6/11(日)岡山市北区高松

この日のお出かけ

ダンナ様はチャリ。わたくし電車。

桃太郎線(←吉備線)備中高松駅

岡山に来たならばご挨拶2番手

備中高松城へ

歩くことは前提でない駅前パネル
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駅正面にロッカーあり

水攻高松城趾道てな略しすぎる石碑

ゴミ箱を隣に置くなー

どぼとぼ歩くと 史跡舟橋 とな

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城の周りの沼地に舟を並べ舟橋にし

攻めるときにはこれを使い

守るときは舟を撤去したと。

この橋は特に関係なさそ。

駅から徒歩10分

高松城趾公園 到着

入園無料。駐車場も無料。

自転車置き場なく街灯につなぐ。

プチ資料館も無料。

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ボランティアガイドさんか思ったら

話好きなあやしげオジにつかまり。

多少は説明できるが

聞きたいことには答えぬ系。

ここで時間を食い

雨が降り出すという。

ち。

ある意味水攻め。

これを↓

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こう表したらしい↓

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城跡を思わせるものはないけれど

かの有名な高松城の水攻めですから。

信長から中国攻めの命を受けた秀吉。

毛利方の防衛ライン七城を

次々落とすも高松城は攻めあぐね。

黒田官兵衛の策で

城を堤防で囲みましょ

ちょうど梅雨時、堰堤内は水で溢れ

城は水没。

もともと水が溜まりやすい地形らしく

1985年の洪水の時、こんなことに↓

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↑下は普段の様子。

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湖の孤城の城主は清水宗治 

毛利勢は手を出せぬまま。

そんな頃、本能寺の変

秀吉さん速やかに毛利と講話をまとめ

清水宗治、湖上で切腹、開城。

信長様の仇 明智光秀を討つべく

京へ全軍を取って返した

中国大返し

ここからよ、ここ地から帰ったのよ

さて。

本丸跡は蓮池

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清水宗治 辞世の句を刻む石碑と首塚

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秀吉がつくらせた供養塔。

首実検をした山にあったものを移設。

高松城水攻之図

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水没した城と小舟に乗ってきた宗治

山上から見下ろす秀吉

このアングル、なんとなくいい。

なかなか残酷な策ですがね。

つづく。