ひたすら話す二人の透析患者 | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

本日はブログで知り合った宿野部武志さんと新宿で会った。

宿野部さんは人工透析を25年受けながらソーシャルワーカーの仕事をされていて、新ビジネスを推進している人物である。医療決断アドバイザーとしても活躍され、医療現場に意見を持たれる人物だ。ソーシャルワーカーというのは、例えば透析導入が決まった場合など、行政からどういった支援が受けられるのかなど患者さんを支援する仕事で社会福祉士ともいう。

宿野部さんとは初めて会うのにまるで初めてじゃない、ずっと前から知り合いだったような感じだった。不思議なことに共通する点が多い。

透析患者ということは一つとしてあるけれど、それだけじゃなくてまず同じ年の生まれ。それから社会人になった年も同じ92年。仕事も人事マンとしての経験がある。極め付きは、かつては同じ町に住み、入れ違いにはなっていたけれど同じ透析施設で透析を受けていたことや、かつての勤務地も同じ品川。入院した病院も同じ慈恵医大だったりする。

あとは同じ透析患者だから、透析や腎不全という病気のことで考えることや、こうした病気をしてきたことをきっかけとして何か社会に貢献できないかとか、考えてきたこともすごく似ている。透析を受けるタイミングこそ違えども、二人同じような道を歩んできた。それが回り回ってブログを介して知り合いになるのだから、人の縁とは不思議だし感慨深いものがある。

透析の経験としては宿野部さんの方が先輩で、さらに医療決断アドバイザーとしての経験もある。今日は、透析に関することや施設の質、透析の質など様々なことを聞かせてもらえた。今、疑問に感じていることはかなり解消された。自分が透析施設を変えたことは全然間違いじゃなかったこともはっきりと分かった。

透析患者を取り巻く環境には色々な問題があって、これを解決して行くのには、「お任せ透析」にならないようにしなくてはいけないということを実感した。我々患者の多くは治療ということを施設や医者に任せっきりにしている。任せっきりにせざるをえない部分もあるのだが、本当はそれはかなりまずくて、やっぱりある程度の透析に関する医療知識は身につけていく必要がある。多分、風穴を開けるって、こういうところからが始まりのように思う。

似ているって友達になる最大の要因なのかも。私は少し出遅れたけれど、この先も長く透析に関わっていかなくてはならない。ゆっくりだけれど同じ方角を歩くのだろうな。

今日は、実はかみさんも同席してて、わりと不思議な感じで見ていたんじゃないかな。初対面なのにかなり濃密な話をしているし。患者の家族として貴重な話が聞けたと帰り道で話していた。

久しぶりの新宿だったので、帰りは紀伊国屋ビルに行って医学書のコーナーへ行ってみた。
・「世界で一番やさしい腎臓病」
・「Dr.ジンゾーの透析療法の初歩」
を購入。1冊目は患者向け、2冊目は医療関係者向けの入門書。
両方とも漫画だったりする。
まずは基本的なことを抑えなくちゃ。これがスタート。