今さらながら、急にブログに書きたくなったことがあります
ちょうどこの『龍の座』が完成した頃の、展示会でのお話です。
ある日、私の勤め先のクリニックの院長先生と奥様が展示会に来てくださり、ちょうど私がお二人にいろんな説明をしていた時でした。
30台後半の、日に焼けた精悍な作業員風の男性が会場に入ってきたんです。
見た目はとても恐そうな方です
私たちのすぐ近くに来て、ブツブツ文句を言ってました。
「うるさいんだよ」とか、「俺は人を殺したことがあるんだ」とか
内心、『困った人がきちゃったな。すごく恐そうだし、どうしよう』と思いました。
以前私は総合病院でお仕事をしてたことがあり、その時は様々なクレーム対応をしていました。
時には椅子や机を蹴って怒鳴り散らす人とも、狭いお部屋で対応したこともありました。
その時の、言葉にならない恐怖がよみがえりました。
と同時に、『きっとこの方は必要があって、ここに来たんだ。多分、曼荼羅さんが呼んだはず』という思いも湧いてきました。
その時、一緒に出展されてた曽我さんがその方にいつも通りの笑顔で声を掛けたんです。
その曽我さんの勇気に、私は感動しました
本当に、笑顔で普通に対応されてたんです。
そのあとすぐに先生たちが帰られて、会場には恐そうな作業員風の男性と曽我さんと私だけ
そろそろお昼の休憩と思っていたタイミングだったので、自分の直感『この方は必要とされてここに来た』に従い、曽我さんと交代しました。
点々してる時と同じように、宇宙を信頼したんです。
決して、恐いのに『恐くない!』と自分の感情を誤魔化したのではなく、『恐いけど、宇宙をいつも通り信頼してみよう』と思ったんです。
その時にその男性と話したことは、とても不思議な感覚でした。
以前の私なら、思考をフル回転させて『ああ言われたらこう返そう』だとか、『下手に揚げ足を取られるような会話はやめておこう』と思ったはずです。
でも、当時点々歴2年半の私は、まず思考を手放しました。
頭の中は空っぽで、ただ心に沸いてくる言葉を伝えたんです。
その男性は発達障害を抱えていて、見た目とは全く違い、とても純粋で綺麗な心をしていました。
男性「すごく寂しくんだ」
私「どうして寂しいの?」
男性「だって、ひとりぼっちだから・・・
」
私「ひとりじゃないよ、いつも神さまが一緒にいてくれてるよ」
男性「どこに?」
私「この胸の中にだよ」
普通の人が聞いたら、きっと私を変な目で見たくなるでしょうね(笑)
男性「僕には障害があるから、嫌なことをしろって言われることがあるんだ。でも、僕は嫌なことはしたくないんだ」
私「じゃあ、しなくてもいいんじゃない?」
男性「それなら、何をすればいいの?」
私「自分の心がワクワクすること、それをすればいいんだと思うよ」
せっかく純粋で綺麗な心を持っているのに、その心を無理に隠すことはないと思ったんです。
その言葉で、その男性は可愛らしい笑顔を見せてくれました。
まるで子どものような、純粋な笑顔でした。
今、このブログを書いてて、自分でもよくこんな会話をしたなぁ・・・って思います
でも、その男性との会話は、自分との会話でした。
多分、この記事を読んでも理解出来ない方のほうが多いかも
だから、今まで書かなかったのかなぁ。
この世界は鏡の世界。
そのことが府に落ちてる方には、なんとなく伝わるかも。
私にとってその男性との会話は、自分を見つめ直す素晴らしい機会になりました。
誰でも同じ対応が出来るとは思いません。
私の対応が正しいとも思っていません。
同じ場面でも、対応した人が何を感じるかが大切なんだと思います。
そして、自分が感じたことを素直に行動すること、それが大切なんですよね。
出ていって欲しいと思えば、それを伝えればいいし、関わりたくないと思えば、無視をすればいい。
自分の感覚に素直に従うこと、それを宙奏曼荼羅は教えてくれました。
大切なのは、自分がどう感じてどう思うか。
これからも、私の人生は私にとって必要なことしか起こらない。
思考を優先させるのも間違いではないし、思考を無視して心のまま行動することも間違いではない。
ただ、自分のしたいようにするだけ。
もしも思考に縛られてばかりなら、たまには心に従ってみるのもいいかも。
その道しるべには、この宙奏曼荼羅はとてもいいです
あ、念のために書いておきますが、私は宗教には全く興味はありません。
求めるものは、全て自分の中にあるんです。
苦しい時にすがりたくなる神さまも、自分の中にしかいないと思っています。
今日のブログは、かなり風変わりな内容になりました。
それでも最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます
ちょうどこの『龍の座』が完成した頃の、展示会でのお話です。
ある日、私の勤め先のクリニックの院長先生と奥様が展示会に来てくださり、ちょうど私がお二人にいろんな説明をしていた時でした。
30台後半の、日に焼けた精悍な作業員風の男性が会場に入ってきたんです。
見た目はとても恐そうな方です
私たちのすぐ近くに来て、ブツブツ文句を言ってました。
「うるさいんだよ」とか、「俺は人を殺したことがあるんだ」とか
内心、『困った人がきちゃったな。すごく恐そうだし、どうしよう』と思いました。
以前私は総合病院でお仕事をしてたことがあり、その時は様々なクレーム対応をしていました。
時には椅子や机を蹴って怒鳴り散らす人とも、狭いお部屋で対応したこともありました。
その時の、言葉にならない恐怖がよみがえりました。
と同時に、『きっとこの方は必要があって、ここに来たんだ。多分、曼荼羅さんが呼んだはず』という思いも湧いてきました。
その時、一緒に出展されてた曽我さんがその方にいつも通りの笑顔で声を掛けたんです。
その曽我さんの勇気に、私は感動しました
本当に、笑顔で普通に対応されてたんです。
そのあとすぐに先生たちが帰られて、会場には恐そうな作業員風の男性と曽我さんと私だけ
そろそろお昼の休憩と思っていたタイミングだったので、自分の直感『この方は必要とされてここに来た』に従い、曽我さんと交代しました。
点々してる時と同じように、宇宙を信頼したんです。
決して、恐いのに『恐くない!』と自分の感情を誤魔化したのではなく、『恐いけど、宇宙をいつも通り信頼してみよう』と思ったんです。
その時にその男性と話したことは、とても不思議な感覚でした。
以前の私なら、思考をフル回転させて『ああ言われたらこう返そう』だとか、『下手に揚げ足を取られるような会話はやめておこう』と思ったはずです。
でも、当時点々歴2年半の私は、まず思考を手放しました。
頭の中は空っぽで、ただ心に沸いてくる言葉を伝えたんです。
その男性は発達障害を抱えていて、見た目とは全く違い、とても純粋で綺麗な心をしていました。
男性「すごく寂しくんだ」
私「どうして寂しいの?」
男性「だって、ひとりぼっちだから・・・
」
私「ひとりじゃないよ、いつも神さまが一緒にいてくれてるよ」
男性「どこに?」
私「この胸の中にだよ」
普通の人が聞いたら、きっと私を変な目で見たくなるでしょうね(笑)
男性「僕には障害があるから、嫌なことをしろって言われることがあるんだ。でも、僕は嫌なことはしたくないんだ」
私「じゃあ、しなくてもいいんじゃない?」
男性「それなら、何をすればいいの?」
私「自分の心がワクワクすること、それをすればいいんだと思うよ」
せっかく純粋で綺麗な心を持っているのに、その心を無理に隠すことはないと思ったんです。
その言葉で、その男性は可愛らしい笑顔を見せてくれました。
まるで子どものような、純粋な笑顔でした。
今、このブログを書いてて、自分でもよくこんな会話をしたなぁ・・・って思います
でも、その男性との会話は、自分との会話でした。
多分、この記事を読んでも理解出来ない方のほうが多いかも
だから、今まで書かなかったのかなぁ。
この世界は鏡の世界。
そのことが府に落ちてる方には、なんとなく伝わるかも。
私にとってその男性との会話は、自分を見つめ直す素晴らしい機会になりました。
誰でも同じ対応が出来るとは思いません。
私の対応が正しいとも思っていません。
同じ場面でも、対応した人が何を感じるかが大切なんだと思います。
そして、自分が感じたことを素直に行動すること、それが大切なんですよね。
出ていって欲しいと思えば、それを伝えればいいし、関わりたくないと思えば、無視をすればいい。
自分の感覚に素直に従うこと、それを宙奏曼荼羅は教えてくれました。
大切なのは、自分がどう感じてどう思うか。
これからも、私の人生は私にとって必要なことしか起こらない。
思考を優先させるのも間違いではないし、思考を無視して心のまま行動することも間違いではない。
ただ、自分のしたいようにするだけ。
もしも思考に縛られてばかりなら、たまには心に従ってみるのもいいかも。
その道しるべには、この宙奏曼荼羅はとてもいいです
あ、念のために書いておきますが、私は宗教には全く興味はありません。
求めるものは、全て自分の中にあるんです。
苦しい時にすがりたくなる神さまも、自分の中にしかいないと思っています。
今日のブログは、かなり風変わりな内容になりました。
それでも最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます