このブログ筆者の夫です。
彼女が体調を崩したため、彼女と相談してしばらくブログをお休みすることになりました。
おそらく1週間くらいと思いますが、その間パソコンはできないと思います。
ブログを楽しみにしてくださっている皆さんには申し訳ありませんが、どうぞご理解のうえ、
彼女の回復をお待ちいただけますよう、よろしくお願いいたします。

なおこダンナ


おはようございます。

今朝の5時45分です。

こんなに朝早く起きたのに理由があります。

実は、昨日ある人に迷惑をかけたことがあって、

それで凹んでしまい、今朝はあまり眠れませんでした。

自分のした事を反省し、手紙を書いたものを

夫にも添削してもらい、今日の速達で手紙を送ろうと思います。

謝罪文なんて、そうめったに書く機会がない私ですが、

こういう時は一応まともな謝罪文が書けるんだな・・・とちょっと安心しました。

手紙を受け取った人が、それで許してくれるどうかまだ分かりません。

でも、誠意でこちらが精一杯の謝罪の気持ちを持っている

というのが伝わればいいと思っています。


前置きはこの辺にして・・・

この間から書き続けている「ぐっとくるような歌を歌ってくれる友達」の

つづき2ですが、昨日はその友達(Miekoさん)がうちに遊びに来てくれました。

なんと、お手製のカレーを持って。

それがとっても美味しかったんです。

お料理が上手だし、ともかく作るのが好き。

そんなMiekoさんの手料理を食べてくれる素敵な旦那さまが

どうか早く現れてほしい!と思っています。

でも、今つきあっている人はかなりうーん・・・

という人なので、「それはもうきっぱり別れるべし」

とはっきり言っちゃています。


Miekoさんは今まで何度か歌って踊るライブを

やっていたことがあるので、「またライブでもやりなよ~」

とプッシュしたら、「そうだね~、じゃあ、今までやったライヴのDVD

持って遊びに行くよ」と言ってくれて、昨日それを一緒に見てみました。

そうしたら、Mさんのパワフルでセクシーな歌&踊り姿がとても魅力的で、

「今はエアロビのインストラクターをやっているけれど、

本当はシンガーをやりたいんだよね・・・」とポツリ。

じゃあ、歌をがんばってほしいと思って、私が持っているCDのうち、

私が好きな曲が入っているアルバムを6~7枚貸してあげました。

Miekoさんは洋楽も歌えるし、英語の発音がきれいだから、英語の曲も

いくつか歌ってほしいな、とリクエストしてみました。


そのライブ情報です。

2月19日(日) 17:30~18:30 

場所は、浜田山にある マヅカダンスカンパニー

入場料は、500円。

飲み物、食べ物持込、大歓迎

アットホームな雰囲気で、“powerful & sexy"なパフォーマンスをお送りします。

HPは、http://www.mazuka.net


もし井の頭線沿線の浜田山に行ってみたい!

(最近、駅前に成城石井もできて、かなり賑わっています)

という方がいらっしゃったら、ぜひぜひMiekoさんの歌を聴きに来て下さい!


好きな曲はサルサ、ラテン系の音楽が多いらしいのですが、

今回はバラードなども歌うから、と言っていたので、今からすごく楽しみです。

私は持病があるため、しばらくは仕事はできませんが、こういうな形で人のためになるような事を

“引き寄せ”の心理を信じて、今年一年はしていこうと思います。

皆さんも、「今こういうことを頑張っています!」ということがあれば、

それも多文化のうちに入りますので、メッセージなどでお知らせ下さい。

このブログで精一杯応援させて頂きます!




こんにちは。Naoko@多文化大好き、です。

今日は、旧正月ということで、中国、台湾、韓国、香港、ベトナム、モンゴルなどでは、

(日本のお正月のように)1年の中でふしめになる祝日のようですね。

私はこの中のどの国にはあまり行ったことがありませんが、

香港は行ったことがあります。

香港は、友人がいたので、美味しいお店ばかり連れて行ってもらい、

占いをしてもらったり、楽しい時間を過ごすことができました。


ところで、旧正月で思いだした人がいます。

まだ私が20代の半ば・・・まだ独身のときの話ですが、

一時期中国人のBF(もう名前も忘れてしまったのですが)がいました。

といっても、つきあったのは短かったのですが、

日本語教師をやっていた時に知り合った人です。

彼は、大連の出身で、実家は裕福とはいえず、

奨学金を使って大学に行き、その後ロンドンにある大学院に行きました。

その時に知り合った女性と婚約中という微妙な状態の中で、

私は彼に好意を持ちました。


彼は、1966年から76年に中国で起こった文化大革命のせいで、

ご両親とともに農家で子供時代を過ごしました。

文化大革命は、いわゆるインテリの人たちをおとしめようとしたもので、

多感な時期をそこで過ごした彼は、中国で生きていく明るい未来を

描けないで、ロンドンの大学院に自由を求めて過ごしていたのだと思います。

その時期に付き合っていた婚約者がシンガポール人だったので、

彼は結婚すれば、中国に帰る必要はなく、シンガポールで明るい人生を送れると

思っていたのでしょう。


彼とは、共通語である英語でお互いの考えや気持ちを語っていました。

たまたま、日本に語学留学をしていた時に、私と出会って、

彼の生い立ちもいろいろ聞きましたが、志が高い人だな、と思いました。

私がちょうどこの先どうやって生きていこうと迷っていた時期に、

いろいろとアドバイスをしてくれ、本当に優しくしてくれました。

もし、婚約者がいなかったら、結婚していたかもしれません。


そんな彼は、もう日本にいる意味をなくしたのか、

婚約者のいるシンガポールに去っていきました。

その後、数年は連絡を取っていましたが、

よくあるように、自然にその連絡もとだえました。

今彼はどうしているのだろう・・・と思いますが、

きっと自分で会社をおこして、成功しているだろうと思います。

旧正月と聞いて、ちょっとセンチメンタルな気分になりました。






こんばんは。

ずっと、この先自分は何がしたいのだろうか・・・

とこのブログで皆さんが書いている記事を読みながら、考えていました。

そうしたら、明確な答えが見つかりました。


プロフィールと自己紹介文を大幅に変えたり足したりしたのですが、

私が子供の頃は、自分の部屋に世界地図が張ってあって、

どこの国がどこにあるのか知りたくて、いっつもその地図を眺めていました。

そして、小学6年生のときに、「将来何になりたいか?」という卒業文集にも、

他の女の子たちは、「お嫁さんになりたい」とか「幼稚園の先生になりたい」

と書いていたのに、私は「世界一周旅行をしたい」と書きました。


父の転勤で4歳から9歳までオランダのアムステルダムという街で

暮らしていたとき、父の休暇が毎年とれて、その休暇を使って、

ベルギー、フランス、ルクセンブルグ、スイス、オーストリア、ドイツ、

イタリア、スペイン、ポルトガル・デンマークなど西ヨーロッパをあちこちと旅行しました。

その後、大人になってからも、イギリス、カナダ、アメリカ、バリ、シンガポール、タイ、

オーストリア、ドイツ、フランス、香港・・・と合計17カ国は訪れています。

私は子供はできなかったけれど、小学校の夢をちゃんと追いかけているじゃない?

と今になると思います。


大人になってから、ニューヨークに行ったのも、強い願いからでした。

まだ24歳くらいの頃、ある洋画を見て思ったのは、

その舞台になったニューヨークに住んでみたい!というものでした。

それで、私と同じように帰国子女だった前夫とお見合い結婚したのですが、

彼は子供の頃、ニューヨークに住んでいた時期があって、

結婚したら仕事でまたニューヨークに転勤するだろう、というお墨つきだったんです。

彼と結婚した大きな理由はそれでした。

そして、夢は1つ実現しました。


帰国後に離婚をしてからも、1人でサンフランシスコに行って、

現地に住む女性と知り合いになって、市内のあちこちに車で連れて行って

もらったり、彼女のおうちに遊びに行ったりして、すごく楽しいひとときを過ごしました。

そして、2000年を帰りの飛行機の中で迎えました。

そのときは、まさか自分がうつ病になるなんて、思ってもいませんでした。

でも、4年間のブランクを経ての社会復帰は、

コピー取りを1時間するような仕事をするという、厳しい現実でした。

そこから、パソコン・スクールに通って、WordとExcelを使えるようになり、

英語力を生かした仕事を選びながら、派遣社員や正社員として

働いていました。


ところが、価値観が全く違う両親とは心の交流がなく、

同居していたことでストレスがたまっていました。

そこにきて、何度もうつ病になって入退院を繰り返していた母の

話し相手として、まるで親子逆転のような生活が続きました。

真面目に働いていても先が見えないと思っていたら、私もうつ病になってしまいました。

それが11年前のことですが、一時期は本当にひどくなってしまい、

精神病院に入院しました。

そこで、まるでドラマで見るような恐ろしい状態の中で2週間過ごしました。

そのトラウマが毎年秋ごろになるとよみがえってきて、

体調を崩してしまうのです。


幸い、ニューヨークにいた時に、社会に普及しているカウンセリングの

ことを知っていたので、私も薬だけの治療では治るのは無理だと思っていたので、

家族問題が専門のカウンセリングを1年半、毎週通っていました。

そのおかげで、うつ病になった原因は、価値観の違う両親にありました。

子供の頃から、私だけ家族の中に溶け込めず、母とはいつも口喧嘩ばかり。

家庭は私にとって休まる場所ではありませんでした。

だから、結婚はしても、子供を産みたいと心から思ったことはありませんでした。

両親とうまくいかなかった私が、自分の子供とどうコミュニケーションを

とっていいか、わからなかったんです。

だから、子供ができなくて、今はよかったと思います。


ただ、両親と絶縁してから1年半が経った頃には、

両親のいい所だけが思い出されるようになり、

私も子供を育てたいと思うようになりました。

でも、体調が安定しない状態で養子は迎えられません。

だったら、調子がよくなったら、週末里親をしたいな、と思うようになりました。

そして、できれば、子供に英語で絵本の読み聞かせをしてあげたい、

とも思うようになりました。

今まで新しい道を開いてくれたのは、いつも英語だったからです。

最近、You Tubeで、好きな外国のミュージシャンのインタビューを

聴いたり、映画を英語の字幕をつけて見るようにしたり、

英語でフリートーキングをする先生と英会話の勉強をしたりと、

英会話の力をもっとつけたいと努力しています。


最近、引きよせを感じるのですが、自分が強く望んでいることが

叶うんだ、と不思議に思うようになりました。

右足首が捻挫したことも、再来週のハワイ旅行にひびいて残念ですが、

だけど、じゃあ、あまり足を使わないような計画を立てようとしています。

ハイキングやヨガはできなくても、ウクレレをやったらいいんじゃないか、

とか知り合いを作って、夫と私で料理を作っておもてなしができたらいいんじゃないか、と

ポジティブに考えるようにしています。

うちにある Mac, ipad, iphone をすべて持っていく予定なので、

ブログもハワイ旅行記を書いていくつもりです。

それでは、1年4ヶ月続いたこのブログですが、

これからも皆さんの役に立つこと、面白いと思うことなどを

書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。










こんばんは。

先ほど、読者登録人数が99人になったと書いていましたが、

よく見たら98人でした。

こういうトホホなところがあるのが私です。

どうもすみません。

100人まではあと2人です。

読者登録、よろしくお願いします。

こんばんは。

ずっとこのブログを読んでくださって方なら、覚えていらっしゃる方も

いるかもしれませんが、読者登録が100名になったら、

100人目の方に何かプレゼントを差し上げたいと思っています。

今日、読者登録が99人に達したので、

次の次に登録してくださる方に、最近はまっているハワイのコナコーヒーを

お送りしたいと思っています。


でも、2月1日から15日まで夫とハワイ旅行に行く予定なので、

(早く右足首がよくなってほしいのですが・・・)

もしこの期間中に読者登録100人目になって頂いた方には、

ハワイから帰国してから、すぐに対応させて頂きますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

誰に贈ることになるのか、なんかワクワクしています♪

アローハ、って気分です(笑)




こんにちは。

久しぶりに映画について書きたくなりました。

今日は、随分古いものですが、“恋人たちの予感”という映画を見ました。

知り合った男女がずっと友達でいたけれど、11年後の時を経て、

お互いに必要な存在だと気がつくというコメディ風のラブ・ストーリーです。

これは、1989年に作られた、メグ・ライアンのデビュー作となった映画です。


1989年といえば、ちょうど私が大学を卒業してから、社会人2年目になった年。

当時は、バブル絶頂期で、証券会社に勤める人達のボーナスが高く、

それ以外のすべての人たちがお金をつかいまくっていた時代でした。

私ももれずにその一員で、いい結婚相手を見つけるために、

テニス、スキー、カラオケなどを合コンかねて、あちこち行きましたし、

毎月のように新しいスーツを買っていました。

私は、実家から会社に通っていたので、贅沢ができたんですよね。

今のこの、“就活”と呼ばれる厳しい社会状況の中で、

就職活動をしてきた人達には理解できないかもしれません。


映画の話に戻ると、これをおススメするのは、20年以上前に作られた映画とはいえ、

男女の恋愛に悩める20代、30代の女性にも

参考になるようなことがあちこちに散り混ぜてある、と思うからです。

20年前の私たちの世代は、まだ年収が肩上がりになっていたし、

終身雇用が当たり前だと思われていて、女性は均等雇用法ができて3年目

とはいえ、企業は数少ない総合職の女性をどう扱えばわからず、とまどっていた

のではないでしょうか?

私の知人も何人も総合職になりながらも、結局結婚退職をせざるを得ない環境で

働いていました。


そして、プライベートはどうかというと、20代の半ばになると、

25才になるとクリスマス・ケーキと言われ、結婚にいき遅れた女性という判をおされました。

私の周りは、25才には結婚相手がいる友達が多く、

私もいき遅れるんじゃないかと焦り、27才のときに、お見合いで

1度目の結婚をしました。

だけど、この映画を見ていて思うのは、結婚するには

相手のいい所も嫌な所も知った上ですることが大切だということです。

当たり前かもしれませんが、最近の20代の人たちの間で、

“できちゃった結婚”が多いというのは、生きていくうえで軸になる部分が

男女ともお互いにぶれてしまっているのではないか?と思うのです。


私も1度離婚しているので、偉そうなことは言えませんが、

経験上、恋愛相手、そして結婚相手にふさわしい人というのは、誠実で、思いやりがあり、

金銭感覚が堅実で、食の好みが合い、何か没頭できる趣味を持っている人がいいんじゃでしょうか?

なぜ最後の没頭できる趣味を持っている人がいいかというと、そういうものを持っていれば、

不倫などに走らないのではないか、という私の考えです。

周りを見渡してみると、そういう男性と出会って結婚した人が

いい家庭を築いているように思います。

子供のいない夫婦は、猫や犬などのペットを飼えば、会話もはずみます。

あるいは、2人でできる趣味を見つけたら、楽しい結婚生活が送れるように思います。

いま、恋愛・結婚相手を探している人たちに、何かしら参考になればいいな。










こんばんは。

おととい、記事に書いた友達のMさんのホームページが手に入りました。

ホームページはこちら ↓ 
です。

http://www.mazuka.net


(すみません、リンクの張り方を忘れてしまいました)

ホームページの壁紙からして、えっ、プロじゃないの?

と思わせるような、とっても素敵な三枝子さんが写っています。

ぜひ、You Tubeで、彼女のセクシーで甘い雰囲気のする歌とダンスをお楽しみ下さい。

インタビューでも分かるように、Mさんは、自分に正直でまっすぐ生きている人。

この歌を、昨日カラオケボックスで、10曲以上、横で聴いていた私の衝撃といったら・・・。

テレビで歌っているプロ歌手の人たちがうまいのは当たり前です。

でも、彼女のパワフルな声で歌う曲は、聴いていて元気が出てきます!

この感動を、もっと多くの人たちに感じてほしい。


そう思って、今日Mさんに、「もっと歌を歌うことを頑張ってもいいんじゃないの?」

というようなメールを送っちゃいました。

シンガーになることが彼女の夢だったと聞いたからです。

確かに私たち40代はもう若くはないけれど、年を重ねたからこそ

意味が分かる歌ってたくさんあると思うんです。

聖子ちゃんの歌も、今になって、また何度でも歌いたくなる・・・

そういうことってありません?

ちなみに、Mさんの“聖子ちゃんメドレー”は、ぜひ聴いてもらいたい。

自分が一気に20年前に戻れますから。

あと、洋楽のレパートリーも幅広いです。

Mさん、今からでも全然遅くない。夢を叶えてください。


そして、私も夢を叶えたい。

私の夢は、大学生のときに、カナダのバンクーバーにホームステイしたときに、

カナダ人の大学生の人たちやホームステイ先の人たちによくしてもらったとき、

将来は、日本と海外をつなげるような仕事がしたい!というものでした。

1度目の結婚のときに、ニューヨークで4年間滞在したときも、

勇気を振り絞って、現地の人たちの中に飛び込んでいった私を

あたたかく見守ってくれたアメリカ人の皆さん。


今の夢の1つは、子供に英語の絵本の読み聞かせをしてあげることです。

絵を見ながら、英語で物語を聞くことで、“聴く耳”を作ってもらいたい。

私の発音は、完璧とは言えませんが、まぁまぁネイティブに近いと思っています。

絵本を英語で読んでみると、すごく楽しいんです。

それは、たぶん、幼少の頃、オランダにあるアメリカン・スクールで、

優しいアメリカ人の先生方の教え方がよかったからだと思いますし、

同じクラスの仲間と一緒に、学校で遊んで楽しかった思い出がたくさんあるからだと思います。

オランダにいた4歳から9歳までは、英語の絵本を読んでいたということもありますね。


小さいお子さんのいる方へのアドバイスですが、

1歳とか2歳とか、日本語をどんどん吸収している時期は、

ひとまず英語はおいといて、日本語の力をしっかりつけてほしいと思います。

日本語がしっかり話せるようになってから、英語の勉強を始めても

遅くないと思いますよ。

私は初めて英語を話すようになったのは4歳のときですし、

4つ上の兄は9歳のときでした。

私よりも兄のほうが年齢が高いときに英語を身につけたので、

学生の頃はESSに入り、就職してからは会社から海外に留学させてもらい、

今は海外で働いています。

だから、赤ちゃんのうちから英語を習わなくても大丈夫、

と私は思います。



こんばんは。

今朝も、いつも行く接骨院に午前中1時間以上かけて治療をしてもらいました。

治るのが思ったよりも時間がかかっていて、来月1日からのハワイ旅行に

間に合うのか!と不安を感じています。

基本的に歩かないほうがいいので、うちにひきこもって、

新聞を読んだり、音楽をやったり、アメブロ(これはかえってやり続けると

落ち込むので、なるべく他の人の記事を見ないようにしているのですが)をやったり、

と時間をなんとなくつぶしています。


そんな中、私から最近仲良くしている友達のMさん(41歳なので同期のようなものですね)を誘い、

吉祥寺にあるカラオケやさんで、2時間半、2人で歌いまくりました。

私は、はっきりいって音痴だし、声量もないので、へたっぴなのはわかっているのですが、

もともと音楽が好きだということもあって、たまに一人カラオケにも行ったりします。


歌番組は大好きなので、テレビでもよく見たりしますが、

たまに“ものまね大会”とかやったりしているじゃないですか。

友達のMさんは、歌を1曲聴いたら、「なに、すごい上手いじゃない!?」。

聞いてみたら、Mさんは、年に1度レストランカフェなどで、ライブをやっていると

いうではありませんか?

Mさんが次々と歌っているのを聴いていくうちに、思わず、

“ものまね大会”に出たらどう?と何度も言っていました。

Mさんは、1度離婚をしているのですが、地方から出てきて、

エアロビのインストラクターになり、スタジオも経営しており、

立派な企業家なんです!

恋愛の数も数え切れないくらい・・・


そのMさんから出てくる生きる情熱というのが、歌に出ているんですよね。

明るい曲から暗い曲まで、いろいろと歌い分けることができるのがスゴイ!

本当に、聴いていると、こっちがどんどん元気になってきます。

なんとかMさんにもっともっと歌える機会を増やしてあげたい、

それを今度あみさんが開催されるランチ会で話ができたらいいな、

なんて思っちゃっています。

Mさんは、愛にあふれている人なんです。

恋愛のほうも上手くいくといいな~と見守っていますが・・・。

こんばんは。

今日は、仲のよい伯母が77歳になり、喜寿を迎えるお祝いに、

3月に喜寿を迎える伯父とともに、うちで食事会をしました。

肉はあまり食べないという伯母夫婦のために用意したのは、

まずスモークサーモンやチーズの前菜を出し、

それから豆腐と鶏ひき肉を使っているミートローフを出しました。

それがこれ↓


Naoko@美味しい物を食べることが大好き♪


料理好きの友達が教えてくれたレシピで作りました。

食材が意外!と思われるでしょうが、まずみじん切りにした玉ねぎ、しいたけをよく炒めます。

それに豆腐、鶏ひき肉、卵、パン粉、塩、こしょうを入れてよく混ぜます。

容器には、油をまんべんなく塗り、しそを8枚しいて、

その中によく混ぜた具をしそがはがれないように上手にいれて、

180度に熱しておいたオーブンで、45分焼けば出来上がり!

わきに、ブロッコリーを盛れば、色よく出来あがるかと思います。

かなり好評だったので、よかった~と思いました。


その次に出したのは、寄せ鍋。これは夫の担当です。

材料をすべて切っておいて、まず大根と人参だけ

味付けしただしでよく煮て、鍋の中に置いておきます。

これで大根とにんじんにじわーっと味がしみて美味しくなります。

そして、食べる直前に野菜や鶏胸肉、たら、海老を入れて

すべてに火が通ったら出来上がりです。

このお鍋も好評でした。


ここまででけっこうお腹いっぱいでしたが、少しご飯を食べてもらってから、

じゃーん、お誕生日ケーキの登場です!

このケーキには7本のろうそくをつけて、火をつけ、

伯母に吹いて消してもらいました。

伯父も3月に喜寿を迎えるのですが、この際に2人一緒にお祝いすることにしたのです。

私たちは、誕生日や結婚祝いの時にはカードのやりとりをするのです。

でも、本当はカードも用意しようと思ったのですが、間に合わず今回はなし。


伯母は、私の母の姉にあたります。

同じ兄弟なのに、性格が全く違い、私は母とは全くうまがあわなかったのですが、

伯母とは不思議なくらい気が合うのです。

伯父とも仲良くしています。

なので、躁うつ病が再発した10年前から、すっかり伯母夫婦には

お世話になってしまい、お互いの絆がどんどん深くいったんです。


そして、こうやって今日、喜寿のお祝いができたこと(夫の理解もあり)を

とても嬉しく思います。

子供がいない私たちが77歳になったときに誰がお祝いしてくれるのかな・・・

という寂しさはありますが、もしかしたら、私と伯母のような関係になっている

若い友達が祝ってくれるかもしれません。

誰かに、子供がいなかったら、幅広い世代の友達を作るといいわよ、と

言われたので、今年もさまざまな世代の人たちと出会えたらいいな、と思っています。