1月23日、東京・有楽町朝日ホールにおいて、全国老人福祉施設協議会(老施協)主催による「看取り介護実践フォーラム」が開催された。(ケアマネジメントオンライン)

現在、本人も家族も望まない終末期の延命治療や過剰な医療の介入が社会問題化し、特別養護老人ホーム(特養)においては退所者の6割強が死亡退所であり、特養の半数近くが看取り介護を実践している。そんな現状の中、特養においては、自立と尊厳を守る「ケアの完成」としての看取り介護の確立が大きな課題となっている。今回のフォーラムでは、特養の現場で先進的に実践してきた施設の医師、看護師、経営者、家族、それぞれの立場から、特養での看取りのあるべき姿を探りつつ、国の政策のあり方についても話し合われた。

なお、同フォーラムは、1月31日札幌、2月17日熊本にて、同テーマで行われる。

■特養常勤医師の立場から(芦花ホーム 石飛幸三氏)

「“老衰=自然の摂理”をそれぞれの立場で支え、迎える“平穏死”」
特養では、意識がほとんどなく胃瘻を増設されて寝たきりで過ごす高齢者や、誤嚥性肺炎を起こして病院に送られて、すぐに胃瘻をつけられて帰ってくる高齢者が多く見受けられる。医師は、延命治療のない時代につくられた刑法「保護責任者遺棄致死罪」に縛られ、その人の人生を考えずに「生物学的な死として捉える」などが影響しているのではないか。しかし、老衰の体にとって、胃瘻で過剰な栄養を入れることは肺炎を引き起こすなど、本人に苦痛を与えかねない。安らかな看取りとは何かを改めて考え直す時代になってきていることを痛感している。
当施設でも、かつては食べさせることがノルマとなり、誤嚥性肺炎を繰り返していた。しかし、今は医師から胃瘻を勧められた高齢者でも、適切なケアにより、本人の意志を尊重して口から食べる日々を送り、穏やかな最期を迎えている。救急車での搬送も減った。それが可能になったのは家族自身の意識、施設との信頼関係、親の死を受容できるかにかかっている。終末期は一人ひとり違うので、家族、介護職員、看護職員、医師がその都度、本人の希望を叶えるために、今、どうするのが一番いいのかを話し合う、その過程が大切だ。看取りは入所のときから始まっている。入所者がどう生きたか、どうかかわってきたかが結実する。

■特養施設長・看護師の立場から(マザアス東久留米 松澤雅子氏)

「信頼関係が築けないままの看取りにどう対応するか」
マザアスでは、医師との連携により、平成7年開設初年度から、看取り介護を実践してきた。めざすのは、家庭的な環境づくり、その人らしい暮らしの実践、地域に開かれた風通しのよい環境づくり。入所して数年、穏やかで、居心地のよい暮らしが送れると、看取り期にも不安感や孤独感が少なく、人間らしく逝くように感じる。しかし、最近では、2年未満で死亡退所する人が増加。医療的ケアを抱えるなど要介護度の高い入所者が増え、十分な信頼関係が築けず、元気な時の様子もわからずに看取りが始まってしまう傾向にある。今後は、他機関との連携、地域や家族との情報交換・連携、「自分らしく生き、逝く」を考える文化の発信、「内部な環境・体制・発送の転換」が課題だろう。

「Aさんの最期、職員と家族の思いは通じていた」
98歳、体調不良で入居し、100歳で死亡。家族は、無理な延命はせずにマザアスでの最期を希望。入所当初は体調の低い状態で安定し、Aさんらしい暮らしを維持。肺炎を起こして入院治療を勧めるも、ホームでの点滴を希望。嚥下機能が低下してゼリーでむせた時も、多職種の職員で飲み込み調整ができた。本人も食べよう、生きようとする意欲を見せ、家族との会話を楽しむ日々が続いた。翌月、再発熱するも入院はせず。家族の意向がしっかりしていて、穏やかな時間を過ごすことに徹した。生きようとする命と精一杯向き合う日々。職員と家族の思いは通じていた。実践を通して見えてくるのは、死は「その日までどう生きるか」。死は日常生活の延長上にあり、日々の暮らしぶりの質が問われるということ。

■政府の立場から (厚労省老健局 高橋謙司氏)


「特養での看取り、一緒になって考えていきたい、」
14年目を迎える介護保険制度。しっかりと持続可能なものにしていくために、重点化・効率化が求められる。地域資源の中での「特養」には、その人らしい最期、看取りの場としての役割が求められている。
重度の重点化として、特養の新規入所者は要介護3以上。看取りは、医療の領域を超えた状態で、家族や本人が希望すれば、希望に添ったケアが叶えられる。その条件としては、医師の診断、しっかりとした介護計画、説明ケア、看取りの指針、職員研修などが必要。看取り介護を実施している特養は現在7割弱に達しているが、約9%で実施予定がなく、2割で条件が整っておらず、ケアの総合力が試されている。利用者、家族への情報提供、お互いに話し合うことが重要だろう。国でも、選択肢のひとつとして、平成18年から一定の加算で応援。一緒になって考えなくてはいけないと思っている。

■研究者・家族の立場から (全国高齢者ケア協会理事長 鎌田ケイ子氏)


「生活の場である特養こそ“看取り”にふさわしい」
長年、老人看護研究に携わり、生活の場である特養こそ「看取り」にふさわしいと仮説を立て、実態調査で証明。さらに、特養で「平穏死」を迎えた母の姿を見て、その思いを強くした。要介護5(認知症、在宅酸素)での入所。食事量が400kcalとなり、その後、一切食べられない、飲み込めない、吐き出す、呼吸不全、昼夜逆転と苦しい状態に。やがて、安らかに赤ちゃんのような寝姿になり、3日後に亡くなった。死は非日常で、生と死の境があると思っていたが、まさに生活の中にある。長生きをしたからこそ与えられた幸せだと感じた。人間には死の段階に入ったら、苦しまないで死ぬしくみができている。自然の摂理に任せることで、平穏な最期がある。それは、「生かすための」病院ではできないことだ。

「特養での看取りの絶対条件は“看護と介護の連携”」
医師が常駐しないホームであるからこそ「平穏死」が可能になる。家族やスタッフの大きな不安、後悔のない看取りをするための絶対条件は、介護と看護の連携、意思統一ができていること。本人の変化を一番わかっている看護師が、家族や医師から信頼されること。看護師の責任は重く、専門職としての自立性が求められる。そして、24時間身近に支える心のこもった介護がベース。私自身、望んだ最期を迎えられたこと、誤嚥のある中での介助に心から感謝している。「終わりよければ全て良し」が一番大事。特養が大きなモデルを示し、広がってくれることを心から願っている。

■特養経営者の立場から (マザアス理事長 高原敏夫氏)

「特養での“看取り”は当然、しくみ作りが必要」
私自身は、小学生時代に、医師も看護婦も立ち会わず、祖母を親戚中が集まって家で看取った経験と、1984年、勤務先の若い職員が、亡くなる前夜に寂しがる女性高齢者と添い寝をするという経験をもつ。特養での看取りの黎明期は1990年代。1998年に特養の3割が「看取りを心がけている」と報告。2000年の介護保険導入と共に看取りがやりやすくなった。2006年、病院での人工呼吸器取り外し事件が起こったが、介護保険の「看取り介護加算」、老施協などの「看取りのための指針」が出されたことで、やりやすくなっている。
看取りは、職員が家族に信頼されるようになると増える。これから10年先を考えて、特養を看取りの場と考えるしくみ作りを考えるべき。そのためには、かわっていくケア内容への対応、医療強化、職員配置、看取り評価などが必要だろう。また、1人で在宅介護をがんばっている人への支援も考えるべきだ。その一方で、高齢者も、家族も、早い時期から自分の最期を明確にしておくこと。これから10年先、看取りをやるのは当然。ケアの質を高めていくことをしっかりと議論していかなければならない。

■シンポジウムの発言から

<高橋謙司氏>「特養が地域包括ケアを支える存在に」
特養での看取りは、地域包括ケアシステムの中で最期の安心を与えている。施設の皆さんががんばっているからこそ、最後までがんばって自宅で居られる。入所される方に質の高いケアを提供するだけでなく、特養を拠点に地域ケアを支えていくという社会ニーズが高まっている。
入所希望者は、一定の尺度で、より困っている人を優先させていくが、単純に認知症の度合いや要介護度だけでは図れないだろう。一定の配慮はしていきたい。

<石飛幸三氏>「医師が診断書を書かない問題について」
医者が診断書を書かないため、自然死が不審死になってしまう。判断できるのはずっと診てきたかかりつけ医の役目。24時間以内に診断書を書かなければいけないというのは誤解で、不審死の疑いのある場合のみ。状況を把握しているかかりつけ医なら、24時間以降に書いてもOK。

<鎌田ケイ子氏>「看護師にがんばってもらいたい」
医師の考えも変わっていかなければならない。死亡診断書を書かないと警察の問題になる。ホームの看護師が、いろいろなタイプの先生と信頼関係を築いていけるか。ご苦労はあろうが頑張ってほしい。
特養では、看護職は介護職を支えなくてはいけない。看護師は医者よりも本人を知っている。介護の足りないところの判断が生活の中でできる。看護師の専門性が発揮できる。看護師が介護士から尊敬できる関係が理想。

<高原敏夫氏>「医師が協力してくれたからこそやってこられた」
介護保険の中に、専門職と家族が話し合えるようになったのはとてもよいことだ。当施設では、医師が協力してくれたから18年やってこられた。看取りをやってくれるいい先生を探すことができた。芦花ホームでは、医学部1年生に、食事介助、オムツ替え、入浴といった介護体験を1週間させて、将来の基盤作りをしている。