宇陀松山城 その1 | おもい腰あげよっ!!!
4/16(日)奈良 宇陀松山
又兵衛桜→ステキ町並み見学
いざ城へ
春日神社の参道入口からゴー
春日門跡だそうで
17世紀後半織田家宇陀松山藩時代に
再構築された櫓台だそう。
桜吹雪の中進む
幟で気分高まる
シダ植物と杉の中をずんずんと
映画アバターかと思ったわ
「秋山城跡」のご案内が。
もともとは南北朝時代の頃より
有力国人 秋山氏(宇陀三将の1人)の
居城だったことから秋山城と。
その後、秀長殿の領有となり
もろもろ改修、近世城郭へと。
杉とシダを抜けると
んんん、道路工事か
車で来られて便利になって
みなさまにもいらしてほしいけど。
なんだかな。
さておき
こんな切り通しを進むのは楽し。
お。
木が切り払われていい感じに。
ぐねった横堀
けっこう深く。
ダンナ様を立たせたらよかったわ。
いい感じの石段に見えるけれど
この辺から食い違い食い違いな虎口
パンフレットにも説明あるし
案内板も立っていて親切親切。
関ヶ原の戦い後、
福島正則の弟 高晴が入城。
秋山城から松山城となったそう。
その後、大坂夏の陣で
豊臣方への内通の疑いにより改易。
小堀遠州らによって破却、廃城と。
“高晴の旧臣は皆江戸へ、
百姓も忙しいので
普請人足が足りない”
と嘆いていたってよ。
石段も微妙に登りにくく
うまくおなおししてありますよ。
つづく。
しかし
パーカーの腰巻きがいけてなさすぎ