風が吹いた。
かっちはすーっと息を吸い込む。
鼻がつんとする。
姿勢がしゃんとなる。
「やった、もうすぐ、雪が降るぞぉ~!」
1月生まれのかっちにとって、
冬は大好きな季節の到来を意味する。
今年の雪下ろしは手伝わせてもらえるのかな、とかっちは思った。
まだ小さくて危ないとのことで、父母からの了解が出ない。
かっちは2階の屋根から雪下ろしを手伝う
姉や兄たちが羨ましくて仕方がなかった。
「今年こそ、私も!」
そう願いながら庭のナンテンをなでていると、
目の前に白い犬の姿が飛び込んできた。
「マリア―、たっちゃんのおばあちゃ~ん!」
かっちは大声で叫んだ。
「あら、かっちじゃないの。こんにちは。」
白髪を後ろできちんと結い、着物を着た女性が優しく声をかけた。
「マリアもこんにちは。」
走り寄り、かっちはマリアの頭を撫でた。
マリアと呼ばれるその犬は、
一つ年上のたっちゃん家の飼い犬だ。
中型犬で血統書こそないが、
雪のように白い毛色をしていて、愛らしい顔をしている。
気立ての優しい犬で、近所の子供たちの人気があった。
「たっちゃんのおばあちゃん、今からマリアのお散歩に行くの?」
「そうよ、かっちも一緒に行く?」
「うん!行きたい、行く!!」
かっちはお母さんに出かけてくると伝えると、
さっそうとマリアの首の紐を持った。
かっちはマリアとたっちゃんのおばあちゃんが大好きだ。
おばあちゃんは会うといつも散歩に連れて行ってくれる。
お家でおばあちゃんお手製の美味しい和菓子を
ご馳走になるのも楽しみのひとつだ。
かっちのおじいちゃんとおばあちゃんは他県に住んでいた。
そのため、かっちはおじいちゃん、おばあちゃんと
一緒に住んでいるお友達が羨ましかった。
そんなかっちの心情を知ってか、
たっちゃんのおばあちゃんは
いつもかっちに優しく接してくれるのだった。
マリアは口数の少ない犬だが、
とても心の優しい犬だった。
三軒隣のたっちゃんの家を通るとき、
かっちは必ずマリアに声を掛ける。
「マリア、おはよう。元気にしてた?」
「おはよう。今日も来てくれたの?ありがとう。」
そう言うとマリアはいつも嬉しそうに白いしっ尾を振り、
かっちと遊んだ。
ある日のこと、マリアが妊娠した。
当時かっちの住む地域では、
夜に飼い犬を放すという習慣があった。
外に繋がれていたマリアは
ふらりと立ち寄った犬と恋に落ち、
子を宿したのだった。
「マリア、どんな赤ちゃん産むのかな?」
「楽しみだねぇ。早くみたいね。」
「マリアー、元気な赤ちゃん産むんだよ~。」
かっちは仲間たちと毎日マリアを励ましに行った。
「ありがとう。」
マリアは日に日に母親らしい顔つきになり、
優しげに子供たちに微笑んだ。
マリアの出産の日がやって来た。
子供たちが家々を駆け回り、
総勢7名でマリアの出産を見守ることとなった。
犬の出産はたいていの場合
母親が興奮するため、
多くの人に囲まれて
出産をすることなど考えられない行為だ。
ましてや騒々しい子供たちの周りでは無理がある。
しかし、マリアの場合は違った。
マリアにとって、子供たちは家族だったのだろう。
うなったり、牙をむき出しにすることもなく
マリアは出産の光景を見せてくれた。
「私が前で見る!」
「だめぇ、わたしぃ!!」
我先にと見ようとする子供たちの中で
マリアは辛そうな顔を浮かべ、
ときにうぅーとうめき声をあげた。
「マリア、頑張れ。」
「マリア、死ぬなよ~!」
「マリア、もう少しだよ。」
黄色い喚声の中で、
マリアは5匹の赤ちゃんを産んだ。
3匹の茶色のブチ犬。
真っ黒の赤ちゃんが1匹、
そしてマリアと同じ白い犬が生まれた。
「わぁ~、可愛い。」
「目ぇ、開いてないね。」
「マリア、おめでとう。おめでとう~。」
子供たちが口々に声を掛けると、
マリアは生まれてきた子どもたちを
愛おしそうに舐め、
乳を与えた。
「マリア、すごい、頑張ったね。
すごい、すごいなぁ。」
かっちは何度も何度もマリアに囁いた。
マリアは優しげにかっちを見つめた。
その表情は聖母マリアのようにかっちには思えた。
出産後、マリアは言った、
「母になれて、私、とっても嬉しいの。
赤ちゃんがこんなに可愛いなんて、
産まなければ分からなかった。」
マリアの生涯において、
このときほど幸せな瞬間はなかっただろう。
かっちはマリアから
優しさと命のはじまりを教えてもらった。
それから2年後、
マリアに悲劇が起こるとは
まだ誰も知らなかった。
(つづく)
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