさん!」
この坂部おじさんはパパの高校時代の友達なんだって。ここらへんでは有名な坂部建設の社長さんで、選挙戦ではパパにとって最大の支援者だった。最近じゃ会社の経営が厳しくて大変だって聞いてたけど。でも元気そうでよかった。
わたしはおじさんのところへ歩み寄った。せめて挨拶くらいしなきゃね。
「こんばんは」
「美鈴ちゃん。送るよ」
「でも家はもうすぐだし、大丈夫ですよ」
「なに言ってるんだい! 君のお父さんが倒れたんだぞ」
坂部おじさんの一言で、わたしの頭の中は真っ白になった。どうしてパパが。そういえば昨日パパの様子が変だったけど。まさか誰かに襲われたんじゃ――
「ささ、早く乗って」
おじさんに勧められるまま、わたしは助手席に乗り込んだ。
「しっかりつかまってるんだぞ、美鈴ちゃん」
そう言っておじさんが車を発進させる。
最初の信号は赤だった。けどおじさんは信号を無視して交差点を突っ切る。警察に見つかったら罰金なんだけど。そんなの関係ねえと言わんばかりに、車はぐんぐんスピードを上げていく。
走り出してから十分くらい経ったかな。しばらく公道を走っていって、途中わき道に入った。
ヘッドライトに照らされて浮かび上がる砂利道。舗装されていない道の上を、車体を上下左右に大きく揺らしながら車は進む。激しく揺られるせいか、わたしは動悸に似た不快感に襲われる。車酔いかもしれない。
「おじさん。パパはどこなの?」
わたしの問いかけに、坂部おじさんは黙っている。おじさんは表情ひとつ変えずに運転を続ける。
「ねぇ、おじさん?」
もう一度話しかけてみたけどおじさんは無言だった。
おかしいわ。パパが倒れたっていうのが本当なら、今頃病院のはずよ。一体おじさんはどこに向かってるのかしら。悪い予感が脳裏をよぎる。もしかしたら……この人はわたしにウソをついているんじゃないかって。
しばらくして車が止まる。
周囲を見渡すけど、真っ暗でよくわからない。少なくとも病院じゃないことだけはわかる。病院なら明かりがついてるはずだし。
「さぁ着いたぞ。降りるんだ」
「ここはどこ? 本当のこと教えてよ、おじさん。パパはどうしたのッ」
すっとわたしの額になにかが触れる。棒のようななにかが。
「ここで死にたくなけりゃ言う通りにするんだ」
おじさんは静かに、けれど冷徹に言う。
「や、やだなぁ、おじさん。なにを言って――」
え? こんなところでわたしは殺されるの? なんで? わたし、なにもしてないのに。ウソでしょ? 冗談だって言ってよ!
「はやく降りるんだ。逃げようとしたら迷わず打ち抜くからな」
カチャっと音がして、わたしの額に強く押し付けてきた。おじさんの発言と今のカチャって音。わたしに突きつけられているのは拳銃?
――やっぱりわたしはここで殺されるんだ。
いや、諦めたらダメよ。ここでパニックになったらだめ。落ち着けわたし! きっと生き延びる方法があるはずよ。今はおとなしく従うしか……。
「わかったわ」
わたしは車から降りた。
背中に拳銃らしきものを突きつけられながら、わたしは建物に向かう。
***
二階の部屋の照明がつく。なにひとつない殺風景な部屋だ。二十、いや三十畳はあるかもしれない。
窓はひとつ。窓ガラスがなく、冬の冷たい風が室内に吹き込んでくる。
おじさんの手元をみた。手に握られていたのはやっぱり拳銃だ。
「荷物はここに置いて、そっちに行きなさい」
わたしは坂部おじさんの言う通り、荷物を置いて部屋の隅に座る。
「おじさん。どうして……」
「悪いのはお前の父親だ。恨むなら父親を恨むんだな」
パパとおじさんの間になにがあったかなんて知らない。ただ言えることは、パパの娘だというだけで完全にとばっちりを受けているということ。とにかく今は警察が来てくれることを信じるしかない。それまでなんとか時間を稼がなきゃ。
「わたしをどうするつもりよ」
「なぁに。ちょっと父親を説得してくれたらいい」
おじさんはわたしのカバンから携帯電話を取り出した。それをわたしに投げる。
「そいつで今から電話をかけるんだ。父親にだ」
「わたしはなにを喋ればいいの?」
返事の代わりに銃口を向けられる。わかったわよ。電話すればいいんでしょ。
わたしはメモリからパパの携帯番号を検索してかける。
「もしもし。パパ?」
『美鈴か。今はどこだ』
おじさんの方をチラっと見る。おじさんから特に指示は出ていない。
「わからない。ただ坂部のおじさんが」
『坂部? なんで坂部が』
「そんなのわからないよ!」
『警察がお前を捜してる。もう少し待ってなさい』
「もう少しってどれくらいなのよ! 携帯だってあとどれくらいもつか」
あ、そうか! おじさんにバレずにここの位置を知らせる方法があった! 携帯電話だ。
わたしの携帯にはGPS機能があるんだ。わたしに自分の携帯で電話させるくらいだから、おじさんはGPSの存在に気づいてない。これはチャンスだ。パパがGPSでわたしの位置をつかんめば……。
「電話をよこしなさい」
おじさんがこっちに近づいてきて手を伸ばした。わたしは携帯電話を渡して、ひたすらパパがGPSに気づくことを祈った。
「娘が大事なら、うちの全従業員を救済しろ」
そう言っておじさんは通話を切る。
「こッ……こんなことしたって……なにも変わらないですよ!」
「なんだって?」
坂部おじさんは鬼のような形相でわたしを睨みつける。
「おまえになにがわかる!」
「わからない。だけど従業員の人たちだって、こんなことして喜ぶとは思えないもんッ」
負けずにおじさんを睨み返す。
「キレイ事を」
「パパとの間になにがあったの?」
「お前の父親は恩を仇で返したんだ」
さっきからパパに対して恨みがあるみたいだけどさ。坂部おじさんとパパの間になにがあったんだろう。あれだけ仲がよかったのに。
「あれだけ国政に出る前に支援したのにだッ! 議員になったとたん、太林の人間に接近しやがった。こっちは地元の小企業だぞ。連中の圧力で仕事もない。従業員だってたくさんいたのに」
「それは……」
知ってる。パパは議員になってから大手建設業の太林組と付き合い始めたことを。
「お前の父親は俺たちを助けてくれなかった。こっちは泣く泣く従業員を切ったんだ。一家離散したヤツまでいる。こうなった責任は必ずとってもらう!」
わたしはおじさんに言い返せなかった。ううん。むしろ同情しちゃう。
「それで娘のわたしを選んだのね」
「そうだ」
「……」
パパが坂部おじさんをこんなに苦しめてたんだ。
わたしだってパパのおかげで裕福な暮らしをしてたんだ。その影でこんなに苦労してる人たちがいたのに。すべてはパパが引き起こしたことだもの。わたしは関係ないなんて言えない。わたしにも責任はある。
だけどやっぱり……。
「おじさんはやっぱり間違ってる。これは犯罪よ! こんな形で主張したって世の中は認めてくれないよ」
わたしが言い終わると、一発の銃声が鳴り響く。その音にショックで心臓が止まるかと思った。わたしの生意気な口を牽制するための威嚇射撃だ。
「どのみち俺には退路なんてない。俺はあとでここで死ぬ。ヤツが要求をのまなかったら、お前を道連れに死ぬだけだ。いや、このまま殺してしまってもいいな」
天井に向けていた銃口をわたしに向ける。
この人は本気だ。たぶんわたしは殺される。おじさんの銃に打たれて。まだ死にたくない。わたしにはまだやりたいことがたくさんあるのに。
神様。もしいるならわたしを助けて――
「すみません。お取り込み中のとこ悪いけど、静かにしてくれへん? さっきから寝れへんのや」
え? 神様? ていうか聞き覚えのある関西弁だ。
わたしは部屋を見渡す。すると窓に上半身を乗り上げている秀平さんがいた。必死に窓にしがみ付いていると言った方が適切かしら。てか、なんでここにいるのよ!
「な、なんだお前は! 警察かッ」
「警察ぅ? ちゃうちゃう。俺は善良な一般市民や。おっさん」
「お前、どうやってここに来たんだ?」
「どうって、ちょっとジャンプしただけや。それよりちょっと、俺を引き上げてくれへん?」
こんな非常事態に、なにのん気なこと言ってるのよ。しかもなんで窓から入ろうとするの。普通に階段を使いなさいよ。
「お? そこにおるのは美鈴とちゃうか? んー。これはなにか犯罪の香りがするな」
助けてって秀平さんに叫びたかった。でもわたしは銃口を向けらてい喋れない。
「まぁええわ。美鈴! ちょっと手ぇ貸してー。はよせんと落ちてまう」
わたしのことはどうでもいいんかいッ!
その時だ。おじさんが素早く銃口を秀平さんに向けた。
「ちょ、おっさん! 待ちいや」
おじさんは秀平さんに向けて二、三発ほど発砲した。銃声が上がった直後、秀平さんは窓から落ちた。
「しゅ、秀平さん! 秀平さん!」
わたしは無我夢中で叫んだ。
「人殺し! おじさんは人殺しだわ!」
「人殺しで結構。どうせお前も殺すことになるんだ」
おじさんはゆっくり銃口をわたしの額につける。引き金に指をかけて、薄ら笑いを浮かべている。もはやこの人は悪魔だ。狂ってるとしか思えない。
「さよならだ、美鈴。あの世でさっきの男と仲良くやりなさい」
おじさんが引き金を引こうとする様がスローモーションみたいに見える。
「待てやおっさん」
その声に反応しておじさんが銃を窓に向ける。
あれ? 秀平さんが窓際に立ってる。てっきり銃で打たれて死んだと思ってたのに。良かった。本当に良かった! 秀平さん、生きてたのね。
「女の子に銃を向けるとは感心せぇへんな。なぁ、おっさん」
「しぶといヤツ」
坂部おじさんが両手で銃を構える。確実に秀平さんを狙い打つ気だ。
「今度は外さんぞ。死んでもらう」
「こいよ。おっさん」
次の瞬間、銃声が鳴った。発砲した時にはすでに秀平さんの体が宙に浮いている。
秀平さんはまるで、天空から獲物を狙う鷹のような目つきで見下ろしている。そして両手で天井を押して勢いをつけ、そのまま飛び降りた。秀平さんのひざを頭部に受け、おじさんはわたしのカバンの上にどうっと床に倒れる。
わたしの前に銃が転がってきた。わたしは素早くそれを拾って、おじさんに向けた。打たないけど一応牽制のためにね。
「こぉんの、あほんだらぁぁぁぁ!」
秀平さんは咆哮し、坂部おじさんの顔面を殴りつける。慌ててわたしが止めに入る。
「ちょっと! やりすぎよ、秀平さん!」
「悪い。ついカッとなってもうた」
秀平さんはふぅっと息をついて、ゴロンと床に寝そべる。
「あ」
「どうしたの? 秀平さん」
彼は急に慌てて起き上がる。
「なんか踏んだ」
そう言って秀平さんはわたしのカバンを持ち上げた。
「それ、わたしのカバンだよ! 返して!」
わたしはカバンを引っ張って取り返す。
そういえばすっかり忘れてたな。中にチョコが入ってるんだった。カバンの中から袋を取り出してみると、チョコは跡形もなく粉砕していた。
「チョコが……」
「わ、悪い。ごめんな美鈴。その、すまん」
「ううん。いいの。誰も死なずに済んだし。チョコよりも命の方が大切だから」
「それ、俺がもらってもええか?」
「あ、うん。あげるよ。どうせ誰にも――」
あ、秀平さんに渡そうと思ってたんだ。恥ずかしくてこんなこと、死んでも本人には言えないッ!
「サンキュー。今日なんも食ってへんから腹へってて」
秀平さんは袋の封をちぎって、一気に口の中に流し込む。
「ぎ、義理チョコなんだからね」
「んあ?」
「なんでもないわよッ」
***
一時間ほどして、警察が到着した。パトカーのサイレンが鳴り響く。
坂部おじさんは秀平さんのベルトで手を縛ってある。あとは警察に任せよう。
「行こう、秀平さん」
わたしは声をかけたけど、秀平さんは首を横に振る。
「どうして?」
「悪い。一人で行ってくれ」
そういえば秀平さんは、しきりに左の足首をさすっていた。
「足でも痛めたの?」
「ちゃう。壊れたんや」
壊れたってどういうことよ? なにを言ってるんだろう。
秀平さんはズボンの裾を上げる。ようやく彼の跳躍力のカラクリがわかった。
「以前な。自衛隊おったとき、事故で両足首がだめになったんや。けど、歩けなくなるんは辛いやん? それで知り合いの医者に頼んでさ。ちょっと高性能の義足をつけてもらったんや」
秀平さんの足は義足だったんだ。本物の足そっくりに作られているけど、よく見れば色が違う。微妙に橙色だ。かかとの部分が破れていて、そこから銀色のスプリングがちらっと見える。
「こいつは機械で制御してるんよ。かかとを強く踏むとスイッチが入るんよ。どや、すごいやろ?」
「それより、事故ってなにがあったの?」
詳しく訊ねようとした時だ。 階段を上がる足音。
「美鈴ッ」
「パパ!」
パパが息を切らしながら近づいてきた。
「大丈夫か?」
「うん。秀平さんのおかげでなんとか」
「秀平? それはそこにいる男のことか?」
パパは秀平さんを見下す。たまらず秀平さんが苦笑いを浮かべる。
「貴様。二度とうちの娘に近づくんじゃない」
「パパ!」
「黙っていろ、美鈴。お前はわたしの言うことを聞いていればいい」
「どうして? どうしていつもそういうこと言うの?」
「お前の人生はわたしが決める。お前が道を踏み外さないようにだ」
「じゃあパパは自分が絶対に正しいと思ってるの? 人生をめちゃくちゃにされた坂部おじさんはどうなるの?」
「うるさいッ」
パパが手を振り上げる。また殴られ……あれ? 殴られない?
「そんくらいにしときぃ。おやっさん」
パパの手首を秀平さんが掴んでいた。
「私に触るな! 貴様」
「そんなこと言うなや。防衛大臣さん」
「貴様は――」
「おいおい。俺の事故を隠蔽したんはあんたや。自衛隊の事故が報道されたらかなわんモンな? ただでさえ憲法九条を変えたがってる時にな」
わたしは知らなかった。パパがそんなことをしていたなんて。秀平さんまでがパパの被害者だったんだ。一体パパはどれだけの人を苦しめれば気が済むの。
「パパ。本当なの?」
「……」
「答えてよッ」
パパは無言を貫く。反論しないってことは、秀平さんが言ったことはすべて事実なんだ。
「もういいッ! わたし、パパの子供でいることをやめる!」
遅れて警察の人たちが部屋に入ってきた。わたしはパパを警察に突き出そうかと思ったけど、
「今のことは内緒にしたる。その代わり、ちゃんと美鈴の父親を務めろや」
秀平さんが諭すように言ったからやめた。秀平さんは本当に優しい人だ。一番パパを恨んでいそうなのに。
感傷にひたっているところに、
「あいつがうちの娘を誘拐した犯人だ。捕まえろ!」
急にパパが警察官たちに指示を出す。わたしは驚いた。
「なに言ってるの、パパ!」
だって悪いのはパパじゃない。パパは全く反省している様子がない。それどころか、秀平さんを誘拐犯呼ばわりするなんて許せない。どこまで腐ってるの!
わたしは持っていた銃でパパを撃とうと思った。心中するつもりだったんだ。両手で銃を構えてパパに向けた。
その時、秀平さんがわたしから銃を取り上げた。そして、
「全員動くな! 動いたらこの娘の命はないで」
銃口をわたしの頭につける。
「いかにも、俺が誘拐犯や」
「ちょっと! 秀平さんまでなにを言ってるの? だってわたしを二度も助けてくれたじゃない。なんでパパのウソに付き合うのよ!」
混乱してるわたしの耳元に「ちょっと堪忍な」と秀平さんがささやいた。
「娘はいただいていくで」
銃が天井に向けて投げられた。わたしを含めてその場にいた誰もがそれに目を奪われる。
「おし! いくで、美鈴」
突如わたしの体が浮いた。なにが起こったか理解できない。そして次の瞬間には、わたしは秀平さんに抱きかかえられて窓から飛んでいた。
***
「わたしたち、まるで逃亡中みたいだね。これからどうするの?」
「そうやなぁ。家まで送るで?」
「イヤッ! 家には帰らない」
ふたりで喋りながら林の中を歩く。さっきから秀平さんが痛そうに左足を引きずっているんだけど、なにを言っても「右足がある」だし。
「なぁ美鈴。今ならまだ引き返せるで?」
「あんなヤツ! 父親なんかじゃないもん」
「ヘソ曲げとらんで素直に帰ったらええのに……」
「そんなことよりも、わたしも連れてってよ。秀平さんの言う人助けの旅に。ねぇ、いいでしょ?」
だめって言われても付いていくわ。だって今日からわたしは自由だもん。もうパパに縛られることもない。今はただ、秀平さんと一緒に日本中を回ってみたい。
そんな感じでしばらく歩いているうちに公道に出た。
「なぁ美鈴。考えたけどやっぱ無理や」
「なんで?」
「お前はまだ学生やん。これから色んな可能性があるやろ? 俺と一緒にいたらアカン」
「そんなこと……」
「美鈴と喋れて楽しかったで、ホンマに。ちゃんと家に帰って、そんでもってオヤジを安心させるんや? ええな? 約束やで」
言いたいこと言ってから突然、秀平さんはぴょんと飛び上がる。
「あ!」
わたしは声をあげた。秀平さんはすぐ近くを通りかかった大型トラックの上に飛び乗る。
「美鈴ぅ! また会おう!」
トラックの上から手を振る秀平さん。
「ちょっと待ってよ!」
わたしが呼びかけたときにはすでに遅かった。トラックはどんどん遠くへ離れていき、そして闇の中に消えていった。
自分勝手すぎる! せめて言わせてよ。好きって。