無頼派エレクトロ。

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坂本龍一さんが亡くなりました。

正直、実感が湧かず、違和感しかありません。

4年前、母を亡くした時もそうでした。

末期癌だったので覚悟はしていたし、母ともそのつもりで話をしていましたが、いざ亡くなってみると「えっ、本当に死んじゃったの!?」と狐につままれたような感覚にとらわれ、茫然自失したものです。

頭では理解していても、感情が追いつかない・・・

近しい人の死とは、そのようなものなのかも知れません。

 

それでも訃報から一週間余りが経ち、SNSに溢れる追悼の言葉、テレビの追悼番組などを見ていると、この状況に少しづつ適応しつつある自分を感じます。

慣れ、というんでしょうか。

だからといって、やはり僕の意識の中では、坂本さんはいっこうに故人らしくならないのですが。

 

多くの人がそうであるように、僕もまた坂本さんの背中を追うようにして生きてきました。

喪失感は、とても言葉では表現できません。

新潮文庫のCMに出演していた坂本さんを目にし、何をしている人なのかも分からぬまま「素敵なお兄さんだな!」と憧れを抱いた約40年前から今日に至るまで、僕の関心の中心には常に坂本さんがいましたから。

ある意味、実の親を亡くす以上の喪失感かも知れません。

(お母さん、ごめんなさい。)

 

 

音楽家としての坂本さんについては、後日、曲を紹介しながら業績を振り返りたいと思います。

今回語りたいのは、社会活動家(この呼称がふさわしいかどうかはさておき)としての坂本さんについてです。

ご存知のとおり、環境問題に、平和と民主主義の問題に、東北の被災地支援に、音楽活動の片手間とはとても言えない熱量で取り組んできたのが坂本さんの人生でした。

僕にとって社会活動家としての坂本さんは、ある意味、音楽家として以上に羅針盤のような存在だったかも知れません。

 

個人的な思い出話をひとつ。

2012年8月のある夜、当時僕が所属していた渋谷川ルネッサンスという団体のミーティングで、坂本さんが代表を務めている森林保全団体・More Treesのオフィスをお借りしました。

More Trees副代表・Iさんが渋谷川ルネッサンスの副代表も兼任していたことから、時折オフィスをお借りすることがあったのです。

僕がMore Treesを訪れたのはその夜一回きりでしたが、感慨深いものがありました。

坂本さんのピアノ曲が静かに流れていましたっけ。

Iさんに「教授は今夜どうしているんですか?」と尋ねると、「国会前にアジ演説に行っている」とのこと。

折しも、脱原発デモの盛んなりし頃。

坂本さんは国会前で行われているデモで演説し、さらには「ニュースステーション」に出演して脱原発を訴えたのでした。

Iさんの言葉を聞き、僕としてはなんとも申し訳ないような、うしろめたいような気持ちにかられたものです。

なんせ、坂本さんが国会前で頑張っている真っ最中に、僕たちは坂本さんのオフィスでお菓子を食べながら談笑しているんですから。

同時に、坂本さんの情熱に間近に接して身震いするような感覚も抱きました。

あの夜の申し訳なさ、うしろめたさは今でも僕の心の片隅に残っており、ともすれば社会の現状から目を背けたくなるのを「見て見ぬフリするのか?」と問い質してくるのです。

 

 

音楽家が社会的な発言、とりわけ政治的な発言をすることに対して、「音楽に政治を持ち込むな」といった反応が示されることが多々あります。

同調圧力の強いこの国では、政治のように賛否が分かれる事柄へのアレルギーも強いのでしょう。

しかし、坂本さんはこんな言葉を残しています。

 

政治や社会を考えることは立場に関係ない。生きていれば皆すること。それは日本でも当たり前にすべきだ。

 

例えばBTSやビリー・アイリッシュなどを見ても分かるように、アーティストが政治や社会と積極的にコミットメントしようとするのが昨今のグローバルスタンダードであるわけです。

坂本さんとしては、世界の潮流から取り残されている日本の文化状況へのもどかしさがあったに違いありません。

だからこそ、「世界のサカモト」自らが先陣を切ろうとした側面もあったのではないでしょうか?

 

「この社会の一員として考え、行動する」

思想信条以前に、それが坂本龍一という人の生き方だったのだろうと思います。

 

また、こんな言葉も残しています。

 

なんでこんなに日本は言いたいことが言えない国になっちゃったのか。何が怖くて皆言いたいこと言えないのか。皆もっと言いたいこと言おう。個人もミュージシャンもメディアも皆そうですよ。

 

昨今、安全保障やエネルギー政策など国の根幹に関わる重要な事柄が、時の権力や大企業の意向だけで勝手に決められる社会になってしまいました。

そして、それに対して「触らぬ神に祟りなし」とばかりに口をつぐむ人々・・・

 

 

2015年8月30日。

国会議事堂前で行われた安保法制反対デモの群衆の中に、僕はいました。

病身を押して応援演説に駆けつけてくれた坂本さんを、僕は決して忘れません。

どんなにか心強く、どんなにか(坂本さんが)誇らしかったか。

僕はふと、

「東ニ病気のコドモアレバ行ッテカンビョウシテヤリ・・・」

という宮沢賢治「雨ニモマケズ」の一節を思い出したものです。

東北の被災地へ、アフリカの地雷地帯へ、温暖化が進む北極の海へ、デモの現場へ、ありとあらゆる場所へ「行ッテ」自らの五感で確かめ、自らの言葉と音楽で伝え続けた坂本さん。

僕は、有言実行の人・坂本龍一を限りなくリスペクトします。

 

 

坂本さんが、ご自身の人生についてはともかく、この世界の現状について悲痛な思いで旅立たれたであろうことは想像に難くありません。

坂本さんの少し前には、ノーベル賞作家の大江健三郎さんが亡くなりました。

大江さんもまた、平和と民主主義、そして原子力の問題に積極的にコミットメントしてきた表現者です。

僕が思想的に、いや、「人間がこの社会で生きてゆく」ということに関して、最も影響を受けた同時代人が大江さんと坂本さんに他なりません。

名声に慢心することなく、また権力におもねることなく、頑固なまでのひたむきさで社会と向き合う大江さんや坂本さんの姿勢は、この国の良心と呼ぶべきものでした。

昨今、戦後社会を牽引してきたオピニオンリーダーが次々と鬼籍に入っています。

「これからどうなっちゃうんだろう?」と危機感を抱いている人は少なくないに違いありません。

 

 

「坂本龍一のいない世界」をどう生きるか?

途方もない喪失感の中で、そのことを考え続けようと思います。

 

 

最後になりましたが・・・

坂本さんのご冥福を心よりお祈り致します。

どうか安らかに。