お茶摘み、

梅採り、

田の草取り、

くるみの枝でドロムシ追い、

干し場の柱作り、

新たに広げた平らな空間の、

整地。

今年の農繁期も、
駆け抜けるように過ぎた。


(今年の雑穀。
 5月の雨不足&落ち葉のすきこみすぎ&キビ科にハリガネ虫がついて、
 ものによって3度蒔き直した。
 生育は全体バラつきがあって、残念だけど今年は例年に比べると不作な予感。)

 「今日なにすんの?」
で始まる朝。

子ども達のうちのだれかが作った朝ごはんを食べながら、
1日の予定を家族で出し合う。

その日やりたい作業、
畑、田んぼ、建造物、旬の作業、家事の分担、
出かける予定、
1日の流れを確認する、簡単な家族ミーティング。

「人いるならそっちいく。」
「オレ田んぼの方がいいな。」
「昨日手怪我したから、今日は残ってごはんとか洗濯とかやる。」

「全部終わって時間あったら、夜久々に映画観よっか。」

それからそれぞれ外へ出て、動き出す。



 先日笑’が、これからパンを焼くとご近所さんに話した時のこと。
ご近所さん曰く、
「笑’ちゃんの当番なの?」と聞いたら、
「その日やれる人がやるの。」と答えたそうで・・。

「その時できる人がする」というのは、
うちの暮らしの中にある作業や家事につく時の、
中心になる気持ちの向け方で、
先日8歳になった笑’も、
いつの間にかそう思う習慣がついた様子。
 


 家族みんなの「暮らし」のために、それぞれが動く。
自分のため、自分以外の家族=「人」のために。

その働きを
大人とか子どもとかの垣根もなく、
お互いに認めて、褒めあって、ありがとうを伝えて、よくやったねと労う。

それが私たち家族の中にある「労働」という感触だということを、
最近思った。

サラリーマンをやめてさらに、
宿をやめてさらに、
労働=お金というよりも、
お金は日々の働きの結果ついてくるもの、
みたいな感じだ。

子ども達には、
任せた仕事は、小さなことでも
貴方ならちゃんとできると信頼してるから任せているんだよ、と
折々の場面で伝えている。

誰がたくさんやったとか、
ラクだから得とか、大変だから損だとか、
つまらない。

そんな思考回路は必要ないと思う。




 田んぼの除草はもう入らないとのことで、
畑の方も、えごまの間引きと頂点取りが終われば
あとは畝間や畑周りの土手の草刈りに順番に入るのがメインとなって、

(間引き途中のえごま。間引きが終わったら、頂点をとって、脇芽を茂らせる。)

夏野菜は毎日の収穫を楽しみにして、
雑穀や豆が、葉が茂り実がつくのを待てばいい。


例年のように、
良い生育のものもあれば、イマイチのものもあるけれど、
農繁期を越えると、ひとまずホッとする。

あとは、おサルさんとウサコちゃん対策かなあ(笑)
ウサコちゃん、意外としつこい。

ハンターな猫たち、はやく大きくなあれ。