Vanishingな日記

ども、いんのんと申します。

Vanishingな日記へようこそ。

身の回りで起こった事つらつらと綴っていこうと思います。

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私いんのんがやってるバンド

<VanishingFlat の 情報>

メラメラNext Liveメラメラ

■4/5(木)
※日本クラウン主催のオーディション形式のライブです。
TAKE OFF 7 @渋谷
http://kox-radio.jp/to7-top.html  
\2,500 +1D
(ご予約頂いたお客様には\2500のところ\2000に割引致します!)
open/start 16:30/17:00
※我々VanishingFlatの出演は19:00~ 20分間

MySpace Japan

※VanishingFlatのmyspace

音源試聴できます。


※VanishingFlatのmixiコミュニティです。

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人の目

VanishingfFlat6年間の過去振り返るシリーズです

 

今回は音楽の事についての事を振り返りたいと思います

 

バンドは人と人が音を重ね合わせ作り出すものです

 

当然個人、個人の趣味志向も異なる訳で、時に歯車も噛み合わなかったりするわけです。

 

そしてリスナーもまた趣味志向が異なる訳でバンドの相対評価というものは実にアンバランスなものと言えるでしょう。

 

ひいきのバンドの新譜が出ていざ聴いてみたら、なんじゃこりゃ!と言う内容になっていた・・・なんて事は誰しも経験ある事でしょう。

 

それだけバンドは常に風雨にさらされ侵食され、時には崖から転げ落ち、川を下りローリングストーンと言わんばかりの危うい状態を纏っているものなのです。

 

VanishingfFlatにも当然その様な風が吹いておりました

 

それは時に嬉しくもあり、疎ましく思える事でもありましたが

 

つまりそれは何かと申しますとメンバーやリスナーの曲への感想でありました。

 

VanishingfFlatの曲は全曲私井上が作詞作曲を担当しております。

 

私自身ひいきのバンドも特には無く、ころころと音楽の趣味も変わるものですから、作る楽曲にも一貫性がありません。

 

当人としては今自分が楽しいものを生み出しているという意識があるのですが

 

相対的にみるとそれが決して楽しいものでもなかったりするのです。

 

リスナーは別に楽しくなければ遠のいて行くだけですが、メンバーはそうは行きません。

 

この曲は理解出来ない、つまんない曲だと不平不満が出て来ます。

 

当然バンドですからそう言った意見は日常茶飯事的に議論されていきます。

 

全員の意思を以って楽曲を作り上げるのがバンドとしての仕事であり美しさであると僕は一音楽ファンとして思います。

 

ですが、そこに寄りそってしまいすぎると調和という物を重んじてしまう結果新しい物が生まれなくなります。

 

リスナーも含んでしまうとさらにそれは不動のものとなる可能性もあります。

 

より多くの人の支持を得る目標が明確にあるのならばそこに重きを置く必要はあると思います

 

音楽性における顧客満足度の重視化とでもいいましょうか。

 

VanishingfFlatも一時そのような事で大変難儀した時期がございました。

 

「この曲はウけたからまた次回もやろう、あそこのライブハウスのマネージャーさんはあの曲が好きだからセットリストに組み込もう。」

 

人の目に合わすと言う行為がごくごく当たり前になっておりました。

 

しかし、私個人の見解と致しましては常々音楽の趣向も変わり次々新しい曲も生まれて来るわけです。

 

それを披露したいという衝動はあるにしろ、バンドで実際合わせて演奏してみらたハマらなかったり、ライブに組み込むには雰囲気を変え過ぎてしまったりと言った失敗もありだんだん消極的になり自重するようになりました。

 

逆に考えるとそれを蹴ってまでしてセットリストに組み込むまでの情熱すら無かった曲とも考えられますが・・・

 

人の目を気にしすぎて好きな音楽が出来なくなった時期が個人的にあったように思います

 

惰性でバンド活動は続けており、当然それでは何の魅力も無く人々からは見放される結果となりました

 

音楽性に限った事では無く自分の生活態度から派生していたものも起因していたでしょう

 

この世には果てしない数のバンドがあり、陰、陽の振れ幅を持っており、リスナー居て成立しております

 

何が正しいのか?何が間違いなのか?そんな事も分からずに今の状況があるのならば今を歌う姿を作品を披露すべき事が作り手にとって最善なのかと思います。

 

作り手(発明)は人の概念に合わすのではなく生み出す事が使命ですから。

ロック

先日は2012年から2014年までの猫と彼女との同棲生活の事を書いた

あまり過去の事は考えないし、思い出してもあんまりいい思いをしないのだが

まぁせっかくなので禊の意味も込めて洗いざらい書いてみようと思う

今回は2012年からのVanishingFlatの事を振り返ってみたいと思う。

当時のVanishingFlatはスリーピースバンドであった。

ある日SNSを通してメールが来た。

最近はあまりないがイベンターからのライブのお誘いのメールであった

テンプレの文を送るメールが大量に届いていた中

件のそのメールはバンドの楽曲を聴いた感想などが書いて僕の目に止まった。

やり取りをすると・・・

「当方のライブイベントに出て欲しい、TV番組をやっていてその番組にも出演出来る。」

と言う内容だった。

僕らは直接そのイベンターに会う事となった。

K県のS駅にあると言うイベント会社に向かい話を聞いた

音楽のマネージメントもやっているという会社だ。

S県のローカル放送局で音楽番組をやっていて、ライブに出演すればその番組で放送してもらえるという内容であった

ライブは合計で5回だか6回あり20分ステージと短いもので出演バンドが10組いる平日のイベントであった。

チケットノルマは記憶があいまいだが一回のライブで20人×2500円、即ち5万円だったような気がする。

合計25万だか30万のチケットノルマを背負う事になる。

バンドメンバーで話しあいそのイベントに出演する事にした。

ライブは月に1、2回あった

あまり集客も出来ず赤字続きとなった

途中のライブで当時のベーシストであるK氏が失踪した。

残されたライブはサポートベーシストを入れ(後にメンバーとなるC氏)ノルマは僕とドラムのA氏で負担する事になった。

ライブイベントの質はとても低かった、ジャンルの垣根は悪い意味で無く、正直なところこれと言った魅力が無くても金さえ払えば誰でもTVに出れる内容だった。

実際放送された番組を見ると、日曜深夜に無名のアーティストの演奏を30秒程度流しまくる番組であった。

この番組を果たして面白いと思う人はいるのだろうか?と思う内容であった。

詐欺のような内容である事は明白であったが、ライブは続く。

自分達で契約した内容であるし、気持ちを高めてライブに挑むしか他なかったが、この一件で僕はすっかりバンドに対するピュアな心を失ってしまった。

ポップロックの様なものが大好きで、そんな曲を作ってバンドをやってメジャーデビューがしたい。

そんな夢を描いていたが、もうやってらんねーよ!ってな精神状態に陥った。

だがしかしバンドを、音楽を止める気にはならなかった。

その理由には僕が昔一度音楽を止め半年間音楽をやらなかった時、再び音楽を始めた時に死ぬまで音楽は捨てないと誓った事があったからだ。

しかしそのイベント以降、今までの音楽活動とは違う方向性になったのは自分でも明らかであると思う。

それまでは作る曲も愛の歌や、情景を美しく象るような詩を重んじていたが

割とどうでも良い些細な出来事や直感的な詩を連呼する曲が多くなった。

要は変な曲が増えたのだ。

変な曲はとても分かり易い反応を貰えた。

ライブハウスの雰囲気が好きな人、ちょっと訳ありな人、バンドマンやライブハウススタッフから評価を貰えるようになった。

凝り固まった音楽性を捨て直感的なライブをする事も多くなった

幸いベースとドラムは音楽面で長けていたので、僕が酔っ払ってたり、欝になって自暴自棄なギターや歌を演奏しても何とか形にはなっていた。

その当時は脱ぎ癖がついておりライブですっぽんぽんになる事が多かった。

当時、ロックとは何か?と常に考えていた。

ライブで感情をあらわにする事、貫く事がロックだと思った、裸もそのひとつであると思った。

裸は一種の偶像崇拝のようなもであると考える。

そういうノリが好きな人は最大に盛り上がり、嫌いな人は最大の侮辱で持て成す。

裸になる事でだいぶ敵も作った。

身内には兎に角減滅され、長い手紙を貰ったり、叱責を受け反省の念も無いでは無かった

しかし自分の中のロックとの狭間にジレンマが生じた

僕は自分のロックを信じた

その日も酒に酔い、思うがままに発言し裸になった

が、身近な人にそれを否定され行き場の無い憤りを背負った。

帰りの電車で「ふざんけんな!」と叫びながら床を何度も殴った。

当然、周りはモーゼの十戒の如く道が開けた

帰り道、商店街に駐車されてる自転車を全て倒して歩いた

そして狭い道で僕の横スレスレで通り過ぎていったトラックに腹が立ちトラックをガンガン殴った

運転手は怒って出てきた。

喧嘩になったがフラフラの僕は成すすべなく寝技を喰らい身動きが取れなくなった

「謝れ!」と運転手が首を絞める

僕は死んでもお前になんぞ謝るかと思い「うるせぇ!」と叫び謝る事は無かった

とうとう意識が薄くなり死を感じたが、まぁ別にこのまま死んでもいいかと思ったし、思うほど死とは怖いものでもなかった

誰かが通報したかパトカーが6台程やって来た。

息が整った頃にはもう運転手は去っていた。

現場の状況を見て、どう見ても泥酔した僕に非があり、僕も相手には怪我をさせておらず、運転手も告訴しないと言って立ち去ったようだ。

その場で僕は警察の方に説教を受けた

「君の為にこんな大勢の人に迷惑をかけたんだよ。」そんな事を言われた。

パトカーの灯りがクルクルと回る光景を見ながら後悔した。

一台、また一台とパトカーは去って行った。

身元引き受け人が必要だと言う話になった。

そこへ偶然、当時ルームシェアをしていた友人が通りかかったので僕は声をかけた

警察官はルームメイトに事情を説明し引受人になってくれるよう促したが、ルームメイトはそれを拒否し僕を蔑んだ眼差しで睨みつけ立ち去った。

当然だ。

警察官が電話をして彼女が迎えに来てくれる事になった。

彼女を待つ間、警察官の方3人と話をした。

バンドをやってるんだと言う話になり

僕は即興で歌を歌った

歌う僕を見た3人の警察官の方のなんとも哀れな者を見るような眼差しが今でも忘れられない。

僕は決してスーパースターでは無いのだ。

そんな事があってからロックに固執する事は止めた。

好き勝手やって自分の身を滅ぼすのは別に構わないが、周りの大切な人や関係ない人にまで迷惑をかけるのは忍びないなと思った。

だったら別にロックじゃなくたって俺はいいよと思った。

この「ロック」と言うのはあくまで私観であって、こんなものロックじゃないと言う人も当然いると思う。

ロックミュージックは今でもカッコいいと思うし大好きな音楽であるが、僕はその日を境にロックである事を止めた。

その日の昼に僕は「ドラゴンクエスト博覧会」みたいなイベントに行っててクイズに正解して「勇者のバッチ」と言うのを貰ったが

翌日そのバッチを鞄の中から見つけて情けなくなって捨てた。

思い出すと反吐が出そうな程どうしようもない話であるし、未だに笑い話にする程の余裕もないが

確実に今の自分の人格を形成した出来事である事には間違いない事実である。

猫と彼女との3年間

あいも変わらず井上でございます

 

6年の沈黙を破りブログ等を再開した次第でございます。

 

ブログを休んでいた6年間に起こった事等を書いていきたいと思います。

 

クロノトリガーの如く、時をさかのぼり6年前、2012年は当時付き合っておりました彼女と同姓を始めた頃でございました。

 

猫を2匹飼っていた彼女との暮らし、家に帰れば猫がいる、あったかハイムが待っているといった塩梅です

 

猫との暮らしは実に良い物でした、無論彼女との暮らしにも満足していた訳ではありますが・・・

 

癒しの暮らしを送っておりました。

 

2年程経って一匹の猫の調子が悪くなりました。

 

腎臓が悪いらしく、彼女が昔からお世話になってる獣医さんの下に連れていきました

 

入院を勧められましたが、家から遠い事もあり処置を受けて家に連れて帰りました

 

それから数日後また調子が悪くなり僕は近所の動物病院に連れていったのです、その病院には僕の知り合いも勤めており評判も悪くなかったし、何より家から近い事が動物にとっては負担にならず良いのではないかと思っておりました

 

彼女が連れて行った獣医さんに連絡をとりその近所の動物病院の院長さんと連携をとって処置を施してもらいました

 

かなり危ない状況だったらしく一命をとりとめました

 

一週間ほど入院をする事になりました

 

毎日お見舞いに通いました

 

お見舞いに行くと猫は不安そうな雰囲気でした、抱きしめると弱々しい声をあげて少し安心するとゴロゴロと鳴いておりました

 

退院二日前に病院から電話がかかってきました「お亡くなりになりました」と。

 

僕は彼女にその事を告げて亡骸を引き取りに病院に赴きました。

 

冷たく固まった猫が横たわっていました。

 

僕がここに連れてこなければ、彼女があの時入院をさせていれば、普段からもっと健康状態に気をつかっていれば

 

と言う自分達の至らなさに悔いて涙しました。

 

それから役半年後彼女とは別れました。もう一匹の猫も彼女と共に去りました。

 

それからまた半年後、彼女とライブイベントで再開しました

 

区切りのついた事だったのでお互いに未練はなかったのですが、猫の事が気掛かりでした。

 

「猫はどうしてる?」と聞くと、数ヶ月前にがんで亡くなったとの事でした。

 

僕は「そっか」としか言葉が出ませんでした、家に帰ってももう猫は居ないし、もうどこにも二匹の猫は居ない事を実感しました。

 

しかし美談でありきたりではありますが、僕の胸には変わらず二匹の猫と彼女との楽しい想い出が残っているのです。

 

今は悔いる事も無く素敵な時間だったなと素直に思えます。

 

大好きな人と暮らす時間の大切さもそこから学びました。

 

時間が過ぎ、大切な人を失いそして大切な人と出会いました。

 

いずれはどんな人とも別れがやってくるのです。

 

だからこそ今ある全てを抱きしめたいと思うのです。

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