「相手(敵)」と「我々」との霊的交渉を考える。

 

差し当たって登場人物は、「統合失調症当事者」、「相手(敵)」、「我々」とする。

 

今まで、おもに「統合失調症当事者とその敵」および「統合失調症当事者と我々」の交渉について考えてきた。が、もう1種類の交渉形態がある。「相手(敵)」と「我々」の交渉である。

 

この交渉は、「相手(敵)」も「我々」も霊的な存在形態を核としていることから、その交渉も霊的手段となるであろう。

 

しかし、この交渉は、「統合失調症当事者」と「我々」の交渉よりはるかにアクセスが容易である。なぜなら、「統合失調症当事者」は、霊的だけでなく実体的存在でもあるからである。「相手(敵)」場合、その態様は霊的なのであるから実体を考慮する必要はない。

 

換言すれば、「統合失調症当事者」を覚知するには、霊と実体を掴まえなければならないが、「相手(敵)」の場合は霊体なのだから、霊的手段、例えば瞑想を鍛錬することによって、交渉が可能となるのである。

 

我々は、統合失調症当事者とともに、「相手(敵)」にもアクセスしなければならない。

 

 

統合失調症当事者と社会を守ろうとする社会的意志・霊的意志とは対峙する意志、つまり当事者と社会を害するような霊的・組織的意志が存在する。

 

そのような意志は、「死ね」、「殺せ」などと当事者の幻聴を通じてメッセージを送るという点において霊的であり、また当事者はしばしばそれを組織的意志として感知する。

 

この霊的・組織的存在の全貌を暴くのはおそらく容易なことではないが、私や我々自身の存在を省みることにより、同じ霊的態様である相手(敵)の存在も覚知していくことになろう。

 

 

 

 

霊的組織は霊的存在として在りそうである。

 

統合失調症当事者は、自分を監視している者を、しばしば組織的存在として覚知する。

 

人間・人類は、社会的動物といわれるが、それは生物的な社会的結合のみを意味するのではない。人間は霊的存在なのでもあり、ゆえに霊的にも結合し得るのだ。これが霊的組織の原型と解される。

 

統合失調症当事者は、この霊的組織を感知する。そして、霊的組織はしばしば恐ろしい外敵である。

 

しかし、生物界において、外敵だけではなく味方も存在するのと同様、霊界においても味方が存在する。

 

そして、統合失調症当事者が直面するのは、自己の内面世界の病的葛藤だけではないのである。外的組織どうし、すなわち当事者の敵と味方、この双方も争っているのである。