まだうつ病真っ盛りの頃に、大きな会社の名古屋支店で働いていて、駅から門までの沢山の人と歩く通勤途中に思いました。
「糖尿病や高血圧では常時服薬しているのを『当たり前』としているのに、精神薬を飲んでいることを後ろめたく感じないといけないのは理不尽だ」と。
(2024.09.09下書き)
丁度その頃にね、『寛解(かんかい)』と言う言葉を覚えてね、
私はその言葉に飛びついたのよ。
「うつ病でも良いじゃん」
「(精神)薬飲んでて何が悪い!」
高血圧の人が、心臓病の人が、糖尿病の人が、
薬を飲むことをやめろなんてアドバイスをされることなんてなく、
飲み続けることに罪悪感を持たされないのに、
何でうつ病の私が症状を抑える為に飲んでいる薬は良くないと言われ、後ろめたく思わないといけないんだ!と、毎日腹を立てていて、
飲み続けても良い理由を、
罪悪感を抱かなくても良い、
後ろめたさを感じなくても良い理由を、
ほら!こんな理由からだよと公に説明できる『何か』が欲しかったので、
『寛解(かんかい)』と言う便利な言葉は、本当に有り難く思いました。
でもね、よく考えて。
『寛解(かんかい)』って、
完治を目指さない、目標をズラす為の言葉なのよ。
あなたの病気(うつ病)は治らないから、薬を飲んで上手に付き合いましょうねって、
治らない前提の言葉だって気づいてますか?
薬を飲ませると言う大前提があり、
そこに誘導する為のキャッチフレーズは、
流石に流行を作り出す言葉のプロが作り出すだけあって
「これこれ!」と思えるような
便利な、嬉しい、有り難い言葉なんですよね。
抑うつ状態をうつ病と言う病気にさせて、
治らない病気だと思わせるのが、
精神医療の在り方。
それはなぜか?
薬を飲ませ続けて売り上げを安定的に得たいからです。
と言う目で見てみて。
他の病院のように、治らない患者さんに対して
治る為の工夫をしているか?
治る為の指導を行っているか?
工夫もなく、
もう少し様子を見てみましょう
と言う気休めの言葉を言い続けていないか?
【編集後記】
今朝は体中が筋肉痛で、え?なんで?と思っていたら、
昨日は豚の餌やりの日で、
小分けする為のバケツを忘れて牧場に行ってしまい、
20kgの餌袋3袋分をそのまま抱えて豚舎の窓口から餌を投入する無茶をしたんですよね。
いつもなら3回+残りくらいで小分けしてる餌を。
この階段に登って1袋と、
豚舎の右側にある窓から2袋。
雨が本降りにならないうちに済ませたかったので、取りに帰るのか迷って、袋のままやろうと決めて。
無茶な体の使い方をしちゃったな😓