以前、この記事中でご紹介した友人が
先日、永眠されました
一時、危篤状態になりながらも
奇跡の退院が出来た時、会うことが出来て
その時の、彼女の、
しっかりとしたまなざしを
今でもはっきりと覚えています。
まだ40代でした。
大好きだった彼女。
彼女にはCRPSの事も話していたんだけど
「死ぬほど痛いのに死なないって辛すぎない?」と
忌憚の無い意見を聞かせてくれて
でもそれも嬉しかった。
そして
特に自分の命に対する思いが私ととても似ていて。
まだ病が発覚する前から、
子どもたちが成人して、親がいなくても生きていけるようになったから、もういつ死んでもいいと。
そして予後を悟ったときから、
積極的治療は希望されず。
医療費も、自分の命のために
みんなが7割以上出してくれるなんてもったいないと。
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生前の言葉通り
自分が入るお墓のことも全て準備されて
訃報連絡が入らないようにする手はずも整えて
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「あれ、そういえば、最近見ないね」って感じで自分がいなくなったことに気付かれるのが理想、って言ってたなぁ
死を表す言葉の中で「永眠」が一番好きって
棺にはお気に入りのパジャマを着て入りたいって言ってたなぁ
私もだよやっぱり気が合うね、
と泣き笑いをしたのがついこの間のことのようです
安らかに眠ってね
寂しすぎて
元ペイン主治医(緩和ケア医)にメールで泣き言を綴り
旅立っていった彼女に思いを馳せる日々の中で
「未来」
っていう言葉から受ける印象が
以前と変わったのに気付きました
今までは「自分の今後」という受け止め方でいたけれど、
そうじゃなくって、
「自分がいなくなった後も続くもの」
それが未来なんだなって。
未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行け