今日という一日も終わろうとしている。
日曜日って、夕方6時にはなんだか一日が終わった気分にならない?
平日だったら、ここから夕飯食べたり、お風呂入ったり、
仕事から帰って来て、やっとこさ自分の時間を使える時間帯。
だけど、
日曜のこの時間はすべてが終わったかのように感じる時間。
今年に入って、脱ステなんだか、アトピーなんだか、
もの凄い壮絶な毎日を過ごしてきて、
たくさんの気付きがあって、
ああ、しあわせだとか、ああ、そうなのか!とか、
いろんな思いがあった。
カラダと心が繋がってるということは知ってはいたし、
そうだと思ってはいたが、
ああ、そんな風に繋がってたんだね、と、
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今日はメルマガを読んでいて、
手荒れのこころを読んでいると、
そのこころは色んなところに繋がっていて、
読めば読むほど、ああそうなのか、と。
あたしは、
つらかったあの子供時代に戻って泣きたいんだ。
中途半端に抑圧した気持ちを解放したいんだ、と。
誰かに聞いて欲しくて、
誰かに背中をさすって欲しくて、
だけど、
助けを求めても、叫んでみても、誰もいなくて、
そんな風に感じた、あの時の絶望感が常に心にある。
転んだのは自分なんだから、
立ち上がるのは自分の力で立つんだ!と言われて、
甘えちゃいけないとか、人のこと頼っちゃいけないとか、
迷惑かけちゃいけなんだとか、そんなことばかりを考えて生きてきた。
誰か、
何を差し置いても直ぐに飛んできてくれる人が欲しいと、心の底から願う毎日。
安心感で心を埋めたいと願う気持ちが大きくて、今はそれだけが欲しいと心から願う。
忙しいとか、
ちょっと待ってて、後でね、とか、
もう、そゆことを聞くのは嫌だなあ。
余計に悲しくなるから。
だから、誰にも言わずに、誰にも気付かれないように、寂しくないフリをして生きてきた。
今は、手放しで誰かに受け入れて欲しいと願うだけ。
だけど、
そんなことが通用しない年齢になってしまったもんだと、痛切に感じるんだなあ。
感情を素直に表現出来る人が現れるのを心から願おう。
そうだね、つらかったね。
って言ってくれる人を、探してみよう。
そしたら、この手が言うことをきいてくれそうな気がする。
動かない首が、辛くて痛い背中が、柔らかくなる気がした。
こんな弱くてなんだかわがままみたいで、
恥ずかしい話しだけど、書いてみようと思った。
そゆところからちょっとずつ、素直になれたらいいな、と思った。
だけど、あたしのことを知る人が、
いまあたしが泣いてて、とてtも寂しいと思ってることを、誰も知らない。
ブログには書けるけど、
現実はそんなもん。そんな日曜。
寂しいな、と思うのだ。