土方歳三 | ナツレのツレヅレなる何か

土方歳三

目この間、拝島大師の天然理心流演武 を見て~べーっだ!ちょっと新撰組でお気に入りの土方歳三(ひじかたとしぞう)を描きたくなってたところに、NHK大河「龍馬伝」でも新撰組が登場したのでカキカキアート


テレビ龍馬伝ではお笑いトリオ・ネプチューンの原田泰造(はらだたいぞう)さんが新撰組局長近藤勇(こんどういさみ)役に配役されていてちょっとビックリ・・・(今んとこドラマ内ではまだ正式に名を明かしてませんが長音記号2長音記号2

ちなみに土方歳三は松田悟志(まつださとし)さん、沖田総司(おきたそうじ)は栩原楽人(とちはららくと)さん長音記号2だそうですニコニコ


でも土方さんの写真みながら描いてたら、新撰組といって定番な浅葱の羽織姿(あさぎのはおりすがた)ぢゃなく・・・洋式軍装姿にあせる
個人的に鳥羽伏見以降の洋式軍装に改めた後の土方歳三さまをヒイキにしてるので自然と長音記号2ラブラブ!

マンガ『銀魂(ぎんたま)』の土方十四郎(ひじかたとうしろう)のイラストぢゃんとか言わないようににひひ


ナツレのツレヅレなる何か-土方歳三 蝦夷共和国 陸軍奉行並 土方義豐 hijikata samurai 新選組 新撰組 shinsengumi

土方歳三(ひじかたとしぞう)

実名は土方義豐(ひじかたよしとよ)
武蔵国多摩郡石田村(現在の日野市)の人。

近所の天然理心流(てんねんりしんりゅう)道場に顔を出していた縁で近藤勇(天然理心流剣術宗家四代目)と知己を得、天然理心流にも入門した。

文久3年(1863)浪士組に応募し近藤勇とともに京都へ赴きその片腕として活動を供にし以後、浪士組が壬生浪士組、新撰組と名を変え発展していく中活躍した。
新撰組発展の抗争と粛正の中で近藤勇に次ぐ実質ナンバー2となり「鬼の副長」と謳われたという。


土方は合理主義者で早くから刀剣のみではこの先危ういと新撰組自体の西洋軍備への切替えを考えていたというが、慶応4年(1868)鳥羽伏見での敗北後は自ら洋装に改め本腰を入れて洋式軍学を取り入れた。

その後、榎本武揚(えのものとたけあき)の蝦夷共和国(えぞきょうわこく)へ参加、陸軍奉行並箱館市中取締裁判局頭取となる。


土方は近代戦指揮官としても天賦の才があったらしく、松前城攻略や二股口の戦い、失敗したがストーンウォール号(甲鉄)強奪作戦等の指揮で勇名を馳せた。

とくに二股口の戦いにおいては当時斬新な塹壕を築いて、進軍してきた数に倍する新政府軍を寄せ付けず連戦連勝。

増援を得て包囲すべく展開した為に兵力の薄くなった新政府軍本隊に逆に攻勢をかけ、軍監駒井政五郎を戦死させる等目覚ましい戦果をあげた。
結局、新政府軍は土方の指揮する二股口の攻略を諦め、別ルートで蝦夷共和国根拠地五稜郭(ごりょうかく)を目指したため二股口を放棄し撤退した。しかしこの指揮ぶりからも近代戦指揮官として十分な能力を土方が有していた事が伺える。


五稜郭防衛戦中戦死。享年35歳。蝦夷共和国の高級役職者中唯一の戦死者となった。


※当初ストーンウォール・ジャクソン号と掲載してましたが、ストーンウォール号の誤りでした(2010/06/22訂正)。



べーっだ!鳥羽伏見後の土方の言葉として長音記号2
「戎器、砲に非ざれば不可。僕、剣を佩き槍を執る 一に用いるところなし(じゅうき、ほうにあらざればふか。ぼく、けんをはきやりをとる いつにもちいるところなし)
と自分は刀剣槍で戦ったが用をなさなかったと率直に感想を述べています合格

このあたり若いこともありますが、権威主義に陥らない柔軟な思考の持ち主だった事が伺えますよネニコニコ


新撰組局長近藤勇の自首は土方も支持していたともいい、その処刑されたのを見て新政府に”義”がないと徹底抗戦へと突き進んでいったのだと個人的には解釈してますが、函館で散らすには惜しい人材でしたしょぼん

べーっだ!幕末ではこの土方のほか、江川太郎左衞門(えがわたろうざえもん)小栗上野介(おぐりこうづけのすけ) 、立見鑑三郎(たつみかんざぶろう)といった面々にも興味あるので機会(龍馬伝とかドラマで出てきて描きたくなるとか)あったら描きたいと思います音譜


右矢印『龍馬伝』に小栗上野介忠順さま出てきましたね音譜6/29にイラストupクラッカー



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