渡辺繁一のブログ

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演出の効果を設計する

そうだ、仕事のことを書こう。
とおもったのだが、私の波瀾万丈を描いてしまった。

私は、大阪のとある工業高校に通っていた。あんまり風紀の良くない高校だった、私が入試を受けた時は、定員割れ。
言い方悪いが、テストに名前を書けば合格する。
そんな高校で生活したが、不思議といじめの経験はない。もちろん、いじめた経験もない。ごく普通の頭のちょっと悪い高校生だ。
なぜ?この高校を選んだか?
非常に嘘っぽいのだが、「友達が行くから」が理由。
仲のいい友達が、定員割れしているから、絶対いける。
と言ったのが決断の理由。
志なんてものはなく、ただ、友達とあそびたい。
オーディオの凝ったのも友人の影響。
高校時代のアルバイトも友人のすすめ。
卒業し、私は中堅どころのメーカーに就職した。
卒業後、卒業校に行く機会があった。
そこで、私は、その友人が昼間の間、大学の実習助士をし。
夜、大学に学びに行ってることを知る。
「友達のように勉強したい。」
(この時のこういうなりたい方向性は非常に有意義である)
会社が終わったあと、勉強できるところを探した。
専門学校が手取り早いが昼間のカリキュラムに比べ
夜間の部はそれほどカリキュラムが充実していなかった。
友人の行ってる大学は二部があった、ちょっとハードルが高そう、と正直おもった。
推薦入学。この手がある。
会社の課長に懇願し、推薦書をかいてもらった。
このとき、マジで生涯初の受験勉強をしました。
そして。
大阪工業大学電子工学部第二部
合格っ!
それからこんな生活が始まる。

6:30 起床、朝食。
7:00 家をでる。
8:30 始業
17:30 少し早めに退社
18:30 一時間目少し遅れて教室に到着
21:30 3時間目の授業終了。
21:45 学生生活をエンジョイするためにクラブに所属
ワンダーフォーゲル部の入部した。(週3回ほど)
23:00 大学が門を閉める
23:30 大学の最寄り駅から電車に乗る(最終少し手前)
0:30 帰宅
1:00 ようやく睡眠。

とう感じのなかなかハードスケジュール。
大学が休に入ると会社だけの生活になる、こんなに楽でいいのかと思った。

人生を変える選択。
大学の二部は多彩な人間の集まりだった。昼間普通に仕事して、夕方から夜間にかけて勉強しにくる、それに輪をかけて、アブノーマルなのは、その大学が終わったあと、課外活動に参加する特殊な人種だ。
いまでは、縁が切れてしまったが、大学でともに学んだというよりは、ともに楽しんだ、臭い話をした。そんな仲間だ。

社会人X大学生の強みは、行動力とその行動範囲が広がることだ、私は、その数人の仲間と共に大学のミニコミ誌を作ることを決意する。

今、思えば、工学系の学生が考える発想ではなかったような、考えだったような気がする。
ミニコミ誌を出そうと決めたのが、1月、4月には創刊号をリリースできた。
出版のことは全くわからず、本屋さんにあるめぼしい本を数冊購入し、本の勉強が始まった。今では、インターネットがあり、必要な情報は、検索エンジンでたちまち、探し当てることができるが、当時はそのようなものはなく、したがって、本屋が唯一の情報源だった。

文字のポイントのこと、「歯」の数え方、ページ割り付けの仕方、写真をペーパーセメントで貼る方法。
取材の方法、アポイントを取って取材させてもらう。
お金の件、元出をかけずに行きたかったので広告を集める、1日50件以上、簡単企画書を持って回る。近くの映画館が大型スポンサーになる。表4の広告。生涯で初の契約書を作成。

当時の本を残しておけばよかっただが、今では残っていない。
ミニコミ誌のタイトルは「てくまが」(テクノロジーマガジン)

ミニコミ誌自体は、創刊号をだして、2号までリリースしたが、その後は残念ながら続かなかった。

敗因は、広告の収入の減少、大学生にはおせわになってから「つきあい」で広告を載せただけ。媒体としての「力」はみじんもなかった。
だから「え!またきたの?」で軽くあしらわれてしまう。

でも、ミニコミ誌を出したおかげで当時、20代の割には、いろんなところとのつながりができた。ミニコミ誌を作ると決めた1年間にはいろんなことがおこった。

旺文社、工学系の学生たちがミニコミ誌をつくったのが珍しく取材を受ける。この時初めて雑誌の記事を書く。

毎日新聞、いまから思うとなんて無謀なことをしたのか。ノーアポで毎日新聞社大阪本社に飛び込み訪問、やはりレアだった?のかその場で取材され、新聞に写真付きで載る。

某商店街のアーケードリニューアルの仕事
雑誌の企画を打ち合わせするやめに溜まり場になっていた大学近くのカフェで近くの商店街組合の人と知り合いになる。いきなり、アーケードオープンで来賓に配布するパンフレットと、商店街のイベントの仕事を受注する。
まるまる、5日ほど徹夜、最後は気を失なってスタッフが車で家の送ってくれるが記憶していない。

某アダルトカメラマンとの出会い。
若くして亡くなった、SM写真家と知り合いになる。助手のような仕事をする。また、カメラマンと同行、毎日放送の番組制作を一部手伝う。

るるぶ旅行雑誌の取材。
滋賀県のペンションを訪問、写真撮影、取材などを任される。

短波放送の取材。
放送局が雑誌と活動のことを取材してくれた。

広告代理店
何社と知り合いになり、企画書をだす関係性をつくる。

旅行代理店
学生、スキーツアーの走り、校内で募集活動をする。

イベントと人脈作りを体当たりで経験した20代前半だったなぁ

 






 

 

PM11:00 ロスアンジェルス。アメリカ人は背が高い、その中に混じって日本人数人が並んでいた。それは、山の中にある谷のように見えたかも知れない。11月のロスの天候は最高気温23度、最低気温12度。数字の上では少しだけ暖かいかと思っていたが、到着したらTシャツでもいけそうな陽気だった。
真夜中に数1000人の人々が素足で歩いている。異常な光景だ、コンベンションホールから歩いてとあるところに向かって数1000人の集団は移動していた。
アメリカに着くといつも感じるこの乾燥した空気感とこの香り、日本では嗅ことは無いアメリカの独特の香りがある。その香りを嗅いだ時いつも、あぁアメリカにまた来たんだと感じさせてくれる、アメリカの香りに混じって炭が焼ける匂いと煙の香りがした。

集団の先頭付近から歓声がする。アメリカンな叫び声だ!まるで映画のワンシーンをライブで見ているそんな気持ちになる。また、火と煙も見える。先頭は大きな駐車場にいる。

火と煙が近づいた。緊張はしていたが恐れの混じった緊張ではなかった、これから起こることを「やってやる!」という気分が体全体をバリアーのように覆っていた。そんな状態だった。

炭はいこっつていた。「いこる」とは関西地方の「方言」だったのに気づいたのはごく最近のことだ。炭が燃えて赤くなっている状態を「いこる」というのだ。幅1.5メートル、長さ10メートルの炭火は、いこっつていた。ファイヤーウォークのために用意されたセットだ。1000人以上の人を「さばく」ためにこのセットが数10レーン並んでいる。
上空からみると赤い帯が一本の捻れた帯ように見えた、ところどころから炎と煙が舞い上がるその様は大きな火龍かりょうを思わせた。

瞬間だった、熱いという感覚は無く、無感覚だった。歩き終わった後足に水をかけられたのが心地よかった。
はじめてのファイヤーウォークの体験だ。
ボランティアの外人たちが一斉にかけよって、ハイタッチとハグをした、外人の体幹は強い、ハグで窒息するかと思う、今まで感じたことの無い達成感が体を覆い込んでいた。涙が吹き出した。
「なんでもできそう」
自分にはまだ開花していない能力がある。
親から授かったこの命を大事にしていてよかった。
そしてこんなスゴイ可能性がある命を両親から授かったことをあたらめて両親に感謝した。

Unleash the Power Within DAY1

同じようなレイヤーで成功したとかうまくいったとかを
自分の評価として受け止め、それをもっと高くする。
もっと評価を高めよう。と「頑張る」のには「限界」がある。
と最近特に思うのです。


あまりにも、忙しすぎたり。
あまりにも、理不尽な扱いをうけたり。
あまりにも、めんどくさい話に巻き込まれてしまったり
「頑張っても」評価されない。
あまりにも、あまりにも、と感じてしまうと


とたんに、
そこまでやる必要性を自らが感じなくなってしまう。

「俺がやりたいのはこんな仕事では無い」と思うかもしれない。

面白そうに見えたプロジェクトは色あせてきて。

ただ、失敗しないように、問題が起こらないように、
と願うようになったら・・・・

それは・・・・超危険信号だと

ただ人の評価のためにやるのでは無く。
ただ栄光のためにやるのでは無く。
ただお金のためにやるのでは無く。

自分が何の為にそれをやるのか?
そのフォーカスがないと。

本当のプロにはなれないと思うのでした。
自分に与えられた環境を精一杯に受け止めてその時その時を大事にして、取り組む。

今、あなたのいる環境はつらく、逃げ出したい。
前向きに向かい合う力をそいでしまう。

そんなふうに思うかもしれないけど。

「にげだしたい」
「早く処理したい」

という恐怖の感情をささやきを優先してしまうと
あなたはその大事な一瞬を台無しにしてしまっている。

また、別の機会など、いつまでまっても訪れないのだ。


時間が無い。納期が迫っている。予算も無い。
そんななかでクリエイティブな発想を優先させるのは、
クレージーなことだとだれもが思うだろう。
いまかかってるプロジェクト、超ややこしい。
だから、無難な方向に沿って無難に卒なくやることだけでも大変な状況
こんな困難な環境でもクリエイティブな発想を大事にして、それを実現化させる
には、爆発的な情熱、エネルギーが必要になり。
強いリーダーシップをキープしないと本当に大事なものに「フォーカス」する努力を怠ってしまい。
ついつい感情に流されて行動してしまう。
優先順位の決め方に合理的ではない判断をしてしまう。
むしろ、整地された状況でクリエイティブを発揮するより。
居心地の悪い、混沌とした逆境だからこそ、
クリエイティブな発想が生きてくるのだと思う。