■負債総額は4,300億円


マスコミでも、ミナミの美人料亭女将、女相場師、女霊感師などと紹介され、金に群がる金融マンたちの実態が幾度も紹介されました。1987年4月頃から株取引を始め、自らも料亭と土地を担保に、銀行から多額の融資を受けて株式の売買を行うようになっていきました。
1988年夏には証券会社の支店長が、尾上縫の料亭に在駐するようになったそうです。
この頃はバブル絶頂期で、銀行はいくらでもお金を貸してくれた時代でした。
1988年(昭和63年)当時、尾上縫は2.270億円を金融機関から借りていました。

記録によれば、定期預金は400億円近く持っていたそうです。株取引で48億円の利益を得、金融債ワリコー(無記名・利子先払い)を288億円も購入し、55億円の金利を受け取っていたそうです。

[公式]新説あぶな絵伝

「ミナミの女帝」と呼ばれたのもこの頃でした。株取引も相場師気取りで大量売買を繰り返してました。
「恵川ビル」の一角には、祠の祭神・不動明王像の祭壇があって、入り口には大きな蝦蟇(ガマ)が控えていました。 そこでは週末ごとに「密業」という儀式が行われていました。
尾上縫の株の買い方は”神が乗り移った!神が乗り移った!”と叫ぶと、証券会社や銀行の幹部たちは床にひれ伏して尾上縫の御宣託を待つような方法でした。口の悪い証券マンは「拝み詣」と言っていたそうです。

「水が溢れている」と言えば水関連の会社株が売買されたそうです。こうして「お告げ」により銘柄を選び、銀行やノンバンクからお金を借受けて売買していました。

この頃の尾上縫の金融資産は2,650億円、負債は7,221億円の天文学的に増加してました。

資金に窮すると、かねて親交のあった東洋信用金庫支店長らに架空の預金証書を作成させ、それを別の金融機関に持ち込み、担保として差し入れていた株券や金融債と入れ替え、それらを取り戻す手口で資金を回するような詐欺行為をしていました。
やがて、1991年8月13日に詐欺罪で逮捕されるまでにノンバンクを含む12の金融機関からの借入金総額は、延2兆7,736億円、支払額は延2兆3060億円に達してました。
逮捕後留置所で破産手続きを行った時は、負債総額は4,300億円にもなっていました。これは個人としては史上最高額だそうです。巨額の融資を行った日本興業銀行は富士銀行(いずれも当時の銀行名)と合併し、みずほコーポレート銀行(存続会社は富士銀行)となり、また、東洋信金は経営破綻し、府下の複数の信金へ分割併合され共に現存していません。
警察の「なんでこんな馬鹿な事をしたんだ」との問いに、尾上容疑者は「皆からチヤホヤされ続けたかった」と答えたそうです。
28億円の利益が出た時点でやめておけば一生安泰でした。6,000億円の時にやめていれば、歴史に名を残す偉大な個人投資家の一人になっていたはずでした。
2003年04月21日、懲役12年(実刑)が確定しましたが、警察がとことん調べて無一文のはずの尾上縫は、数日後に7億円の保釈金を払って出所したそうです。
この金を用意したのが誰だったかは、今でも明らかになっていません。
(完)